「どうでしようかなあ、うまくまとまりますかな。」

鼻の平べたい下品な顔の県庁役人が、さつきからしきりと徳見参謀へ盃をさしていた。

「なんともいえんねえ。」

軍人は呂律(ろれつ)がすこしあやしくなつていたが、意識にくずれはないようだつた。暑いといつて、痩せた、青い、しかし胸毛の異様にふかく濃い上半身をむきだしにしていた。左手でひとりの女を横だきにしている。

「風雲急ですかな。」

髭の濃い沖繩日報の記者が卓子越しに声をかける。これもだいぶん醉つている。

「大いに急じや、一雨降らにやおさまるまい。」

「戦争になりますか。」

 仲村渠(なかんだかり)が頓狂な声をだす。この男は廣東(カントン)へ新しい印刷所を設けることで、今日伴侍しているのだつた。小心で正直そうな男である。

「戦争にした方がよかろうもん。」徳見中佐は小柄に似あわぬ蛮声(ばんせい)をはりあげる。「どうせ平和的解決などでけやせん。宿命というてもええよ。頭のうえにかぶさつた雲ははらわにやいかん。なに恐れるこたないよ。神算鬼謀われにありさ。国内もぐらついてばつかり居るから、青天に霹靂(へきれき)が来にや、国民の足並も一致せん。翼賛会なんちゆもんが出来たが、まだあんなこつちや手ぬるい……こないだのハル国務長官の、下院外交委員会での放言を聞いたかい。宣戦布告と同じもんじやよ。枢軸(すうじく)国を侮辱しとる。……日本の内閣はなにしとるか。腰抜けばかりじや。近衛(このえ)なんちゆうのはありや米英の狗(いぬ)じやよ。あんなもんを引つこめにや、日本はいまに骨なしになる。東條さんでも引つぱりだすがええ。わしら腕が鳴つてかなわんわい。」

「こんなに四年も五年も戦争がつづいて、まだこのうえ戦争があるのかねえ。」

妓のなかで、隅の方で細くつぶやく者があつた。

「誰じや、そんなこという奴は。」徳見中佐は地獄耳で、「そんな間抜けたこというとるから、日本が馬鹿にされるんじや。本格的な戦争はこれからじや。敵は本能寺にありさ。」

「スミちやんは、旦那さんが戦死して、兄さんが両足とられてしまつたんですのよ。」

 参謀に怒られたと早合点して、朋輩(ほうばい)があわててとりなした。

「そうか、それは気の毒じやのう、じやがそんくらいの国民の犠牲は屁(へ)でもないぞ。その旦那の命と兄貴の足とが、大東亜共栄圏の礎になつとるんじやから、よろこべ。日本はアジア民族の救命主となりつあるんじや。その邪魔をする奴はどいつもこいつも容赦(ようしや)はない。鎧袖(がいしゆう)一触、目にもの見せてくれる。」

 

(『幻燈部屋』 火野葦平)

「はい、私はいまから大分まへは上天で捲簾大将といつて、霊宵殿の簾のまきおろしをする役人だつたのです。さうしてこれはまた親代々の私の家の仕事でしたから、初めのうちはなんの疑ひも苦痛もなく、朝から晩まで御殿に出てはたゞ簾をまいたり降したりしてゐましたが、そのうちにふツと自分の仕事がまるで機械とおなじことで少しも生きてゐる甲斐がないのを知ると、ある絶望の病ひにとりつかれたのです。自分はなんの為に生れてきて、なんの為に生きてゐるのだらう。自分の一生はどこからどこに続いてゐるのだらう。さう思ひはじめますと、こんどは朝から晩まで簾のまき降しをしてゐるのが厭になりました。そのうちにある日、安月給のことでしたから月末の諸払ひのことも気になり、せめて生活の苦労だけでもない世の中に生れたいとぼんやり考へにふけつてゐますうちに、玉帝のまへで簾をまきながら傍にあつた大切な玻璃の盃を思はず足でふみわつたので、その罰によつて鞭で八百回なぐられた揚句、下界に追ひくだされましたが、もう私はなるべく生物の姿をみないところに住みたいと思ひ、たうとうこの広い砂漠のやうな大河を見つけて、こゝに暮すことになりました。そこで自分をじつくりと見つめ冥想五百年の生活を送つてきましたが、ひとりになつて考へれば考へるほど自分の生の意義がわからなくなり、たゞ混乱するばかりでした。しかしさうして考へてゐるだけでもやはり生きてゐればむやみにお腹がへるので、魚がくれば魚をくひ、人がくれば人を食べて、やうやく生命をつないでゐます。どうか観音様、私の絶望をおすくひ下さい。」

