「歴史的な日」になるはずが・・・ | 空庵つれづれ

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宗教学と生命倫理を研究する中年大学教師のブログです。



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時事漫談、読書評、などなど四方八方に飛びます。

日本の競馬ファンにも、アメリカの競馬ファンにも、

今日は「歴史的な日」になるだろう、と期待されていた。

アメリカ、ベルモントパーク競馬場で行われたベルモント・ステークス

(アメリカ3歳三冠を競う最後のレース)で、

1978年のアファームド以来30年ぶりの三冠馬を狙う
ビックブラウン(写真左)と日本馬カジノドライヴ(写真右)

一騎打ちが観られるだろう、と誰もが思っていたのだ。。。



Big Brown  カジノドライヴ

日本にも三冠レース(皐月賞・ダービー・菊花賞)というのがあり、

古くはセントライトやシンザン、その後はミスターシービー、シンボリルドルフ、

ナリタブライアン、ごく最近ではディープインパクトという馬が三つのレースを

すべて勝ち、「三冠馬」になったということは、競馬をあまり知らない方でも

ご存じの方がいらっしゃるのではないかと思う。

ちなみに、日本の三冠レースとアメリカの三冠レースはかなり体系が違う。


まず、日本の三冠レースは、一冠目の皐月賞と二冠目のダービーが(間に5週おいて)

春に行われ、三冠目の菊花賞が秋に行われるのに対し、
アメリカの三冠レースは、一冠目のケンタッキー・ダービーから2週間後に二冠目の

プリークネス・ステークスが、それからさらに3週間後に三冠目のベルモント・ステークス

が行われるというわけで、春のこの時期、5週間の間に三冠レースすべてが行われる

のだ。

もう一つの違いは、各レースの距離で、

日本の三冠レースは、皐月賞が2000m、ダービーが2400m、菊花賞が3000m

アメリカの三冠レースは、ケンタッキー・ダービーが2000m、プリークネス・ステークス

が1910m、ベルモント・ステークスが2400mとなっており、日本の方が距離の

差が大きい(その分、三つ全部を勝つには、オールラウンドな能力が要求される)。

距離の差の大きさや、暑い夏を越す、ということを考えると日本の方が三冠馬は出にくい
と思われるだろうが(実際、むかしはそうだった)、ここ30年で見る限りは、日本には

4頭の三冠馬が誕生しているのに対し、アメリカは「ゼロ」なのである。

(アメリカの三冠馬自体は、先に挙げたアファームドを入れて11頭いる)

実は、この30年の間に、ケンタッキー・ダービーとプリークネス・ステークスの二冠を制し、
「三冠馬」に大手をかけた馬は10頭もいる。

(そのなかには、「三冠確実」と言われた馬も3~4頭いる)

「日本の競馬を変えた!」と言われる大種牡馬、サンデーサイレンス(1989年)

もその一頭で、三冠目のベルモント・ステークスでは、ライバルのイージーゴーアーに

8馬身もちぎられての2着、、、涙を飲んだ。


さて、今年、その二冠を圧倒的な強さで制したのが、ビックブラウンである。


「30年ぶりの三冠馬誕生」は確実だと言う人もいたが、そのビックブラウンの前に、
とてつもない可能性をもったライバルが出現した。


日本でデビュー戦を圧勝した後、はじめからベルモント・ステークスを目指して

アメリカ入り、わずか2戦目で出走したピーターパン・ステークス(ベルモント・ステークス

のステップレースの一つ)という重賞を、2着に4馬身の差をつけて圧勝した

カジノドライヴである。

ベルモント・ステークスの日が近づくにつれ、話題は「ビックブラウンの三冠達成」

か「日本からやってきた新星カジノドライヴによる三冠阻止」かで持ちきりになった。

この対決には、単にどちらが勝つかというだけでなく、いろいろな歴史や因縁

が絡みついていて、それがまた競馬ファンの熱狂をますます駆り立てることになった。

まず、
カジノドライヴの血統!

この馬の兄には、2006年の同レースを勝ったジャジル、

姉には、2007年の同レースを勝ったラグストゥリッチーズがいる大変な良血馬、

そう、もしこの馬が勝つと、
3兄弟(一頭は牝)によるベルモント・ステークス三年連続制覇
という偉業が達成されることになるのだ。

そのカジノドライヴに騎乗することになったのが、エドガー・プラード騎手というのも

大いにファンを沸かせた(カジノドライヴをピーターパン・ステークスで勝利に導いた

ケント・デザーモ騎手は、ビックブラウンの騎手(!)なので、本番では乗れないのだ)

プラード騎手は、2002年にサラヴァでこのレースを制し、ウォーエンブレムの三冠を

阻止、2004年にもバードストーンでこのレースを制し、その時もスマーティージョーンズ

の三冠を阻止したことで、「三冠阻止男」という異名をとっていたからである。

さらにさらに、
ビックブラウンに騎乗するケント・デザーモ騎手(日本でも何度も騎乗しているので
日本のファンにもおなじみ)にも、苦い思い出がある。

ここ30年の間に二冠を達成しながら、三冠目のベルモント・ステークスで敗れた

10頭のなかで、一番「三冠に近かった馬(僅差で2着に負けた馬)」というのが、

1998年にデザーモ騎手が乗ったリアルクワイエットという馬なのだ!

このように、いくつものドラマを背後に抱えた歴史的なベルモント・ステークス

だったのだが、

結果は、とんでもなく期待はずれのものに終わってしまった。。。

レース直前になって、

なんと、カジノドライヴが出走取消!!!

(後ろ脚のザ石(ひづめの炎症)のため。症状は軽度で、普通だったら出走も可能な

状態だったようだが、これだけの馬、無理をして故障でもすれば取り返しのつかない

ことになる危険性もあるので、陣営の大涙を飲んでの英断だと思う)

こうなると、残りは「ビックブラウンの三冠達成」しか興味がなくなったのだが、

なんとレースでは、3番手の外を進んでいたビックブラウンが3コーナー過ぎから

どんどん置かれていき、4コーナーを回ったときには最後方、直線ではデザーモ騎手

はまったく追わずに馬を止めにかかり、ほとんど歩くように大差シンガリでのゴール。。。

その後のビックブラウンが歩いているところを見ても、脚を故障したり、心臓や肺に

異変があったようには思えない。
スタート直後、外に出そうとした際に他馬にぶつかってカーッなり、少しの間、
折り合い

を欠いたこと、とか、調整過程に狂いがあった(爪の炎症で3日間ケイコを休んだ)こと

とか、父が短距離馬を多く出しているバウンダリーで母系も短距離系の馬が多く、

2400mの距離に問題があったのだ、とか、

いろいろ敗因がうわさされてはいるが、ここまでの二冠レースでの圧倒的な強さを

観たものとしては、どうも「?」である。

(どれをとっても、あそこまで無様な負け方をするほどの原因ではなさそうな気がする)


いや~、競馬は難しいです。。。


ちなみに、勝ったのは、ダタラという馬(逃げ切り)。
英語表記ではDaTaraとなっていたが、何語でどういう意味なのか?

レースが終わった後のリプレイの放送を聴いていた私には、

「だったら・・・・」という風に聞こえてしまった。

勝ちタイムもこのレースの平均以下で、勝ち馬がこの後大した活躍をせずに終わった
場合、
このレースは「ビックブラウンが不可解な大差負けをしたベルモント・ステークス」として

ファンの記憶に残りそうだ。


カジノドライヴには、今後、
「あのカジノドライヴが出走を取り消したベルモント・ステークス」とも
アメリカのファンに言われる
ような大活躍を期待したい!