私が歴史や物語を読んで、一番気になることは世の中に、判官びいきの多いことである。我々は何の因縁があって、無闇矢鱈に源氏を褒め千切らなければならないか。親の仇のように、平家をくささなければならないか、静かに考えると、斯んな変てこなことは無いと思う。平家には少なくとも文化人が多く、後々までも文化的なものを残して居るようである。源氏と来たら、義朝を始めとして、親父兄弟悉く殺戮し合う血腥ぐさい歴史のみである。その内聊かでも同情の持てるのは、若くて死んだ金塊集の源実朝位のものであろうか。源氏は勝者であり、成功者であったが、何程のものも後世に残しては居ない。甚だ浅薄の論拠ではあるが、私は昔から源氏嫌いを真向に振りかざして居る。有難いことに私の祖先は水呑百姓で、源氏にも平家にも関係は無い。

小学校へ行って居る私の孫娘は、秀吉の偉さや、その豪毅闊達を聴いて、反対に徳川家康を狸爺と言って居る。そう言っては家康に悪いかも知れないと心配して居るのである。何処で聴いたかは知らないが、それは東京人の常識であるらしい。

私は専ら徳川時代を書くことに慣され止むを得ずにいろいろの制度も調べ、人間の動きも調べて見たが、結論から先に言えば、徳川家康は実に嫌な老爺には相違ないが、実に驚くべき行届いた老爺である。家康には相当の知恵袋や策士はあったに相違ないが、諸大名の布設と言え、参勤交代の制度と言え、往来から、駅伝から、運輸から、札差の制度から、大奥の取締りまで、実に間然するところ無き行届いた制度である。三百年の覇業を開いた頭の良さと、運用の妙は、事毎に舌を巻くばかりである。野人で強気で、実は愚痴っぽくって、大気な秀吉が、見事にしてやられたのは、人柄を見ても明らかなことである。家康は、九歳になったばかりの孫と共に、私は決して好きになれない狸爺いではあるが、その賢さには舌を巻かざるを得ない。それに比べると維新以後の豪傑共は、世論に押されてへどもどするばかりで、何んと弱いことだろう。近頃の政治の面白くない原因である。

 

(『歴史家は判官びいき』 野村胡堂)

 娘は棒立ちになり、顔に血の気を失ひ、下唇を醜くゆがめたと思ふと、いきなり泣き出した。

 母は広島の空襲で死んだといふのである。死ぬる間際のうはごとの中に、笠井さんの名も出たといふ。

 娘はひとり東京へ帰り、母方の親戚の進歩党代議士、そのひとの法律事務所に勤めてゐるのだといふ。

 母が死んだといふ事を、いひそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだといふ。

 私が母の事をいひ出せば、シヅエ子ちやんが急に沈むのも、それゆゑであつた。嫉妬でも、恋でも無かつた。

 私たちは部屋にはひらず、そのまま引返して、駅の近くの盛り場に来た。

 母はうなぎが好きであつた。

 私たちは、うなぎ屋の屋台の、のれんをくぐつた。

「いらつしやいまし。」

 客は、立ちんぼの客は私たち二人だけで、屋台の奥に腰かけて飲んでゐる紳士がひとり。

「大串がよござんすか、小串が?」

「小串を。三人前。」

「へえ、承知しました。」

 その若い主人は、江戸つ子らしく見えた。ばたばたと威勢よく七輪をあふぐ。

「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」

「へえ。もうひとかたは? あとで?」

「三人ゐるぢやないか。」私は笑はずにいつた。

「へ?」

「このひとと、僕とのあひだに、もうひとり心配さうな顔をしたべつぴんさんが、ゐるぢやねえか。」こんどは私も少し笑つていつた。

 若い主人は、私の言葉を何と解したのか、

「や、かなはねえ。」

 といつて笑ひ、鉢巻の結び目のところあたりへ片手をやつた。

「これ、あるか。」私は左手で飲む真似をして見せた。

「極上がございます。いや、さうでもねえか。」

「コップで三つ。」と私は言つた。

 小串の皿が三枚、私たちの前に並べられた。私たちは、まんなかの皿はそのままにして、両端の皿にそれぞれ箸をつけた。やがてなみなみと酒が充たされたコップも三つ、並べられた。