とかう妖怪が哀れに語るのをきいた観音様は、やさしく慰めるやうに、

「それはあなた、人間は万人と共に時間的にも空間的にも生きてゐるものです。それを忘れてたゞ自分だけで自分の絶望を解決しようと思つても、それはたゞ主観的に諦められて、それが悟りだと思ひこめるだけです。だから自分で自分をみつめる為には、あなたは自分をうつす鏡をもつことが大切です。その鏡はいはば社会でもあり他の現実でもあります。そしてその鏡にうつす方法は、あなたが行動をすることこそ大切なのです。それで今から暫くたつて東方からひとりの真理を求めに西方に旅をする坊さんがやつてくるでせうから、あなたはその坊さんといつしよになつて真理を求めに西方へと旅をなさい。その間の苦しい戦ひがしらずしらずにあなたを高め救つてくれるでせう。」

 

(「西遊記」 呉承恩 田中英光)

  一〇九  石油

 

天智天皇の御宇越の国より燃ゆる土・燃ゆる水を献ずとある。これ本邦石油の発見と認むべきである。発見当時はもとより霊物視されたことであるが、後二條天皇の御宇には多少利用したものと見え、越後国蒲原郡黒川村に於て運上金を納め、石油を掘取つたといふ旧記がある。慶長年間に至つては越後の石油として多少営利事業となつたやうである。然るに、安政の開港後貿易品として石油燈の盛んに輸入せらるゝに遭ひ、人皆其の光力の偉大なるに驚くと共に、之に使用する石油は古来越後より産する燃ゆる水より、精製したるものであることを知り、政府に於て明治五年に米人ライマンを聘して、全国の石油地を調査せしめ、其の結果遠江の相良と、越後の尼瀬附近に手掘法を起して、採掘の範を示すに及び、次第に隆昌に赴き、明治十九年以後米国式鑿井機の輸入と共に採油高が著しく増加したのである。

古くは臭水と称へた。即ち燃ゆる水で臭いからであらう。石油といふ字のおこりは、明治四・五年の頃石油業の率先者石坂周造が、洋語のペトロリユムの名称の中、ペトロは岩の意オリユムは、油といふ意であるところから、石油と訳したのであるといふ。

黒川油田 秋田市の北方黒川の附近一帯の地は古来草生津と称せられ、濃厚な原油が田圃或は丘陵の底部に滲み出して、河水も為に色を変ずる程であるので、黒川の名を得たのである。既に明治の初年頃より鑿井を試み、当時多少の出油があつたが、尚採掘法の不完全であつたため、十分の結果を見るに至らなかつた。然るに、大正三年日本石油會社の努力によつて、黒川の新油田開発せらるゝや、俄に出油量を増し、殊に同年五月の大噴油の如きは、一分間の油量九石、一昼夜には一万三千石に上り、築堤を決壊して高さ三丈余の油瀧を渓間に現出し、附近一帯の地を全く油の海に化せしめて、本邦製油事業の上に、一新記録を作つたことがある。

尼瀬油田 越後国三島郡尼瀬村にある。此の地方古来海中に夥しい出油ある事は夙に人の知る所であつたが、或る年偶然海岸に井戸を掘つたものが油層に突き当てゝ、噴油に遭遇したる以来、争つて開掘するものが多くなつた。是に於て石坂周造は此の地に一の機械を設備して採掘を開始したが、技手の不熟練のため好結果を収むることが出来なかつた。これが明治五年の事である。爾後他の企業家が再び機械掘を行つたが、復失敗に終つた。降て明治二十二年日本石油會社は米国より機械を購入し、技師ハースをも聘して採油に従事し、同二十四年四月全く其の効を収めた。

