ハーンは、フロイドの云ふ意味での無意識の存在、また、著作に及ぼすそれの影響を知つてゐた。一八七八年、彼が二十八歳だつた時、クレービエル氏にあてた手紙にこう云つてゐる。『人は誰れでもその人自身の内的生活を有つてゐる――それは他眼からは見られない、そして、それの大いなる秘密は決して啓かれない、けれども、時あつて我々が何か美しい物を創作する時には、我々はついそのかすかな断片を漏らすことがある。――刹那的な簡単なところ、あたかも夜間に扉を明け閉てするにも似てゐるやう。』(生涯と手紙、一巻、一九六頁)『無意識の脳髄の活動は、潜伏してゐる感情や思想を展開するに最もいゝ。ある事物を繰返し繰返し静かに書くことによつて、私は、情緒や感念といふものは屡々その経過――無意識の間に展開するものだといふことを知つた。非常にいゝ結果が来ると、それは君を驚かす筈である、我々の最上の作は無意識から生れるのである。』(生涯と手紙、一巻、一四〇-一四一頁)

更らに、ハーンはお伽譚の起原が夢にあることを悟つてゐた、この考へ方はフロイドの学徒のランクや、アブラハムや、リツクリン等によつて発展されたものである。ハーンは、文学と夢との間には密接な聯絡があると見た。彼は、夢と超自然的文学との間の関係を見た最初の一人である。次の文は、『文学の解釋』の第二巻にある『文学に於ける超自然』に関する講話から引いたものである。『諸君が幽霊を信ずるとも信じないとも、諸君の夢の中には幽霊文学のもつあらゆる芸術的な要素は存在してゐて、その使用法を心得てゐる人には文学的材料のまぎれもない宝物を形造るのである。』『諸君達自身の夢の生活を信じ給へ、それを注意深く研究して、それから感興を喚び出し給へ。何故なら、夢は、単なる日常経験の彼方に横つてゐるものを扱ふ文学に於て美しいとされる殆どあらゆる物の抑々の起原であるから。』

 

(「戀愛と文學」 アルバート・モーデル 岡康雄譯)

 

 忙しい時に人手を借りるのは普通の話で、昔の人は猫の手も借りたいなどとよく云ったものだが、さういふ一般的な意味でなしに、実際に手を借りる話が二つある。

「耳袋」に見えてゐるのは、小日向辺に住む水野家の祐筆を勤める者が、或日門前に出てゐると、通りかゝった一人の出家が、今日はよんどころない事で書の会に出なければならぬ、あなたの手をお貸し下さい、と云った。祐筆は更に合点が往かず、手を貸すといふのは如何様の事かと尋ねたが、別に何事もない、たゞ両三日貸すといふことを、御承知下されば宜しいのぢゃ、といふ。怪しみながら承知の旨を答へた後、主人の用事で筆を執るのに、一の字を引くことも出来なくなってゐた。両三日すると、前の出家がやって来て礼を述べ、何も御礼の品もないからと云って、懐中から紙に書いたものを取出し、もし近隣に火災があった節は、この品を床の間に掛けて置けば、必ず火災を免れます、と告げて去った。祐筆の手は元の通りになり、貰った紙は主人が表具して持って居たが、その後度々の火災に水野家はいつも無事であった。或時蔵へしまひ込んで、床の間へ掛ける暇が無かったら、住居は全部焼失し、怪しげな蔵だけが一つ残った。

「三養雑記」にある祥貞和尚の話は、室町時代の事だから大分古い。順序はほゞ同じで、或時天狗が来て和尚の手を暫く借りたいといふ。手を貸すのはお易い御用だが、引抜いて行かれたりしては困ると答へると、そんなことではない、貸すとさへ云へばそれでいゝのだ、といふ挨拶である。それなら貸さうと云った日から、和尚の手は縮んで伸びなくなった。あたりの人々は、和尚の事を手短かの祥貞と呼ぶに至ったが、卅日ばかりしたら、天狗がまた来て、拝借の手はお返し申すと云ひ、火防(ひぶせ)の銅印を一つくれた。和尚の手は忽ち旧に復し、火防の銅印を得たせゐか、和尚の書もまた火防の役に立つと評判された。

「耳袋」の出家の正体は何とも書いてないが、「三養雑記」の方は明かに天狗になってゐる。手を借りられた者が字が書けなくなり、礼にくれるものが火防の役に立つあたり、二つの話は同類項に属すと見てよからう。人間なら代筆を頼めば済むところを、実際に能書の人の手を借りて行くのは、人間より自在なるべき天狗の方が、この点却って融通が利かぬらしい。

