BIGBANG~じよんワールド2~ -2ページ目

BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw







ソロアルバム発売を控えてときめく時間を過ごしていたG-DRAGONは絶望した。
発売日を控えてタイトル曲「Heartbreaker」が盗作論議に包まれた。
自分の一日一日をUPしながらファンたちと交感していた貴重な空間であるme2DAYが急に冷たくて恐ろしい空間に変わってしまった。




「盗作であろうがなかろうがそのようなレッテルがつくのは恥ずかしいことだと思います。
インターネット上では互いに'盗作だ' '違う'という争いが起きたし、企画会社はアメリカに行って是非を問おうとしたんです。
法廷での争いまで起きそうだったし、全ての事が手に負えなくてつらかった。
僕はただ人前で踊って歌うのが楽しいだけなのに。
人々の認識は僕が意味しない方向に流れ、狂ってしまいそうでした。
だが最終的に下した結論は歌手がすべての論議に対して答えを出さなければならない場所はステージだということでした。」




彼はどんな話をしても効果がないことが分かったし,俳優が演技で表現をするように歌手はステージで表現しなければなければならないと思った。





「僕が作った音楽を、僕が責任を負うことができる場所はステージしかないと思いました。
自分のステージで残念な姿を見せたなら、ファンに謝罪をしなければと思ったんです。
ベストを尽くして人々に楽しみを与えれば僕の気持ちを分かってくれると思いました。」





彼は幼い頃から論議の中心に立つことに慣れていた。
小さなことも大きくしてしまう不思議な力が彼にはあるのだろうか。
しかし、ファンとアンチファンたちの関心が彼にはかえって原動力だ。






「僕に対する記事が出れば一番最初のコメントは悪口です。
僕も人だから探してみます(笑)
ファンの方々よりも先に見て悪口を書いてくださるんです。
ある意味、感謝しています。
この方が本当に僕が嫌いならば関心を持っていないはずなのに。
僕の最後の瞬間に期待があるから、ずっと確認するんだと思います。
"こいつ、本当に嫌い。だけどずっと関心がある"こんな感じ。
そんな方々がいるからこそ一生懸命にするべきだと思います。」




大衆歌手と大衆は切っても切れない間柄だ。
関心と非難も硬貨の裏表だ。





「'誰が勝つかやってみよう'でなくアンチファンが減るまでずっと一生懸命にしなければならないですね。
僕がファンに勝ってもいけないし、大衆と歌手はかみ合わさって行かなければならない。
弟子になった気分です。
弟子として宿題をしてきて、先生によく見られたい、そんな心情なんです。」





大衆と芸能人の法則まで貫いている若年寄りみたいな彼だが、本人が受けた傷をあえて隠そうとはしなかった。





「非難を受ける人の立場では何十万倍つらいです。
韓国という狭い国でそのような位置になれば正直落ち込みます。
理解はしながらもとても苦しかったです。
もう少し翼をつけて飛ぼうとするけど、ここで落ちてしまうと、あまりにも多くの道を来てしまって戻る道もありません。
努力しているので、もう少し美しく見て下さればと思うのが僕の正直な心情です。」











他のメンバーたちが各自の分野で頭角を現わす間、G-DRAGONは着実にソロアルバムの準備をした。
またソロアルバムを出そうとするなら数年の時間がかかるかも知れないという思い、
人間クォンジヨンを知らせる最後のチャンスかも知れないという気がした。



G-DRAGONのソロアルバムHeartbreakerは、2009年8月18日世に出る事になった。
この日は彼の誕生日でもあった。



「本来4月に出る事になっていたんですが、気に入らなかったんです。
10年待った作品がこれではない、何か足りない気がしました。
ソロアルバムを出してまたいつ僕の順番がくるか分からないから。
僕にとってはその一回のアルバムが賭けでした。」




ソロ アルバム準備期間中にBIGBANGの日本活動が始まった。
数ヶ月の活動期間の間、一日でもスケジュールが空く日があれば夜明けに韓国に飛んで作業をして夜に戻った。
他のメンバーが日本で自由を感じてショッピングをして楽しむ間もG-DRAGONはステージ衣装を探すのに余念がなかった。



「曲を作って、ステージ衣装を購入して、チャットでミーティングして24時間ずっとアルバムの事を考えました。
出来るだけ、自分の手でアルバムを作りたかったんです。
'作られた'ではなくクォン・ジヨンが'作ったんだ'と感じさせてあげたかったです。
字体・カラー・装飾など一つ一つ全て気を遣って、少しオーバーでもあったけど。
定形化されたCDではなく、プレゼントを貰ったような感じのアルバムにしたかった。
プレゼントみたいにケースに入れて高価なものではないけど開けてみて期待感を持てるような。
アルバムのデザインの方が僕を変だと思ったかもしれないけど。
なにしろアイディアが浮かんだら早朝でも電話したりして(笑)」