新津油田 越後国中蒲原郡にある油田で、慶長の頃瓦斯噴出し、泉水の沸湧する霊地として迷信者に霊異視され、古来越後七不思議の一として数へられた所である。

 

(「日本物産の由來」 秋鹿見二編著)

 

 

【せきゆ】(石油) 炭素と水素との化合物で、原油即ち石脳油若くは含油頁岩から採集する。其蒸留する際の温度によつて、軽油・揮発油・燈油(之のみを石油とも云ふ)・重油・機械油・パラフイン・ピツチ等に分れる。近時其用途が非常に拡大して、鉄・石炭と共に国家の最大必需品とせられるやうに至つた。我国では産額が需用を充たすに足らず、盛に米国等から輸入する。我国の産地は新潟・秋田の二県が主で、精製は柏崎・直江津・長岡・新津・土崎等に於て行はれる。近時又魚油から石油を製造することも行はれてゐる。

 

(「最新物産辭典」 守屋荒美雄・小松崎三枝・西龜正夫共著)

 

   ロオエングリン(爽朗透徹の心持で粛として前方を見やりつゝ)

皆様がたの行く事出来ない遠い国に

モンサルヷアトと云ふ城があります、

明るい塔がその真中にそびえ立つて、

それは地上に知られない程の尊いものであります。

そこに霊験あらたかな盃が一つありまして、

そこの最貴の宝物として保存されてあります。

それは人間の最も純潔なものによつて護られて行く様に、

一群の天使が齎したものであつて、

その霊験の力をば毎年新たに強める為め、

毎年天より一羽の鳩が降りて来る事になつてゐます。

その皿はグラアルといふ名で、純潔無垢な信仰には

グラアル守護の騎士の力を分たれます。

選ばれてグラアルに仕へる者には、

超自然の力が授けられます。

さういふ騎士には如何なる悪党の悪計も害を加ふる事が出来ず、

一度グラアルを見た者には死といふ夜はない事になります。

グラアルによつて遠い国に遣はされ、

善い行ひの権利の為めの騎士たるべく命ぜられた者にも、

その身分を知られないでゐる限りは、

聖グラアルの神力は消えるものではありません。

それ程グラアルの祝福は崇高偉大なものであります。

若しもあらはになる時は、――其騎士は俗人の眼より逃れなければなりません、

それ故皆さんは其騎士を疑はないがいゝのです、

皆さんが騎士の身分を知るとなれば、騎士は皆さんを捨てゝ行かねばなりません――。

さて今私が爰に禁制の問に答へるのをお聞きなさい、

私は即ち其為めにグラアルに遣されて皆さんの許(もと)に来たのである、

私の父パルツィファルはグラアル奉仕の騎士の王で、

その騎士たる私は、――ロオエングリンと云ふ名であります。

 

(『ロオエングリン』 ワグネル 中嶋清譯)

 

 

