【からはだふくらか】によって、全ての生命は、死ぬその時まで、快い身体で、愉しく、悦びにあふれた毎日を過ごします。
わたしは、死ぬ瞬間まで成長し続け、全ての生命から感謝を受けて、豊かな暮らしをすることができます。
ありがとうございます。
お身体の調子が悪いと、気持ちが滅入りますよね。
と、いうように、感情というのは、後からついてきます。
例えば泣くというのも、悲しいから泣くのではなくて、泣いたから「悲しい」と、思うことにするんですね。
脳みそは、ここら辺のすり替えが上手なので、逆のように感じますが、実は行動が先です。
野球で、バッターが球を打つ時、考えてからバットを振っていたら、絶対に間に合いません。
考えてから振るんではなくて、振ってから「打とう」と思うんですね。
身体の反応が先で、頭はそこに意味づけをしているのです 。
脳ミソの細胞の数は、多く見積もっても1000億単位で、身体全体は60兆ですので、かなり桁が違います。
大きさが違いますから、当たり前ですが。
と、いうことは、身体の方が、頭が良いし(?!)、正しくてウソをつきません。
頭は結構頭が悪くて、つじつまを合わせるために、ウソをつきます。
精神的な症状と思われるものも、つまり身体の症状から、引き起こされると考えられます。
ですので治すのも身体から、という方法はもちろん有効です。
何かを判断するとき、身体の直感は、大抵正しく、
そこを一回、頭で考えてしまうと、身体の声が聞こえなくなって、間違ってしまったりします。
多数決なら、圧倒的に身体の方が勝つんですが、頭は声が大きいので、そっちに目が向きやすいのです。
これは、今のマスコミと一緒です。
声が大きいから、正しい、って訳では、当然ありませんよね。
静かにしてもらい、身体の声が聞こえる状態を作ることが、大切なんです。
元気がなかったりすると、もっと明るくならなくちゃとか、元気出さなくちゃとか、思ったりしますが、それはNGです。
元気がない時は、元気なくいれば良いんですよ。
シンドイ時は、シンドイ、と、辛い時は、辛い、と意思表示して、助けてもらえば良いんです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210118/17/karahadahukuraka/c6/06/j/o0640048014883462572.jpg?caw=800)
無理をする必要なんてありません。
滋養強壮の為に食べたり飲んだりする必要もありません。
ちゃんと自分の今を全うさせて上げる以外に、かいふくする方法は無いんです。
感情は否定すると、身体へのダメージとなってしまいます。
ツラい悲しい頭にきた憎たらしいムカつく、などという、何となく負の感情と思われるようなものでも、それはそう感じたのだから、そのまま感じれば良いのです。
もちろん、楽しい嬉しい気持ちいい、というのも、そのまま感じるべきものです。
でも、ヘンに執着したりして、もっと楽しまなきゃとか、もっと嬉しがらなくちゃ、気持ち良くならなくちゃ、とか余計なことを考えてしまうと、違うこと、ヘンテコリンになっていますよ。
悲しみとか、ツラさとか、を感じたとしても、こんなことではダメだ、と振り払おうとするのではなく、とことん悲しんで、ツラくなった方が良いのです。
感情をそのまま感じられると、何が良いのかといいますと、後に残らないんですね。
感情を否定したり、加工したりしてしまうと、身体に残ってしまいます。
それが悪さをします。
感情は身体で感じるものです。
それを頭が後付けして、悲しいんだ・嬉しいんだと思うのですが、そこで感情の否定や加工を、頭がしでかすと、身体にダメージとして、蓄積してしまいます。
感情は、今この瞬間のもの。
思考は常に過去か未来のもので、今を考えることは不可能なんです。
身体の方が、頭が良いのですから、身体のままに生きていれば、間違いがありません。
が、
人間は余計な考えをする頭というものを持ってしまったために、余計な考えをこねくり回して、身体に背いてしまうことも、してしまうのです。
本当は身体が主で、頭は従であるべきなのですが、どうもしゃしゃり出てきて、主従関係をひっくり返そうとするんですね。
それが続くと、身体を壊してしまうワケです。
何度も言いますが、頭はよく間違えますが、身体は、まず間違えません。
最近はやりたいことを、やりたいようにやろうという、風潮が出てきましたが、
これもつまり、身体の要求を聞き入れましょう、ということです。
頭で考えれば、コッチの方が得だとか、安全だとか安心だとか思えても、でも何となく気が進まないとか、仕方がないけどやってても楽しくない、というのだったら、やっぱり間違っているんです。
間違うことは、悪いことでも何でもありません。
人間なんだから、間違って当然。
間違ってるな、と思っても、修正しないことが良くないことで、間違ってたと思ったら、すぐ修正してしまえれば何の問題もありません。
世間体を気にしてマスクを外せないでいるのなら、取らないと、身体が悲鳴を上げますよ。
これは、マスクの効能云々ではなく、感情の問題として語っています。
そんなマスクくらいで、と、思っているかもしれませんが、毎日毎日、嫌だなと思いながら、マスクをし続けるって、心にとって、相当な負担ですからね。
子どもさんなら、なおさらです。
必要なのは勇気では無く、自分の身体をどれだけ大事に思っているか。
くれぐれもご自愛くださいますよう。
「堅苦しい戒律だらけの《思想》も《信仰》も持ち合わせてねえが」
「魂は伝達可能だ・・・それだけは信じてる」
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「私が実験室の内外で発見した病気の原因は、医薬品、食品、空気、土壌、水の汚染です。
ウィルスには核が無く、生きていない。」
・・・・Aajonus Vonderplantiz
「ウイルスは、単に有毒細胞の排泄物です。
ウイルスはDNAまたはRNAの断片であり、他にいくつかのタンパク質がある。
それらは細胞から出る。
その反応は細胞が毒されたときに起こるもので、病気の何の原因にもなりません。」
・・・・ Thomas Cowan MD
ウィルスが生物でない、という意味がこれで分かります。
ウィルスは原因では無く、結果だってことですね。
病気の人の身体を見たら、そこにウィルスってのがいた。
その状況証拠だけで、病気の原因に仕立て上げられた、えん罪です。
ウィルスが増殖しているように見える、ということは、つまり、身体が毒に素晴らしく反応したっていう事です。
とりあえず、ウィルス性の疾患といわれるものは、この世には存在しないってことです。
ウィルスに感染したいと願っても、それは無理だということ。
別の毒、そして気分によって、発症しているということ。
リーキーガットでウィルスが作られる、という説はかなり有力だと思います。
それに、別に病原なんて無くたって、目の前で、ゲロ吐かれたら、気分悪くなって、つられて吐くっていうのと一緒。
同調とかミラーリングとかっていうので病気に罹った気分になっている、という部分も、かなりを占めていると思います。
本人は本当に病気だと信じていれば、重症化だってしますよ。