 私は端のコップをとつて、ぐいと飲み、

「すけてやらうね。」

 と、シヅエ子ちやんにだけ聞えるくらゐの小さい声で言つて、母のコップをとつて、ぐいと飲み、ふところから先刻買つた南京豆の袋を三つ取り出し、

「今夜は、僕はこれから少し飲むからね、豆でもかじりながら附き合つてくれ。」と、やはり小声でいつた。

 シヅエ子ちやんは首肯き、それつきり私たちは一言も、何も、いはなかつた。

 私は黙々として四はい五はいと飲みつづけてゐるうちに、屋台の奥の紳士が、うなぎ屋の主人を相手に、やたらと騒ぎはじめた。実につまらない、不思議なくらゐに下手くそな、まるつきりセンスの無い冗談をいひ、さうしてご本人が最も面白さうに笑ひ、主人もお附き合ひに笑ひ、「トカナントカイッチャッテネ、ソレデスカラネエ、ボオットシチャッテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャッテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャッテネエ、マヰッチャッテネエ、オレノ妾宅ハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向フガマヰッチャッテネエ、……」といふ工合ひの何一つ面白くも、可笑しくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の醉客のユウモア感覚の缺如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑ひ合つても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとほる師走ちかい人の流れを、ぼんやり見てゐるばかりなのである。

 紳士は、ふいと私の視線をたどつて、さうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを眺め、だしぬけに大声で、

「ハロー、メリイ、クリスマアス。」

 と叫んだ。アメリカの兵士が歩いてゐるのだ。

 何といふわけもなく、私は紳士のその諧ぎやくにだけは噴き出した。

 呼びかけられた兵士は、とんでもないといふやうな顔をして首を振り、大股で歩み去る。

「この、うなぎも食べちやはうか。」

 私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。

「ええ。」

「半分づつ。」

 東京は相変らず、以前と少しも変らない。

 

(『メリイクリスマス』 太宰治)

 小説家は最も神に近いといふなぜなれば万物を創造し、ことに人間を創造し、これが人生を操り、これが結末を自由に左右するからである。こゝに於いて神技と云ふ言葉が形容的讃辞でなくなる。バルザックの如く、架空ならざる、実在の人間を創造し、荒誕ならざる、如実の人生を創り出した小説家こそ、真に神に近き腕を持つてゐたものと云へやう。腕は神に近い。これは一世紀に一人位しか出ぬものとされてゐる、大作家(グランテクリヴアン)として批評家が誰れしもバルザックを推すところを見ても、異論はあるまい。

 著述家としては及第として、さて人間としては如何。この問題には異論があることと思ふ。大勢力家と云ふところから見て偉大であるといふのは、許しうるとする。然し、神に近い人間かといふと大分首をひねらされる。恐ろしく無作法な、甚しく野人的な一面が、その伝記を見ると窺はれる。恐らく繊巧な心を持つ文化人には、彼との交際は堪へ忍ぶことが出来なかつたに違ひない。これだけでも神に近い人間とは云へまい。然しこの無作法な態度、神に遠い一面を持つてゐたからこそ、真の人間が描けたのだらう。神は神を創造しない。人間を創り出したのである。バルザック自身は神ではない。然し神と同じく、神を創造せずして、人間を創造したところに、バルザックの偉大さがある。

 いやにやかましい議論になつたが、要するに人間を創造するに必要な一面をバルザックが持つてゐたことは、結局バルザックは神に近しと云ふことが云へるであらうと思ふと、云ふまでである。即ち前提の「小説家は最も神に近し」といふことの最もよき例はバルザックである。

