アメリカ三冠ライバル物語 | 空庵つれづれ

空庵つれづれ

宗教学と生命倫理を研究する中年大学教師のブログです。



話題は、日々の愚痴から、学問の話、趣味(ピアノ、競馬、グルメ)の話、思い出話、旅行記、



時事漫談、読書評、などなど四方八方に飛びます。

実はおととい左足首を捻挫、なんとか家の中では松葉杖を使わずに歩くことができる

ようになったものの、まだかなり腫れており、不自由なことこの上なし。。。

なんとか今週末の名古屋出張までには良くなっていることを願うのみ。


今日のお話は、前回のオマケで、

アメリカ競馬三歳三冠についてのエピソード。

私が知る限り、アメリカ三冠レース(ケンタッキー・ダービー、プリークネス・ステークス、

ベルモント・ステークス)の三つ全部で、同じ2頭の馬がしのぎを削り合い、

その2頭で全レース1・2着を占めた、という例は二度しかない。

(私がアメリカの競馬を観るようになるずっと昔には他にあったのかもしれないが)


1978年の アファームド と アリダー

1989年の サンデーサイレンス と イージーゴーアー


の二回である。


前回のブログに書いたとおり、

1978年のアファームド以来、アメリカの三冠馬は出ていない(今年もダメだった)。

つまり、アファームドは三冠レースすべてに勝ち、

アリダーは、そのすべてのレースでアファームドに敗れて2着だったのである。

しかも、その着差は、ケンタッキー・ダービーが1馬身2分の1差、プリークネス・

ステークスがクビ差、ベルモント・ステークスがアタマ差、という具合に、

レースを経るごとに縮まっていったのである(ついにアリダーは逆転できなかった

わけだ)。

最後のベルモント・ステークスのレースはビデオで観たことがあるが、スタートした

瞬間から文字通りのマッチレース、ほんと観ていて鳥肌が立つような

凄絶なレースだった。

実は、このアファームドとアリダー、その前年の2歳時(デビューした年)から

けっこう対戦していた世紀のライバル同士で、2歳時は6戦してアファームドの

4勝、アリダーの2勝、アファームドに分があったものの、アリダーがいつも負けて

いたわけではない。

三冠レースの後、両馬は一度だけ、トラヴァーズ・ステークスで対戦しているが、

この時もレースはアファームドが先頭でゴールインし、対アリダー対戦成績は

8勝2敗になるかと思われたが、アファームドが進路妨害で降着になったため、

アリダーの優勝(アリダー陣営としては、勝っても嬉しくはなかっただろう・・・)。
結局、両馬の対戦成績は、

アファームド7勝、アリダー3勝と、アファームドの優位は揺るがなかった。

面白いのは、この後である。

アリダーのファンたちは、「種牡馬になったら絶対アリダーの方がアファームド

より成功する」と信じていた。
血統は、アリダーの方がすばらしく、馬体も実に見事だったからである。

実際、その通りになった。

次に話すイージーゴーアーや、アリシーバ、ターコマン、ストライクザゴールド

など、アメリカの大レースを勝った馬をたくさん出したアリダーに対し、

アファームドは、これといった子どもを残せなかったのである。



さて、その11年後、

そのアリダーの子で、デビュー時からとてつもなく強いレースを見せつけ、
父アリダーが全部2着だった三冠をとり、父の無念を晴らせるのではないか
と評判の馬が出現した。

それがイージーゴーアーである。

ところが、そうはうまく行かなかった・・・

ケンタッキー・ダービー、プリークネス・ステークスと二度続けて、

イージーゴーアーは、サンデーサイレンスに敗れたのだ。

しかし、父の場合と違ったのは、

ケンタッキー・ダービーで2馬身2分の1もあった着差が、プリークネス・ステークス

ではハナ差に一挙に縮まったこと。

三冠目のベルモント・ステークスでは、今度こそイージーゴーアーの逆転なるか、

と応援するファンの方が、サンデーサイレンスの三冠を願うファンより若干多かった

気がする。

レースはあっけなく終わった。


2400mの距離適性の差もあったのだろうが、
イージーゴーアーがなんと8馬身もの大差をつけてサンデーサイレンスを破り、

三冠を阻止、一矢報いたのである!

ちなみに、この後は、両馬は同じ年のブリーダーズカップクラシックで
一度だけ対戦、サンデーサイレンスがクビ差で勝ち、

対戦成績はサンデーサイレンスの3勝1敗に終わった。

さて、今度も、種牡馬になってからの両馬がどうなるか、に注目が集まった。

種牡馬としてのアリダーの成功、イージーゴーアー自体の血統、馬体の良さから、

アファームドとアリダーのパターンと同じく、
「レースではサンデーサイレンスが優位だったが、種牡馬としてはイージーゴーアー

の方が成功するだろう」

と予想する関係者が多かったようだ。


ところがところが、

巨額のシンジケートを組まれて種牡馬入りしたイージーゴーアーは、

4年間種付けを行い、計136頭の産駒を残しただけで、心臓麻痺にて急死してしまう。

産駒もこれといった活躍馬は出ずに終わった。

逆に、サンデーサイレンスは、

大した血統ではないこと(イージーゴーアーとの比較で)が嫌われたのか、

あまり人気が出ず、種牡馬として日本に売られることになる。

そして、その後は、(ちょっとでも競馬を知っている人にはご存じの通り)

日本の競馬を変えた、とまで言われる大種牡馬となり、

産駒は数々の大レースを続々と制覇、

サンデーサイレンスの血統は、日本を超えて、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア

にも広がっている。

日本で走ったサンデーサイレンス産駒としてはとりたててすごい成績を
残した馬とは

言えない(高松宮記念で2着に入ったぐらいで、G1レース優勝歴はない)

ディヴァインライトという馬がヨーロッパで種牡馬になったのだが、

今年、その子であるナタゴラという牝馬が、フランスの1000ギニー(日本の桜花賞

に当たる)を勝ったのには驚いた。

アメリカの競馬関係者は、

サンデーサイレンスを日本に売ってしまったことをずっと後悔し続けているらしい。

まあ、こういう話は、人間の側から観たドラマなので、当の馬たちにはあずかり知らない

ことなのかもしれないが、ホント、面白いですよねぇ。


(6.12付記)

この前の記事もなのですが、私はサンデーサイレンスとイージーゴーアーが三冠を

争った年を間違えていました。(誤)1984年 → (正)1989年

すみませんでした(本文の方はすでに訂正してあります)


また、それではっきりしたのですが、イージーゴーアーに父アリダーがすべて2着に

終わった三冠制覇の夢をファンが託したとき、もう一つ重要なエピソードがあった

のです。

それは、この2年前(1987年)、同じアリダー産駒のアリシーバが最初の二冠を

制覇しながら、やはり最後のベルモント・ステークスで敗れて涙を飲んだ、という

ことで、その分の期待もイージーゴーアーにはかかっていたんですね。
結果的には、イージーゴーアーは、アリシーバが勝てなかったベルモント・ステークス

だけを勝ったので、この2頭で父の無念を晴らした、と言えなくもないですね。