美しい文机・南国の楽園の音楽 | 娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

19歳のひとり娘が自死・残された母のこの世の地獄・生きる希望を求めて・それとも後を追う?

娘が亡くなり、しばらくは「物」を買うことが怖い、という気持ちが強く、周りの物たちの運命も「終わり」という気がした。

 

もう誰も私たちが愛した「物」の「その後」を面倒見てくれる人がいなくなった…すべて大切にしてきた物はゴミクズとして捨てられることの悲しさ…孤児になったような寂寥感…心細さ…これらは、天涯孤独の人間か、その一歩手前の状況に置かれた人間にしかわからないだろう。

 

物を増やしてはいけない

 

ところが、1年ほどくらい経ち、自分の服を買い、娘の祭壇に仏像や小物、人形、プレゼント、縫いぐるみ…その他エトセトラを買い…癒しのためにギターを買い…少しずつ「物」は増えていった。

 

先のことの心配より、「現在の悲壮感」に対しての「癒し」を優先した方がいい気がしてきたからだ。

ちょっとでも癒される「物」…物…モノ

 

今では、不要な物まで増え、モノで溢れかえり、部屋はどんどん狭くなっている。

 

家具は特に注意しなければならないが、「同じ種類の物の交換」であれば罪悪感も多少は減る、というもの…

 

先日、県内のほとんどすべて網羅している、といういくらい訪れる頻度の多いリユースショップで、ひと目で気に入ってしまった小さな文机を衝動買いしてしまった。

カリモクという高級家具で、美しい木と丁寧な装飾が頭から離れなくなり、娘の祭壇の、葬儀屋さんが設置していった「お線香やお供えを置く台」を入れ替えたらどうだろうか…と思い立ち、即決した。

 

右側に本立てのようなケースが作り付けてあるので、少し祭壇としては違和感あるものの、娘の友達からの手紙や大切な物を入れることも出来、上にステンドランプや飾りも置けるので、今までの祭壇のイメージが少し軽くなった気がする。

 

娘が見たら、きっと…「何を無駄遣いしてるのよ」と、わたしをたしなめたかもしれない。

ただ、この机を見る度に、なんだかホッとするような木の温かみに癒されている。

次の誰かの手に渡るまで、私の所に来てもらい、ちょっとの間、慰めてもらっているだけ…しばらく、この美しい家具とのご縁を得た、というだけのことだ…と、娘と自分に言い訳している。

 

 

南国の楽園の音楽

 

最近ハマっている、Gangi という人のギター曲

イタリア組曲から「アダージョ」

 

2人の男性が、なんだか、のんびりと幸福感いっぱいにギターを奏でている…なぜか私にはちょっとコミカルにも思える様子で、南国の海岸の砂浜で、呑気にギターを弾いている。

動画の中の「折り紙の車輪付きボート」が可愛い

 

これは、南国の楽園であり、天国の風景に思える。

娘と主人と3人、夏の砂浜での貝殻拾いを思い出す、幸福だった頃の記憶が蘇る