 

(『バルザック随筆』 山田珠樹)

個人の自由が解放され、殺戮・横奪等、刑法以外の自由競争が許され、不徳・虚偽の公然と行はるゝ優勝劣敗の世の中に、資本主義といふものが成立する。

ヂヤーナリズムも、資本主義の一である。「書を見て信ずれば、書なきに如かず」といつたのは古人の愚直、今は「盲目千人」を相手に、人の弱点につけこんで、如何なる悪辣をも敢てして、只売れさへすればよい、といふのが、其ヂヤーナリズムである。今日大衆雜誌の成功するものに、性的淫猥のものと、詐偽的・迷信的・疾病療法との出て居ないものが、一冊だにあらうか。而かも是等が、一度び成功・即ち資本を収得すれば、其過去と現在との社会に対する功罪の如何を問はず、大衆からも・国家からも、尊敬さるゝこと、昔の大名と同様である。

又広告によつて、薬や著書等、全く其良否に関せず、必ず其広告資本の幾割を収益する事が出来るとの事である。其著名なる実例が、ドラツクである。吾人は常に著書・雜誌の広告に釣られて、買つて後に、全く読むに堪へず、其まゝ没収するものさへもある。現在相当の人格者と目せられる出版業者も、売れさへすれば、如何なる有害なものでも、出版するが、如何に有益なものでも、売れ口が悪ければ出さない。それでなければ、此人格者も成功しなかつたのである。図書館の納本で、有効と確定されるものは、必ず売れないものである。

アヽいつの世も、如何なる事柄にも、人は優勝者の圧制を受けなければならぬものではある。

 

(「生の慾望」 森田正馬)

牧野信一君の『文學的自敍傳』はおもに少年時代を叙したもので、これから大人の世界に入つて見たことを書きはじめようといふところで筆が止めてある。止めてあるといふよりは、むしろそこで筆が進まなくなつて、自然に止まつてしまつたといふ趣のものだ。文学的な自敍傳としてはそんな端緒に過ぎないやうなものであるが、自然と文学へ赴くより他に結局道もなかつたかの感を抱かせ、一作家の生ひ立を思はせるには十分なほどに出来るだけの圧縮もその筆に加へてあつて、少年時代のどの一片をとりあげても、いづれも意味深く語つてある。その中に、君は小学でも中学でも凡ゆる学科のうちで綴り方と作文が何より不得手で、幾度も零点を取り、旅先などから母親に宛てる手紙も書きにくかつたといふ一節がある。君はそれに続けて次のやうに書いてゐる。

『母は私のハガキでも、私が戻るとそれを目の前に突きつけて、凡ゆる誤字文法を指摘した。第一文章が恰(まる)で成つて居らず、加(おま)けに無礼な調子であると訂正されるうちに、作文でも手紙でも私は、真に考へたことや感じたことを、そのまゝ書くべきものではなく、さういふことを余程六(むづか)ヶ敷(し)い言葉を用ひて書くべきだ、さういふ窮屈を忍んで、決りきつたやうな真面目さうな、厳(いかめ)しさうな、そして思ひもよらぬ大袈裟な美しさうな言葉を連ねなければならぬのかと考へると、文字が亦、これがまた言語道断といふ程拙劣であつて私は途方に暮れた。親戚などに父の代理として時候見舞などを書かされる場合に、母が傍で視張つてゐるのであるが、私には何うしても、末筆ながら御一同様へも何卒宜しく御鳳声の程を――などとは書けぬのであつた。』

