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BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw







G-DRAGONが作ったものは、ほとんどが大ヒットを出した。
自身のソロ曲で作った「嘘(コジンマル)」がBIGBANGミニアルバム1集(2007年)に収録されて大ヒットしたし、その後「最後のあいさつ」から「Haru Haru」「赤い夕焼け」に至るまで連続ヒットを出し続けた。





「みんなが大ヒットだと言っても実際僕たちは感じませんでした。
外に出る事が出来なかったから。
また放送局·宿舎·スタジオの周りをグルグル回ってるだけですから。
僕たちはまだ相変わらず「あの子たちどうしよう」という言葉を聞く子供に過ぎなかった。
1位をたくさんとっても、実感することは全くありませんでした。
ただ、観客の歓声が「歌手が出てきたからそうしているのだろう」と思っていました。
ステージに出ると誰もが絶賛するけど、その時は歌を歌っているのだから全くわかりませんでした。」





芸能人たちからいつも聞く言葉がある。そして心の中で繰り返して言う言葉がある。
まさに'次が本当に重要だ'だ。





「それは芸能人として最も難しい部分だと思います。
今回良くても、いつもいつも「次がもっと重要だ」と。
普通の方々は芸能活動をすることは簡単だと思われるんですが本当は違います。」







活動が終わっても安心しない。
もっと一生懸命やろう。ここで終わったらダメだ。次がもっと重要だ。という相次ぐ緊張感。




「終わりがどこなのか分からないです。
だけどファンたちを見ると力が出る。
BIGBANGを見て夢を育むというファンたちに会うと"あ~、これはふざけちゃダメだな(本気でやらないと)'と感じます。
責任感が大きくなるって言うか。」








もちろんBIGBANGメンバーたちは「休む体質」ではない。
休暇をもらえば一日二日家にいながらも'何かしなければならない'という思いでスタジオに出てくる。




「約束をしなくてもメンバーが出てきて、見たら踊っていたり、歌詞を書いていたり...
練習が日常化されました。
そしたら他の人より曲を多く書けるようになって選ぶことが出来るようになりました。
何より失望感を抱かれないために今までやってきたと思います。」




走り続けてばかりの時間、ファンたちを失望させれないという思いの中でもG-DRAGONはいつのまにかバランスを取る方法を学んだ。
彼が果たして何のために走り続けてきたのか少なくとも感じられるだろう。












自身のソロ曲だと思って作った「嘘(コジンマル)」をヤン·ヒョンソクYGエンターテイメント代表がBIGBANGのための曲にしようと、G-DRAGONはこの曲をメンバーたちの歌としてまた作り始めた。



「最初から作り直したからあまりにも力が抜けたけど、それでも再び作業をしました。
メンバーたちが果たして気に入ってくれるだろうか、心配しながら聞かせたんです。
これまでやってきた音楽とはかなり違ったため、メンバーらが初めて聞いた時は呆然としていました。
好きじゃないのかな?だったら仕方ないと思って黙っていました。
そしたらテヤンが「やってみよう!」と言ったんです。」



G-DRAGONは正直、その時のメンバーがどんな感情を感じたのかはまだ分からないと話した。
メンバーたちに自身のソロデビューのために作った曲を聞かせるという事自体、緊張した。
一言で言えば、彼の好みで作った曲を聞かせるのだから、それがどんな結果が出るのかを考える事さえ震えが生じた。



「ドキドキしました。メンバーたちに聞かせる事が....
だけど歌詞も変えて各パートに責任を持ってと役割を分けてあげると仕事がどんどんはかどりました。
社長​​はとても勘が良いんです。
"これは○月に出すべきだ"と、きっぱりと決めたら驚くくらい​​的中するんです。」






G-DRAGONが数えきれない程の多くの曲を作ればヤン・ヒョンソク代表は聞いて選ぶ。
ヤン代表は普段では気さくな町内の兄さんのようで叔父さんのようだが、仕事においては真似できない卓越した感覚を持っている。







「ヒョンソク兄は神的な気があるみたいです(笑)
曲を聞いて静かに何も言わず、目を何度か動かすと、曲だけでなくリリースする時期まで決めてくれます。
僕が作った曲を送れば数十曲多ければ百曲全て集めておいて選び出してくれます。
1秒も聞かない時もあります。
計算的というよりは"これは違う""この感じは良い"こんな形です。
兄が感じが良いと言うとその曲はヒットします。
恐いくらいこの人何なの?こんな思いになります。」




ヤン·ヒョンソク代表は、 G-DRAGONにとって一番良い兄であり、師匠、そして一番頼れる存在だ。
自分が歌手出身なので、歌手の気持ちをとてもよく分かってくれる社長だ。
歌手たちが大変な部分、力が出る部分を正確に知って良いシステムを作ってくれる。






「やりたい音楽、着たい服、立ちたいステージ全て出来るようにしてくれるから嘘(コジンマル)も結果的には兄さんの言う通り、大ヒットしたんですwww」









グループBIGBANGはデビュー当初'実力派アイドル'として注目された。
本人が作詞作曲振りつけスタイリングまでやり遂げる'新概念'アイドルグループだった。
黒い服にペインティング、斜めに被った帽子、'裏路地'の臭いを漂うこのアイドルにはダークアイドルというニックネームがついた。



「デビュー後、リーダーとしてメンバーをせき立てました。
ムチを持って悪役をしなければなりませんでした。
周りのみんなは仕事から離れた僕の姿を見るとバカだといいます。
ところが僕はA型の小心者なので仕事の時は計算をたくさんする方だ。
自ら'しっかりしなくては'と気を注入します。
みんなが言うには僕が仕事をする時は目つきが変わるそうです。」





休みの時はメンバーを困らせていたずらをする幼稚な兄だが仕事の時だけは恐ろしくメンバーたちをムチ打ちする。
普段はテソン、スンリなど成熟した弟たちよりもめちゃめちゃイタズラっ子ですが、仕事では気難しい完璧主義者だ。










「本当に一生懸命練習したし、歌も一生懸命作りました。
「嘘」は元々 、僕のソロ曲で歌おうと作った曲です。
当時、僕たちはハウスミュージックにハマっていました。
その当時、社長が日本だったか香港に行っておられたのでメールで曲を送りました。
新しい曲だったから恥ずかしくもあり、悪く言われると思っていたらメールの送信から5分もしない内に電話が来ました。
社長が「これだこれ。本当に申し訳ないがソロ曲やめてビッグバンの曲で行こう。タイトルだ」と言うんです。」





最初の印象は「寂しさ」だった。
ソロ曲を出す時点であったし、再びソロ曲を出そうとするなら数年待たなければならないかもしれない状況で、そんな感情は一個人として歌手として当然のことだった。
ソロ曲を出すことにした時点であり、またソロ曲を出すには数年を待たなければならない状況でそのような感情は個人として歌手として当たり前のことだった。






「数日徹夜して作業をしたけど、グループの曲として初めから再び作らざるを得なかったんです。
'この曲はお前の曲でなくビッグバンの曲だ'と言うから。
ビッグバン1集から僕が音楽を作ったし、プロデューサーとしてBIGBANGが先でなければならないと思ったけど、それでも涙がジワっと出ました。」








20才のG-DRAGONはある明け方、夜が明けてくる頃、窓側で呆然と数時間座っていた。