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BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw








実力派アイドルグループを作るためのサバイバル過程を収めたドキュメンタリー「リアルドキュメンタリービッグバン」を通じて認知度を高めたBIGBANGは2006年のデビューを目標にアルバムを準備し始めた。
その当時、G-DRAGON(実名クォン・ジヨン・23)は他の人が一つやるのも難しいアルバム準備と修学能力試験準備を同時にしなければならなかった。




「歌手は頭が空っぽ、タンタラ(芸能人の事を低く言う表現)、操り人形、所属会社ですべて作られる、という色眼鏡が嫌いでした。
思いを表に出せる歌手になりたかったんです。
この思いはヤン・ヒョンソク社長も同じでした。
学校の試験で80点以上取らなければ練習もさせてもらえなかったんです。」





練習に打ち込みながらもG-DRAGONは学校生活と友達との関係を疎かにしなかった。





「短期間で瞬間的な集中力を発揮して、他の人たちのように「一夜漬け」をたくさんしました。
呆れるくらい徹夜して学校に行って試験を受けていました。
悪知恵指数ばかり高くて...(笑)
学校では芸能人だからとクラスの友達と遊ばないなんて事もしたくなくて自分から近付いて面白いキャラでたくさん接しました。
友達においしいもの買ってくれとおねだりしたり。」













仕事以外では面白さ溢れるG-DRAGONは学校の友達とも他の人たちのように普通の友情を分かち合うことができた。




「試験期間になれば友達がノートも貸してたくさん助けてもらいました。
先生たちも歌手活動を準備するのにたくさん応援してくれて。
両親は学校生活を疎かにしないことに対して本当に感心していました。
そうした点で大変だったけど今思えば'よくやった'と思います。」







色々な人たちの助けとメンバーたちの努力が合わさって成功的なデビューを経た。
デビュー直後、認知度が急上昇するとすぐにG-DRAGONはこの関心が'自分の事じゃない'と思った。





「デビューしてすぐに、あまりにも急に人気が出たから'会社発' '所属会社の力'こんな言葉が出ました。
いくら良い歌手がいても会社が小さければ正直認知されるのが難しいのも事実だったから。
幼い頃から業界で起こっていることをたくさん見てきたせいか、デビュー後スポットライトを浴びて本当にうまくいったと思っていた」だけに「うぬぼれれば大変なことになる」という思いも共にありました。」






子供ルーラからエンターテインメント業界の浮沈を見守ってきたG-DRAGONはデビュー後の急な人気がかえって心配だった。
大衆に認められて生き残ることができる事は実力だけだという思いに彼はチームのリーダーとして'ムチ'になることに決心した。













BIGBANGのメンバーでG-DRAGON(本名クォン·ジヨン·23)とテヤン(本名トン·ヨンベ·23)を除く最初のメンバーとしてTOP(実名チェ·スンヒョン·24)が議論されたが、ヤン·ヒョンソクYGエンターテイメント代表は盛んに成長期なTOPのぽっちゃりルックスが「ビッグバン」には適切でないと考えた。



「6ヶ月ぶりにTOPが狂ったように運動して痩せてきました。
君はなぜこんなに痩せたの?と聞くと"ここに入りたくて数ヶ月間一生懸命やった"と言うんです。
またオーディションをやって当然、合格しました。」






その後に続いてMnetの'バトル神話'という番組で最終脱落したスンリ(実名イ・スンヨン・20),世の中が明るくなるような笑顔のおかげで選ばれたテソン(実名カン・テソン・22)まで、今のBIGBANGのメンバーが順に合流した。




「元々は現在、ビーストのメンバーであるヒョンスンも僕たちのメンバーでした。
ヒョンスンを入れた6人で練習をして宿舎生活を​​しました。
初めは違う生き方をしてきた6人の集まりだから性格も合わず気力の戦いのようなこともありました。
ところが良くない時期を通り過ぎる瞬間、本当に家族がなるんです。
1年半くらいかかったと思います。
多分そんな時間があったおかげで今は目だけ見ても心が通じることができるんです。」






なんだかんだ合宿生活を経てチームワークを作り、BIGBANGデビューのための「作戦」が始まった。
所属事務所でBIGBANGのための候補生でサバイバルドキュメンタリー番組を作ろうという計画を立てた。
GOMTV・MTV KOREAで放送されたリアルドキュメンタリーBIGBANGを通じてBIGBANGの存在をファンたちに知ってもらおうという試みであり、それは成功した。




「YGからアイドルが出てくるのもそうだけど、サバイバル形式のドキュメンタリー番組がファンたちの関心をたくさん集めました。
その頃はリアルな番組がなかった時だからかな。
まだデビュー前だっったから負担が大きかったです。
数百万の人々が見て注目を集めてているけど、まだ僕たちは1つのグループとして音楽もダンスもありませんでした。
所属事務所の方々が僕たちを見ると「あの子たち、どうしよう」と言っていたので僕たちを呼ぶ名前が「どうしよう」になったんです(笑)」





結局、ヒョンスンは脱落し、他のメンバーは少なからず衝撃を受けた。
しかし、ファンたちの注目の中アルバムを準備し始め、本格的にBIGBANGの姿を整え始めた。








G-DRAGON(本名クォン·ジヨン·23)はYG練習生でありながら、テヤン(本名トン·ヨンベ·23)とのヒップホップデュオの夢を見ていた。
所属事務所側でも暗黙のうちにG-DRAGONとテヤンをまとめてグループを作るイメージを描いてきた。


「高2ぐらいだろうか。ビッグバンというグループを作るだろうという話を聞いた。
僕は契約したときにソロで契約をして、ソロでもしくはテヤンと2人でユニットするだろうと思って練習をしたのにビッグバンというアイドルグループを作ると言うんです。
その当時、アイドルグループの偏見を持っていたせいか、ヒップホップをしている会社がアイドルを作るなんて何事?と思いました。」




YGファミリーらしく、デビューしたかったG-DRAGONの心とは違ってアイドルグループでのデビューはジヨンにとって大きな衝撃だった。



「同じダンスを踊るのがイヤだった。自分のダンスを踊りたい、そんな思いが大きかったんです。
今はアイドルグループに対する偏見はなくなったけど、その当時、テヤンと僕は"僕たちが今までこんな大変な時間を我慢してきたのに、これは僕たちが望んだことじゃない!!"
こんな思いでした。
同じ服、同じダンスは考えただけでも嫌だったんです。
ここを辞めて他の会社に入るべきなのか、この道が僕たちの道が正しいのか。
そんな話を二人でたくさん交わした。」




「ビッグバン」を作ろうという話が出た後、一番最初に入ったメンバーはTOP(実名チェ·スンヒョン·24)である。
彼がビッグバンのメンバーになったのはG-DRAGONの役割が大きかった。



「TOP兄さんは元々、僕の友人でした。
中学校に通っている時の町内の友人でした。
当時、町内で踊ってラップする友人だったが僕が引っ越しした後でまた連絡を取りました。
するとTOP兄さんが「とても良い、僕の夢だ」と言いました。
一緒にデモCDを作りました。
兄さんが作ってメールを送って僕がYGの特性に合うのか見て。
そんな風に何度か繰り返して作ったのを持って社長のところに行ったところ,社長がTOP兄さんと会おうと言いました。」




だが、その当時、ぽっちゃりとしたTOPの外見についてのヤン·ヒョンソク社長はアイドルグループのメンバーとしては不適切であると判断し、彼を帰してしまった。
しかし、わずか6ヶ月ばかりでTOPは見違えるように変わった姿で再び現れた。