とある。

真に考へたことや感じたことは、どうしてそのまゝ書くべきものではないかの疑問が、早くも牧野少年の胸に宿つたのであらう。君自身の語るところによると、君は結婚以前に三度もの恋愛を経験したが、手紙はまるで駄目で、どんな類ひの手紙を相手の娘から貰つても容易にそれに匹敵するやうなことが書けず、それでも夢中になつて書くには書いたが読み返すと、いつも全身が砥石にかゝつたやうな堪らぬ冷汗にすり減つたといふ。さういふ情人を見る時の君はまた、つい黙り勝ちで、思はず欠伸(あくび)をするやうなことになつたり、真面目なことを言はなければならない場合にも、つい空呆(そらとぼ)けて横を向いたりするやうな始末であつて、そのために君の求めるものは酬いられず、皆失恋に終つたとも語つてある。

『どんなに熱烈に思つてゐても、四角張つた特に拙い漢字で、戀しき君よ……などとは書けず、また徹底的に真面目さうな表情で、屹度結婚しようネ――などとさゝやいて、手などは握れなかつた。私は、あのアメリカの娘(中学を終る頃にさかんに手紙のやりとりをしたアメリカ人の娘)に示した態度や言葉の十分の一でも、この敬ふべき郷土の言葉をもつて駆使成し得るならば、と悲嘆に暮れた。思へば思ふほど、われわれの言葉や文字は、尊厳に過ぎて、到底犯し得ぬ貴重なものに変つた。』

新時代の作家として牧野君が出発はこゝに萌(きざ)してゐる。君はその言葉や文字の『尊厳』や、到底犯し得ぬ『貴重』やを打ち碎くだけの才能と勇気とをめぐまれた。あれほど少年時代に、あらゆる学科のうちで綴り方と作文が何より不得手で、母親に宛てる手紙すら思ふやうには書けなかつたと言ふ君が、その意味を悟る時を迎へるのだと思はれる。さてこそ、君が芸術には感情の解放ともいふべきものが強く働いてゐて、その特色が君の作の字々句々の上にあらはれ、わたしたちの心をひかれるのも主としてその点にある。あの雜誌『十三人』に載つた短篇『爪』などは君の学生時代の作ださうだが、君は戸外に飛び出し、君が手と足とを持つてゐることを、初めて感じたと言つてもいゝほどのものであつた。

不思議な縁故から、わたしは牧野君を引き出す役割をつとめたやうなものゝ、あの『十三人』時代の君は早晩頭角をあらはすべき人で、わたしはたゞ割合に早く君を見つけたといふに過ぎない。君の自敍傳によると、君は自身を裸島へ泳ぎついた漂流者に譬へてゐる。この漂流者は日々の営みを怠らずあちこちと移り住んだが、わづかな風にさへその打ち建てた小屋は忽ち吹き飛んで未だに家を成さないとも言つてゐる。それを君は運命的であると考へるやうになつて行つた人のやうでもあるし、またそんな昨日の自己を絶対の姿とは考へたくないと言ふ人ででもあつた。君はいつも自身の文章を読み返すと、凡ての過去そのものの如く、いつそ自烈(じれ)つたいといふ気を起した。君は一切の過去を棄却しなければならないとした。容易ならぬ人間の脱皮だ。それには身をもつて当らねばならない。君はその辺の深い消息を僅かに『文學的自敍傳』の終の方に泄らして置いて、それぎり帰つて来ない人のやうになつてしまつた。

何としても君の最後は傷ましい。筆執り物書くものに取つてはひとごととも思はれない。わたしのやうにして君の出発を迎へたものが、今また君を惜しむ諸君の仲間入りをして、こんな記念をこゝに書きつけるといふことは、これも何かの縁かと思ふ。生前の君が泳ぎついたその裸島にゐて、絶望と陶醉との底から身をも心をも起さうとしたといふことは、どんな新しい文学を予感しての結果であつたか、それは推しはかれるかぎりでもないが、君が残したかずかずの新鮮な作品と、この世に盡し得なかつた抱懐とは、わたしなぞのやうに長く文筆に従事するものの垢を洗つて呉れるであらう。短篇集『酒盗人』、『鬼涙村』の二巻は、折を得て更によく読みかへして見たい。

 

(『牧野信一君の『文學的自敍傳』』 島崎藤村)