ブロ友さんが感想を書かれていて、あ、観てみようかな…と軽い気持ちでyoutube で予告編を数秒拝見しただけで…駄目でした。
「ほどなくお別れです」という映画。たった1分ほどの間でも…。
心臓が早打ちし、かなり動揺と嗚咽一歩前になりましたので、やっぱり断念…ですね。
これは大丈夫そうだ、題名からして「ほどなく」ですから、一時的にお別れ(死別)するけれどもあの世で再会する…期待がある、絶望的ではない…そんな感じがしたのですが…。
いつか、なんという題名だったか…納棺士さんの映画などもあることも聞いてましたが、やはり心がついていけそうにないので予告編すら観ていません。
娘の自死の2018年から8年経っても、「所詮小説であって作り話」と理屈で割り切ろうとしても、駄目なんですね。
駄目ではないタイプの物もあることはあるのですが…。
人の死を事件として扱った刑事ものとか、科捜研、お化け、吸血鬼…そういったものは私の場合は大丈夫のようです。
人にもよるのでしょう。
直後からこういった葬儀中心とした物語、場面が多く「かなり直接的」な映画を観ることができる人、できない人…。
私の場合は、時期に現実逃避という作戦…と言いますか本能的に逃げる、というのを覚えてきて、「自我を取り戻す」こと、独身時代や子供時代の頃の利己的な思考に返る…それを逃げの手段としてきたのです。そんな感じで8年。
必死で夢中になっていた物を掘り起こし…悲惨な現実を忘れるように逃げて来たんだと思います。
新しく出会った物も有効でした。
心に大怪我し、見るものすべてが悲しみ苦しみにつながって、朝目覚めることが怖かった。
物を増やすことが恐怖だったのが、今や家具を含めて随分増えました。
家具、食器、服、アクセサリー、ギターを弾く、珈琲、料理…etc.
ブログで自死遺族の方々との出会いも。
癒しの気持ちを重視した結果です。
今日、一週間、または長くても一か月くらいのことしか「考えません」
未来なんて「ない」のですから。
昔のドラマのセリフですが、「死して屍拾う者なし」というのが私の将来の現実。
娘の自死は私を半分失うことでもありました。
これは、恨みではなく、娘が過去に「いた」ことは幸福なことでもあったのですから、彼女の喪失が私自身の半分喪失でもある、ということに過ぎないのです。悲しみ痛みが消えることはありませんが、あの子への感謝と愛も消えないのです。
逃げることは、こういったことも普段考えることなく馬鹿みたいに「ただ起きて食べて寝て」を繰り返すことだけにしてきた、ということです。何も考えない。ドラマを観てスマホで脳トレして「脳」を思考停止させてきました。ごまかしの人生。
ただ…シビアな映画など、ちょっとしたきっかけで、逃げてきた現実にピントがあってしまうと、一気に崩れてしまいます。
やっぱり、苦手な物語…葬儀が中心にある映画、ドラマは当分観られなさそうです。
数人の方のブログに観てみます、とコメントしてしまいまして…(-_-;)
すみません!