アルバム作業に夢中になってしまった。




「Heartbreakerは愛に傷ついた内容です。
心が壊れた状態を表現するために、複数のダンサーが僕の仮面を被って、さまざまなダンスを踊るようにしました。
一つの顔でいくつかの感情が出てくるように演出したんです。 」






ソロアルバム作業を通じてメンバーらと一緒に活動する時とはまた違う経験をすることになった。
残りのメンバーの役割まで一人で全てこなしながらメンバーの大切さを悟り、少し成長出来た。





「アルバムを作り多くのことを学んだと思います。
さまざまな分野の人々とのミーティングをしました。
BIGBANGではスンリとテソンがしていた愛嬌の役割も今回は僕の番でした。
社長の前では、どっしりとした姿を見せたりしたんです。
とにかく色んな人たちと交流して対人関係を学ぶことができました。」





歌手らがアルバムを出すと宣伝に拍車を加えるが、宣伝よりもステージを重要視するYGエンターテイメントの特性上、新聞社や放送局を通じた広報は最小限にとどまった。




「宣伝が出来なくてとても心配でした。
そうするうちにme2DAYというものを知るようになりました。
ブログみたいなものだけどヤン·ヒョンソク社長が「私たちは、プロモーションに選んだのはこれ一つだ。宣伝は自分でやりなさい」と僕にポンと投げかけたんです。
いつもこんな感じです。
道を少しずつ開いてくれれば僕たちが切り開いていかなければなりません。
とにかくミュージックビデオの衣装、新しく染めたヘア-スタイル、このように少しずつファンに公開し始めました。
音楽ファイルも音源サイトに上げる前に僕が直接伝えようと30秒ぐらいで一曲一曲公開したりして、'寝る前に更新されていたら明日学校へ行って話題ができて楽しいだろうな?'こう思ったりしたり。
ファンたちも僕もときめく時間だったと思います。」






G-DRAGONのおかげでme2DAYの加入者も爆発的に増えた。
2年間、数万人程度を維持していた加入者数が数十万人に増加した。
多くの人々の関心をまた受けることになり '交感(互いに感じ合うこと)'を感じる頃、急に盗作疑惑が表面化し、事態は収拾がつかなくなった。
アルバム発売一日前だった。










次々と現れるアイドル グループの中でグループメンバー1人1人の個性と名前が頭の中ではっきりと覚えているグループは珍しい。
誰か一人が'パッと'光れば誰かは陰になる。
だがBIGBANGは数多くのアイドルグループの中でもメンバー1人1人が自分の役割を十分に見せる珍しいグループだ。





「アイドルグループを普通見れば、1人または多くても3人が引き立って残りは「埋め込まれる」場合が多いでしょう。
末っ子は静かにしなければならないし。
だけど僕たちは1人1人順にスポットを当ててくれました。
1集では僕を、2集ではテヤンにスポットライトを当ててくれたんです。」








メンバー1人1人の個性と意欲を見て、ちゃんと表に出てきてこそグループが長続きすると考えるヤン・ヒョンソク代表の意があったのでBIGBANGは個々のメンバーがそれぞれ様々な分野で頭角を現わした。
若くて情熱的なメンバーが自分の領域を持って活発に活動する事はグループが成長し、持続するためにも重要な部分でもある。




「僕が作詞作曲をしてスタイリングをするならばテヤンは外国ミュージシャンのようなスタイルとダンスが魅力的です。
一言カッコよく言うなら節制された美があります。
可愛いスンリはミュージカルでも活躍して、テソンはバラエティー番組で頭角を見せ、TOPはドラマと映画など俳優としての地位を固めています。」




それぞれ違う分野で活動をして彼らの会話も変わった。
「井戸の中の蛙」をはるかに超えて遠くを見通せる目と余裕ができたと。



「各自、外で活動をしたら互いに尊敬する部分も生まれ、もっと絆が強くなったようです。
会話が変わって余裕ができました。
自惚れる余裕でなく遠くを見つめる目ができたようです。」





他のメンバーたちが各自の分野で頭角を現わしている間、G-DRAGONは着実にソロアルバムを準備した。
またソロアルバムを出そうとするなら数年の時間がかかるかも知れないという思い、
人間クォンジヨンを知らせることができる最後のチャンスかも知れないという気がした。