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BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw






G-DRAGON(本名クォン·ジヨン)はジヌションのA-yoのミュージックビデオでは、現在ビッグバンで一緒に活動しているテヤン(本名トン·ヨンベ)と一緒に子供ジヌション役を引き受けることになる。 13歳の若い年齢で共通の興味を持つ二人はたちまち親しくなった。

(↑この記事は間違っていますねwww
A-yoで子役を演じたのはよんべですが、じよんは演じてません。もう一人は別の子ですねwww)





「初めてヨンベを見て、ただ通り過ぎる人ではないような気がしました。
お! この子何だろう?こう感じた。
最初からとても親しくなりました。
性格が正反対のせいなのか今まで一度も喧嘩したことがないです。
幼い時の僕はとても内気で思春期を体験して自信を持ち始めたけど、ヨンベは幼い時は本当に活発だったが今は静かで真剣な性格に変わりました。
幼い時ヨンベは性格が本当に活発でヤン・ヒョンソク社長に'YGに入りたい'とためらいなく話し、社長は冗談で「君はとにかく訪ねて来なさい'でおっしゃったんです。」





テヤンは1ヶ月後にYGエンターテイメントのオフィスに訪ねてきて社長部屋に直進し「1ヶ月が過ぎたけど連絡がないから訪ねてきた」と話し、この大胆さが気に入ったヤン·ヒョンソク代表はテヤンを練習生として受け入れた。
G-DRAGONとしては大変な練習生時期を耐えれる良い友達が出来たわけだ。
同い年の2人はライバルというよりはお互いに頼ることができる友達になった。




「拭き掃除も1人でするよりも2人でするのが良いです。
2人でとても楽しく過ごしました。思い出が多いです。
今も2人で居たら昔の話をしながら泣いて笑ってますが、本当に気持ちがいいですよ。」



練習生時代はツライことも多かった。
未来が保証されていない事に少し寂しい事もとても悲しく感じられる時もあった。


「一番末っ子で若いから悲しいことが多かったです。
先輩たちのコンサートにゲストで出たり、いわゆる「代打」です。
例えばSE7ENのコンサートにフィソン兄さんがゲストとして予定されていたんですがスケジュールのせいで出演出来なければ僕たちが行くのです。
服もすべて本人が用意しなければならんです。
大きなスーツケースを持って公演を見に来られる方々と同じ地下鉄に乗ってステージに立って再び同じ地下鉄に乗って帰ってきました。
そしたら「さっきの子たちじゃない? 」こんなささやきが聞こえたりします。
ステージではかっこいいのに、クタクタになってスーツケース持っているんだから恥ずかしかったです。」




一度は大きなスーツケースを持ってチャムシル駅で一日中待ったこともある。
あるマネージャーがコンサートの代打に投入されたG-DRAGONとテヤンを地下鉄の駅から送迎するはずが2人の存在をすっかり忘れてしまった。




「午前11時まで来ると言った兄さんが午後6時まで待っても来ないんです。 電話番号も知らないし。
僕たちはその当時'待ちなさい'と言われればただ待たなければならなかったんです。
ずっと待って終電時間になって家に帰ったんだけど、次の日マネジャーの兄さんに会って尋ねると'忘れてしまった'と言うんです。
ダンサーたちがまた戻ってくるから僕たちとの約束を忘れてしまったみたいです。
"ああ。そうだったんだ'とまた戻って清掃をするのは本当に悲しかった。」





所属会社で認められてデビューをするために彼は'毒気'を抱き始めた。







アメリカのヒップホップグループのウータンクラン(Wu-Tang Clan)の音楽に接してフリースタイルラップが学べる学校を探すことにしたG-DRAGONはそこをスタジオとして使っていたピープルクルー(PeolpleCrew)の兄たちと親しくなった。



「子供が入ってきて、ラップを習うもんだから兄さんたちが不思議に思いながらも可愛がってくれました。
兄さんが進行しているケーブル番組に一緒に出演してふざけたり。
2001大韓民国ヒップホップフレックス(HipHopFlex)のアルバムにも参加するなど良いチャンスを得ました。」





韓国でヒップホップをする人々が集まって作ったこのアルバムで、13歳の最年少ラッパーとして参加するチャンスを得たことはとんでもないことだった。




「ヒップホップフレックスのアルバムの時、直接歌詞を作って録音をしたんですが、兄さんたちが歌詞を見て'大丈夫だ'と言ってくれました。
ところが僕は外国に住んだこともないので、英語力も足りないたかが知れている内容でした。
"年齢は幼いけど僕は最高だ"
まぁ、こんな内容だったと思うけど(笑)」




