精神の内庭で絶えず焚書を行っている。朝な夕な書物への嗜好・偏愛が七転八倒五里霧中に変わるので、夢見るような体系的蔵書の構築など望むべくもない。集まった古本がひしぎ合い蹴ちらし合う、余りと言えば余りな無軌道の本棚はおどろおどろしい化物屋敷の妖相を呈しているが、詰まるところ自業自得であるから、眼前から逃げ出す隙をビクビク窺う甘えた根性は増殖する烏合の古本衆から片時も許されていない。

長年の間、私の母は、学術的及び芸術的事項の現代風潮を記述する雑誌、タークの編輯している週刊新聞「デ・クロニーク」のために、文芸記事の翻訳をしていた。

 

ヴィンセントの手紙について、その頃母はある女の友だちにこう書いている。

「テオの発病以来、それらの手紙は私の生活の大部分を占めてしまいました。――私が帰省して、私たちの家で送つた寂しい最初の夜――私は手紙の包みをとりだしました。手紙の中で、彼に再会できると知つたのです。――この苦悩の日にあつては、夜ごとそうするのが私の慰めでした。私が求めたのは、ヴィンセントではなくてテオでした。――彼に関する一つ一つの言葉に、一つ一つの動静にうえていたのです。――その手紙を眼だけでなく、私の全精神をこめて読みました。そして、いつもそうした状態がつづきました。――私の前にヴィンセントの顔がはつきりと蘇るまで、何遍も手紙を繰返して読みました。

オランダへ帰つたとき、私の感じた気持を想像して下さい。――その頃私は、孤独な芸術家の生涯の崇高さを――偉大さを深く感じていたのです。ヴィンセントやその作品について私に示された冷淡さのために、私にどんな悩ましい感情が襲つて来たか、思つてもみて下さい。…時にはそれが、死ぬほど私を悲しませました。――昨年ヴィンセントの年忌の折に夜更けて、私は外へでたのを想い出します。――風が吹き、雨が降り、暗い夜でした――どこの家々でも灯がみえて、人々がテーブルを囲んでいました。――私は嘆きのあまりすべての人たちが彼に背を向けたころ、『この地上に、彼の身をおくべき所とてはないかのように』感じたとき、ヴィンセントの抱いた感情を初めて理解したのでした。……ヴィンセントが私の生活に及ぼした影響を、あなたに感じさせることができるといいが。彼は私自身の中に平和を見出すように、私の生活を躾けてくれました。――『静穏』――これが二人とも大好きな言葉でした。二人は、これが至上の幸福だと思いました。――私はそれを見出したのです。――今年の冬の間、私はひとりでしたが、不幸ではありませんでした。――『寂しい、しかし、それでいて愉しい』これが、私の理解したばかりの事実の一つなのです。」

 

(『ヨハンナ・ヴァン・ゴッホ=ボンゲルのことども』 VW・ヴァン・ゴッホ 式場隆三郎譯)

 日本は老人国である。未成熟の若返り法が蓬莱仙島の秘法である如く迎へられて九大教授をして産を作らしめたは畢竟するに老衰を自覚する老人が多いからだ。日本では『亀の甲より年の功』が神聖不可侵の鉄札となつて才能学術よりも老齢が重んぜられる。政界に元老があるばかりぢや無い。実業界にも学問界にも芸術界にも教育界にも見渡す限り門松を潜つた度数を誇る外には何の長所も無い老人が幅を利かせしてをる。
 日本では老人の不得要領な瓢箪鯰が円転滑脱と称され、老人の無定見な優柔不断が慎重熟慮と目され、老人の触らぬ神に祟なし主義が冷静自重と見做され、老人の事無かれ主義が穏健着実と喜ばれてをる。元気の消磨した沈勇や知覚の鈍麻した寛大や、老人の退嬰、無気力、引込思案、アキラメ、成行まかせ等が総て美徳として渇仰されてゐる。随つて無知でも無能でも無定見でも不決断でも『亀の甲より年の功』で老人が難有がられ祭り上げられる。西洋の諺に白い髯は無能のハンデイカップであるといふが、日本では白い髯が老功叡智のシンボルとして崇められ、白い髯で無ければ押しが利かない。年長者として老人が上座に据ゑられるのは宴席ばかりぢや無い。官庁でも会社でも学校でも白髯大明神がソコラ中で光つてる。

 

(「気紛れ日記」 内田魯庵)

  解 題

 

