生まれ変わったら・・・ | 空庵つれづれ

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宗教学と生命倫理を研究する中年大学教師のブログです。



話題は、日々の愚痴から、学問の話、趣味(ピアノ、競馬、グルメ)の話、思い出話、旅行記、



時事漫談、読書評、などなど四方八方に飛びます。

旧ブログ「ヴァージニア日記」で、ピアノを弾く人についての100の質問 、という

なが~~いバトンに答えた時に、


1)人間以外の動物に生まれ変わるとしたら、断然カバがいい!

2)人間に生まれ変わるとしたら、プロゴルファーになりたい!

ということをチラッと書いた。

今日は1)の話ではなく、2)の話。


相撲もそうだが、ゴルフの中継も最近はほとんど観なくなった。

以前は、海外のメジャー大会(マスターズ・全米オープン・全英オープン・全米プロ)

は必ず観ていたのだが、こういう英米の大会は時差の関係で深夜か早朝にTVを

観なくてはならず、仕事も忙しく体力も落ちてくると、なかなか集中して観られない

からである(ビデオに撮って後で観る、というのはちょっとね・・・)。

で、なんでゴルフか?

ということだが、

1、ゴルフというのは、もっとも精神的な能力の比重が高いスポーツ

  だという点。

2、ゴルフは、性格的にもっとも私に向いているスポーツ(?)
  だと思えることである。

すべてのスポーツを知っているわけではないので、断言はできないのだが、

そのスポーツの一流選手がしのぎを削り合うメジャーな大会で、
40代の選手が20代の選手に勝つこともある
というようなスポーツが他にあるだろうか?


ちなみに、メジャーと呼ばれる大会の最年長での優勝記録は、

ジャック・ニクラウスが1986年にマスターズに勝った時(ニクラウス自身は

この時が6回目のマスターズ優勝)で46歳2ヶ月。


同じマスターズでの最年少優勝は、1997年のタイガー・ウッズで
21歳3ヶ月だった。

同じ選手が、20代のときから40代のときまで6回同一大会で優勝する

ことも、同じ大会で倍以上年齢の違う選手が優勝することも、他のスポーツ

ではまずないのではないだろうか?


スポーツとしてのゴルフの特異性は、他にもある。

たとえば、1ホールだけプレーしたとすると、

まったくのアマチュアがニクラウスやウッズに勝ってしまう、ことは不可能ではない。
(たとえばあまり難しくないパー3のホールで、そのアマチュアがまぐれでホール
インワンを決めたとしたら、おそらく99%勝てるだろう)


1ラウンド(18ホール)プレーしたら、そういうことは100%ありえないが、

プロなら、三流の選手であっても、ニクラウスやウッズに勝つことはいくらでも

あり得る。

また、一つのトーナメント(通常4ラウンド)になると、ニクラウスやウッズに勝つ

のはぐっと難しくなる(特に、難しいコースになればなるほど)だろうが、

一流とは言えないプロ選手でも、十分可能だ。

それが、一年間通して複数のトーナメントに勝ち、多くの賞金をかせぐとなると、
俄然難しくなるが、それでも超一流とは呼べない選手が、好調時にそのような
結果を残せることがないわけではない。

逆に、メジャーのような大きな大会(当然コースは大変難しい)を1回勝つだけ

なら、超一流とは呼びにくい選手でも(運が味方すれば)可能ではある。

ところが、さらに数年、数十年の長さにわたって、多くのメジャーの大会に勝ち、

彼らのようなすごい成績を残せるプロ、となると、それこそ両手の指に余るぐらい
しかいなくなる。


他のスポーツでこのようなことがあるだろうか?


超一流のピッチャーが投げたボールを、素人がまぐれでホームランにすること、

などできそうにない。

100mの世界記録をもつランナーがいくら調子が悪くても、高校国体で優勝

したぐらいの選手に負ける、などということも考えられない。


つまり、ゴルフというスポーツにおいて、いかに
・精神的な要素が大きいか  
ということと同時に、

・人間の力ではどうしてもコントロールできない自然の力が大きいか
ということが上記の事実になって現れているのだと思う。

つまり、ゴルフは、

「極限まで自分をコントロールする力」と同時に
「コントロールできないものの前で謙虚になる力」
の両方を要求するスポーツだということだ。

後者は、言い換えると、「妥協できる能力」なのではないかと思う。

たとえば、強い横風が吹いていて、下手をするととんでもない方向にボールが

流されてしまう可能性があるような場合、それを正確に計算するよりはむしろ

そのホールで攻めていく(バーディーを狙いに行く)ことをやめて、安全にパーを

とりに行く(場合によってはボギーで十分という気持ちで向かう)ことが必要に

なる場合がある。

途中で自分の身体のどこかに不調を感じたような場合も同じだろう。

そういう時に無理して攻めると、とんでもない大叩きをやってしまい、その試合

での上位入賞の可能性をまったく断たれてしまったりするが、逆にそこで、

「まあ、今日のところはこのあたりでしょうがないか」と妥協して次の日に備えた

ならば、明日は明日の風が吹き、十分巻き返せることもあるのだ。

つまり、さっきの二つをもう一度言い換えると、
「自分を高めようとする不断の努力」「必要なときには妥協する能力」

両方がなければ、ゴルフでは一流の選手にはなれない、ということだ。

でも、これはある程度他の分野にも当てはまるような気がする。


その話はまた次回。