小さなお雛様 | 娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

19歳のひとり娘が自死・残された母のこの世の地獄・生きる希望を求めて・それとも後を追う?

娘のために亡き母が購入してくれた大きな七段飾りは、この家に越してくるときに、保管の場所も飾る空間もないため、近くの幼稚園に無理矢理に寄付、という形で手放してしまいました。

 

娘は、当時小学6年生で、このことをとても悲しがっていました。

 

私は、娘亡き後、お雛様を手放したことをとても後悔しました。

娘のためにお祝いに購入したお雛様…これは娘のものであり、彼女に手渡すべきであったこと…権利はあの子にあったのではないか…それを勝手に捨ててしまったのは、まるで彼女自身を粗末にしたように、あの子は勘違いして傷ついたのではないか…

 

そして、自死したことは、お雛様を粗末にしたことが関係しているかのように、心に罪悪感として残り、ひどいことをした、という後悔に結び付いています。

迷信、というのとは少し違うのです…

 

その後、娘にはお雛様は新たに購入はしていません。

娘は、新しいお雛様を購入することに何の興味も示さず、きっと母親から自分の大切な物を捨てられた、というような裏切りの気持ちでいたような気がします。

とても心が痛みます。

 

なので、娘のためのちゃんとしたお雛様は、もうありません。

が、私が独身の頃にちょっと仕事上で関係があった博多人形の小さなお雛様と、犬筥を時折飾っています。

他には、趣味で所有するアンティークの幕末の古いお雛様がありますが、今回は心境的に飾る気持ちになれず、飾ることはできませんでしたが、娘亡きあと、一度だけ飾ったことがあります…その頃は精神的に安定していたのでしょうね…

 

今年は、ぎりぎり三月三日に、先日購入した文机の飾り台?を舞台のようにして、博多人形の有名な人形師 (故・戸畑茂四郎先生作) を飾ることにしました。

ちょうど、骨董市で手に入れた古布で作られた着物のウサギさんや、人形作家の創作ウサギなどと一緒に舞台に置くと、まるで競演しているかのように、場にぴったりではありませんか!

 

今年は、手作りのチラシ寿司も桜餅も、ごちそうも作らず、「お節句」のお祝いはしませんでした。

昨年は亡き娘のことを思い、料理したのですが…今年はひどい花粉症になり、体調も良くなく、精神的にもパワーがないため、「三月三日の女の子のお祝い」を、気持ちだけ、スーパーで「娘の好きな物」を買いお供えしました。

 

先日購入した文机の雛人形が、パワーを落としている私の心を慰めてくれます。

 

きっと娘も「可愛い」と言って「ウサギ雛さん」たちを眺めている気がします。

お雛様の前にあるピンクの「蓮花」の折り紙は、娘が折ったものです。

 

 

 

先日、なんとなく訪れた福岡の小京都、「秋月」で、「お雛祭り」が開催されていました。

好例の「階段雛」です。この秋月の骨董店で「着物ウサギ」を買いました。