水滸傳、三國志、金瓶梅とならんで中国の四大奇書のひとつに数へられる西遊記は、いはば中国の国民伝説といはれる性格をもつてゐる。それ故この書の作者は明人呉承恩といはれるけれども、決して彼ひとりの創作によるものではなく、彼のまへにも小説としては揚志和本、雜劇としては元人呉昌齡の「西遊記」、脚本としては金人唐宗儀の「唐三藏」等があり、更にそのまへにも中国には孫悟空の原型のやうな大猿の伝説なぞが伝はつてゐることなぞから考へると、西遊記はいはばだいたい明末までの中国人が、ながい間かゝつて民衆の手で育てあげてきた国民伝説のやうに思はれる。それ故、この書の目的は昔から云はれてゐるやうに、なにも道学のために書かれたものではなく、たゞ民衆に純粹な面白い話の喜びを与へるためにのみあるといつて好い。それ故、この書には話の筋がすつかり解つてしまつてからも、幾度となく繰返して読んでも、ひとに大きな幸福感に似たたのしみを与へるものがある。これは西遊記などに限らず世界のさういつた種類の本、例へば、「イリヤアド」「ドン・キホオテ」日本では、「太閤記」「太平記」なぞがもつてゐる小説の原始的な面白さの性格からくるものと思はれる。かうした点で、「西遊記」はこの世界名著の文庫のなかに入つてゐるほかの近代作家たちの創作とは根もとから違ふと思ふ。つまり他の大作家の名作は、いはば完全に仕上げられた工芸品だとすると、西遊記はそれを材料にして、またひとつの作品を作りあげられる、芸術の素材となれるものだと思ふ。そこで私はこれからたゞ西遊記の梗概訳を短かく書くことで、西遊記の生命のぬけがらのやうなものを読者につたへたくない。たとへば画家が芸術家の良心をもつて古典の模写をして、ほかに別の生命をもつた作品を書きあげることができるやうに、私も西遊記にたいする自分独自の模写をすることで、たとへ西遊記の形骸を伝へることはできなくても、西遊記の生命のやうなものを私を通して、読者にお伝へしたいと思ふ。

  一九四七年六月            田 中 英 光 

 
(「西遊記」 呉承恩 田中英光)

 

国語の習得が日本国民としての義務であることは申すまでもない事である。然るに国語には曰く仮名遣、曰く送仮名、曰く漢字の正俗、曰く何々と、其の記録に関聯した附帯事項が多くて、其の正しき習得は容易ならぬ事である。さればとて、便宜主義に従って国語の正雅を撹乱するやうな事は厳に慎まねばならぬ。自分だけの備忘のやうなものなら未だしもであるが、公文書や広く人の眼に触れるやうなものを、「面倒だ。」の一言で片附けて了ふのは、余りにも不忠実であらう。

けれども、事実上述のやうな難関が横たはつて居るのである。此の難関を何とかして突破し得る便法もがなと考へたのが、本書編纂の動機であり、又目的である。

本書載録の語彙の蒐集・編纂に関して、終始助力の労を惜しまれなかつた田卷素光氏に感謝の意を表する。

昭和十一年十二月

吉澤義則

 

(「用字用語必携」 吉澤義則編)

 

 

          緒 言

従来ノ典範用字ハ旧キ慣例ヲ踏襲セル陸軍独自ノモノナリシモ今回国定教科書ノ用字ヲ参照シテ之ヲ改正シ一般的ノモノト為シ以テ読解ヲ容易且正確ナラシムルト共ニ壮丁、陸軍諸生徒等ノ教育ニモ便ナル如クセリ

改正セル主ナルモノ左ノ如シ

一、送仮名ハ概ネ国定教科書ニ一致セシム但シ二、三ノ読方アルモノヲ辨別スルトキ及慣用アルモノニ対シテハ若干ノ変例ヲ設ケタリ而シテ此ノ結果ハ恰モ法制局用字例ト概ネ一致スルニ至レリ

二、濁点、半濁点ハ従来之ナカリシ為往々文意ノ明瞭ヲ欠キ又誤解ヲ生ズルノ虞ナシトセザリシヲ以テ大正十五年内閣訓令号外ノ趣旨ヲ採リ之ヲ附スルコトトシ文部省関係ハ勿論陸軍諸生徒ノ教授方面竝ニ法制局用字例トモ一致セシメタリ

三、国語ノ「ローマ」字綴ハ昭和十二年九月二十一日内閣訓令第三号ニ拠ルコトトセリ

四、前記ノ外典範令記述ノ参考タルベキ事項ハ概ネ之ヲ本書ニ網羅セリ而シテ其ノ大部分ヲ占ムル用字ノ部ハ送仮名、同訓異義等ノ紛ラハシキモノヲ集メ之ヲ字引式ト為シ匇々ノ間容易ニ索出スルニ便ナラシメ其ノ他ノ部ニ於テハ原則事項及特別ナル字句等ノ説明ヲ為シ附録ニハ典範令記述ノ要領ヲ示セリ

 

(「典範用字例」 教育總監部)