2月は「逃げる」、3月は「去る」
つらい、この2か月を毎年過ごしてきた。
今日、主人が娘とのラインのやりとりを見始めてしまい…落ちた。
私は、今まで、心の中で焦点を合わせないようにして、できるだけ娘の「不在」について心の中をボカシてきた。
毎日娘のことを思わない日は「ない」
ただ…もし…自死、あの日、私の前夜の叱責…いろいろなことにはっきりと「焦点」を合わせてしまったなら…私は、いつかのように、お酒にどっぷり漬かり、死の方向へ「過失的」に、投げやりに、「やってしまう」可能性があると思う。
だから、外に逃げ、音楽に逃げ、物を買い、焦点が合うのを避けてきた。
この世で最もつらい地獄というのは子供を失うことだと思う。これほど残酷な拷問はない、と思う。
主人に
「ラインをあまり見ない方がいい」
と言ったときは、すでに遅かった。
むせび泣きをし、すぐに寝室に上がって行ったが、私も落ちた。
聴いていたギター曲が、呼応する。
音楽そのものに焦点をずらし、娘の死から逃げようとする
息が激しくなり嗚咽しそうになるのをギリギリで回避する
最近、この Mario Gangi という作曲家の 22の技巧的練習曲にすっかり夢中になっていて、耳から離れない。(ショパンやリストの練習曲、エチュードというものと同様で、練習するための曲などではないと思われる。上級者がコンサートで技巧をひけらかすための曲であり、それなりに難易度が高いようだ)
それぞれ22曲が個性的で魅力的。
特に、4番、9番、11番、19番が心に響いて仕方ない
19番は、広い海原を漂う一羽の白い鳥のようだ。
広い海の上をひとりぽっちで飛ぶ鳥
おそらく嵐が時折はげしくなるような、灰色の空
孤独、厳しい自然、自由と冒険の旅
人生そのもの
という風に私には聴こえる
この曲で、主人につられて嗚咽しそうになった
9番は、甘い思い出を語り昔を懐かしんでいるようだ
過去の幸福な思い出…今はもう「ない」、せつないメロディがやるせない
ギタリストの女性の演奏、その表情そのものが何だか悲しく、娘を思い出す