 

(「妖異博物館」 柴田宵曲)

われわれは在原業平一代の恋と歌と風流の生涯の記と擬せられてゐる伊勢物語の有名な東下りの章にふしぎな恋情を見たことがある。(拙稿「伊勢物語のまどひ」)主人公なる男は、都の幸福と恋とを描いて東(あづま)の方へと彷徨する。その途次に彼は都なる妻を恋ひつゝ、恋ひ思へば思ふほど、彼は都から放(さか)つて、東へ東へと旅を進めて行く、そして血の涙をながすやうな哀切な恋の歌を歌ふのである。この矛盾した方向と進み行きは実に不思議であると共に、この喪失を意志する恋の姿に、この世ならぬほのぼのと美しい恋の風情を醸して行くのである。又幼い時から相思つて夫婦となつた或る男女が、山の彼方の女に心を移して夜通ふその愛の喪失の中に、妻の恋情の深さが示されて、そのあはれさが夫の心を取り戻してゐる。又或る夫婦は、その夫が三年都に行つて帰らず、他に言ひ寄る男ありて共に寝んとする夜、夫が帰つてくる。妻は事を告げ、夫は去る、その時深刻に夫を喪ふことを覚知した妻は夫の後を追ひ、遂に及ばずして、泉のほとりに倒れ、傷ける指の血もて岩に烈しき恋の歌を書きつけて息絶える。

 

(『詩と批評(下)――古今和歌集について――』 蓮田善明)

 

太古の伝説を近代の厳密な研究方法に依つて吟味すると、大概は夢の如きものとなるのが普通であるが、併し不思議なことには、それらのうちには夢ではあるが真理を予言するものが屡々ある。オヴイッド(Ovid)は地質学者の発見を予言した。アトランチス(Atlantis)は一個の想像であつた。然し、コロンバスは西方の米大陸を発見した。又、半人半馬のセントー(Centaurs)や、半人半山羊のサター(Satyrs)等の怪物の存在は、単に芸術の領域内に附られてをるのであるが、然し現今に於ては彼等よりも、主要な構造にて一層人に類し、然かも前記の怪物の山羊や、馬の部分の如く獣である動物が発見されたばかりでなく、然かもそれが著明になつた。

 自分の見聞した、類人猿に関する記録のうちで最も古いものは、ピガフェッタPigafetta’sの『コンゴー王國記』(“Regnum Congo”)――ポルチュガル人及び土人のコンゴーと呼ぶアフリカの王国の実録、フィリッポ・ピガフェッタ著(エドアルドー・ロペスのイタリヤ語の手記に基づきアウグスト・カシオッド・ラインのラテン語に訳したもの、挿図はヨハン・テオドル・デブリー及びヨハン・イスラエル・デブリーの兄弟の筆になれる珍品を生けるが如く描けるもの、フランクフルトにて一五九八年出版)――である。此はポルトガルの船乗り、エドウアルドー・ロペス(Eduardo Lopez)の記録に基いて書いたもので、この書物の第十章に「此国の動物に就て」De Animalibus quæ in hac provincia reperiunturと云ふ題目で、ザイレ(Zaire)河沿岸のソンガン(Songan)国には猿が群をなし、人真似をして貴族を喜こばしたといふ意味の簡単な記載がある。此の記載はどの種類の猿にも当て嵌まるので、単に之れだけなれば重要視する必要もないのであるが、デ・ブリー(De Bry)兄弟の版画が此書のうちに挿入されてをるので面白い。即ち「貴族を喜ばした猿」の二匹が第十一章(Argumentum)に挿入してある。

 

(「自然に於ける人類の位置」 トマス・ヘンリー・ハクスレー著 小野寺一男譯)

精神の内庭で絶えず焚書を行っている。朝な夕な書物への嗜好・偏愛が七転八倒五里霧中に変わるので、夢見るような体系的蔵書の構築など望むべくもない。集まった古本がひしぎ合い蹴ちらし合う、余りと言えば余りな無軌道の本棚はおどろおどろしい化物屋敷の妖相を呈しているが、詰まるところ自業自得であるから、眼前から逃げ出す隙をビクビク窺う甘えた根性は増殖する烏合の古本衆から片時も許されていない。