   最も広く知られて居る物語は、ローヘングリン(Lohengrin)のそれである。これは昔のケルト族の間に伝はつた話が、その始めのやうであるが、こゝにはグリム兄弟によりて、簡約された梗概を述べると、次の如くである。ブラバント及びリムブルグの公爵が死なんとする時、その後継者たる一人娘エルスの後見者として、フリードリッヒなる勇者を選定した。処が、このフリードリッヒは、エルスと結婚したと偽り、その土地を支配しようとした。しかし彼女は断然之を拒絶したので、フリードリッヒは皇帝に向つて、神明裁判を仰ぎ、彼女の身代りになる勇士と技を競ひ、若し勝を制したらば、自己の主張の正当なることを証明することが出来ようと請願した。此時エルスの味方となつて、フリードリッヒと力を角しようといふものなく、為めに彼女は日夜神に祈願した。処が遠くモンツァルヴァッチュ(霊山の名、そこに聖盃(グレール)の寺院と呼ぶ神秘の城がある。その塔の中にはこの世に於て無上に尊い聖盃が収めてある。この祠を守る騎士達は浮世を棄てゝ生命を善行の為に捧げて居る。その酬として、聖盃は彼等に何人も及ばぬ力を与へて居るといふ)まで、救助を求むる鐘が聞えた。それでグレールの者はパルシファルの子ローヘングリンを救助に赴かせようと決した。彼が足を馬鐙にかけようとする途端、鵠がその後に小きい舟を引きつゝやつて来た。それを見るや否や彼は従者に向つて、この馬を厩舎に返してくれ、自分は鵠の導く所に行くからと言ひ、その舟に乗つた。五日間航海をつゞけたが、彼は何等食料の準備をして来なかつたので鵠は魚を捕へ、半分は自分が食し、半分はローヘングリンに与へた。この間にエルスはアントワープの会合の為めに、多くの酋長や従者を集めた。集会の当時鵠は彼を乗せてその処に上陸し、彼が冑や剣を取り出すや否や鵠はもと来た道に帰つて行つた。ローヘングリンは、公爵の娘が災害に逢つて居ることを聞き、大に之に同情して、神明裁判に於ける彼女の選手たることを承諾した。皇帝の面前でフリードリッヒとの勝負が行はれたが、ローヘングリンが首尾よく勝を制した。玆に於て彼はエルスと相愛する仲になつた。しかし彼は何処から来たかの祖先の系図に就ては極めて秘密にし、若し之を打明ける時は彼は彼女と永の別れをしなければならぬと言つた。その後ローヘングリン夫婦は平和に且つ幸福に暮して居た。彼は利口で、よくその国を支配し、皇帝に忠勤を擢んでた。所が或日投槍をして居る時、クリーブ侯をして落馬せしめ、その腕を折るに至らしめた。クリーブ侯の夫人は怒つて、大勢に向つて叫んで言ふには、ローヘングリンは勇敢で、善良なる基督教徒ではあるが、何処の国から流れ込んで来たか薩張り分らないと。その夜から次になるとエルスは泣いてローヘングリンに素性を尋ねた。第三の晩の翌朝、彼は公衆に向つて、彼の父は聖盃(グレール)の守護長たるパルシファルで、神がグレールから彼を遣はしたといひ、その後二人の子供に接吻をし、形見として、角製の笛と劔とを残し、エルスには母が彼に与へた小さい指輪を残し「さて私は行かなければならぬ」と云つて出かけると、前の鵠が泳ぎながら来たので、その鳥の引いて来た小舟にのり、元のグレールに帰つて行つた。エルスは失神した。皇后は父の為めに幼いローヘングリンを彼女の子供として育て上げた。寡婦のエルスは再び帰らない夫を慕ひ、泣き悲しみつゝ一生を終つたといふことである。

(「精神分析法」 久保良英)

寛文十年と云へば切支丹で世間が騒いでゐる時である。其の年の夏、某城下へ二人の怪しい男が来て、不思議な術を行つて見せたので、藩では早速それを捕へ、死刑にする事にして刑場へ引出したが、切支丹ではどんな魔法があつて逃げだすかも解らないと云ふので、警護の士が厳しく前後を取り囲んでゐた。又刑場の四方には竹矢来を結うて、すこしの隙もないやうにしてあつた。見物人は其の周囲に人山を築いてゐた。

刑場の真中には磔の柱が二本気味悪く立つてゐた。二人の罪人は其の下に引き据ゑられた。と、罪人の一人が云つた。

「こんなに厳しくせられては、とても私達は逃げることはできません、もう覚悟をきめて居りますが、ただ一つ為残してゐる術がありますから、少し縄をゆるめてください、それを人に見せたうへで、心残りのないやうにして死にたうございます、」

臨場の役人はこれを聞いて相談した。其の結果こんなに厳重に警固してゐるうへは、幾等切支丹でも逃げる事は思ひもよらないから、願を聞いてやつても好いと云ふ事になつて二人の縄を少しゆるめてやつた。

と、見るまに一人は鼠となつて、磔の柱に飛び附くが早いか、つるつると上に登つて往つた。警固の士は驚いて一方の男を捕へやうとすると、其の男の体は鳶になつてばたばたと縄を解いて空にあがり、ひろ、ひろ、ひろと鳴きながら其の上を舞つてゐたが、機を見て降りて来て彼の鼠を摑んで何処ともなく逃げて往つた。警固の士は呆気に取られてそれを見送つた。

 

(『幻術』 田中貢太郎)