幼いG-DRAGONがタイトル曲に参加して,自身のソロ曲まで作ったというから….
このアルバムはG-DRAGONという子供を世に知らせるチャンスだった。
アメリカではBow Wowが人気を得て,韓国ではリャンヒョン リャンハ,BoAなど幼い歌手たちが登場した時期だった。
ヤン・ヒョンソクYGエンターテイメントの代表はこの子供ラッパーの登場をそのまま流さなかった。


「ジヌションのション兄が僕を見て、ヤン·ヒョンソク社長に耳打ちをされたそうです。
メインプロデューサーのペリーも気に入ってプロデュースをしてみたいと言われました。
初めて社長に会いにいくので「ああ、今からヤン·ヒョンソクと会うんだな」と思いながら震えました。
僕は「ソテジと子供たち」の中でもヤン·ヒョンソクが一番好きなんです。
半袖に手袋をはめて、そんなファッショナブルな姿が好きだし、ダンスも一番上手に踊って。
ところが第一印象はとてもビックリでしたよ。
遠くからスリッパを引きずる音が聞こえ社長の特有のアクセントで「来たのか?」と言いました。
ソテジとアイドルのヤン·ヒョンソクはなく、近所のおじさんのようでした。」








続いて煌びやかな話術でG-DRAGONの母にビジョンを説明していたヤン·ヒョンソクはG-DRAGONの母がしばらく席を外した隙に
「ママが戻って来たらどうしてもここにくると意地を張りなさい」
として脅迫でない脅迫をした。



「家に帰って母に泣いたりわめいたりして、YGエンターテインメントと契約をすることになりました。
13歳当時のYGはジヌション、ワンタイム、レクシーなどが活動していました。
最初のオフィスに入ったときドンウク(SE7EN)兄がヒップホップ服をかっこよく着てオフィスのスタッフの姉さんたちとじゃれ合っていたと思う。
それまで僕が見た人たちの中で一番きれいな人だった。」




G-DRAGONは練習室の掃除から始めた。
床の拭き掃除、新聞紙で鏡磨き、先輩たちの付き添いなどの雑用を引き受けることになった。



「先輩たちの練習を見物しながら水を差し上げて、食べ物の配達が来たら並べて食べ終わったらまた片付けて、一年間バカみたいに清掃ばかりしました。
会社に来たら初めに清掃1時間、練習1.2時間、最後に清掃1時間、こんな感じを繰り返しました。」



13歳の終わり頃にはペリーのソロアルバムのタイトル曲に一緒に参加して空中波音楽プログラムに出演したり、兄のコンサートステージに一緒に立ったりしてステージの感覚を身につけていった。
そんな中、ジヌションのミュージックビデオで幼いジヌションの役割を引き受けた、現在のビッグバンのメンバーのテヤンと初めて会うことになる。












G-DRAGON(実名クォン・ジヨン・23)が子供の時'子供ルーラ'で活動したというのは有名な事実だ。
文字どおり'翼を失った天使'のようだった'子供ルーラ'クォン・ジヨンは早くからショービジネス業界の文化に接して何を考えていたのだろうか。




「MBC 'ポポポ'で初めて放送を開始しました。
ポミ姉さんの隣の場所が一番'穴場’で、幼い頃から踊ることが大好きで、休むことなく踊りを熱心に踊るから姉の隣の場所は常に独り占めだたっと思います。
その時'ルーラ'の企画会社が見てたようです。
ルーラ先輩が'翼失った天使'でしばらく活動される時'子供ルーラ'を企画したいと言って服も同じようなものを着てコンサート ツアーも一緒に回りました。
発音も良くないのにキャロルレコードも出して。(笑)」



時が過ぎルーラの人気が弱まって'子供ルーラ'も突然解散された。 そして幼い頃のG-DRAGONは衝撃を受けた。



「突然明日から'子供ルーラ'はないと言うから8才の幼い心に大きな衝撃を受けました。
ただ僕は歌手を継続する方法を知っていました。
母にもうこんな事はしないと話したのを覚えてます。
その時から勉強して塾に通って普通の子供たちと同じ生活をしました。」







ところが彼のスターの資質は隠そうとしても目立つようだ。
家族らとスキー場に遊びに行って偶然に立つことになったダンス大会で年上の兄たちを抜いて1位になった。
そしてそのステージの司会者は現在のSMエンターティーメントの会長であるイ・スマン氏だった。
G-DRAGONの才能を調べたイ・スマン氏は彼をSM練習生として受け入れた。
SMで5年ほど練習生活動をする間H.O.Tの人気が出始め、S.E.S・BoA・神話などが練習生だった時期だった。



「初めて僕が仮契約をして練習生に入った時はSMが位置を占める前だったから毎日出て行って練習するのではなく一ヶ月に一度、三ヶ月に一度練習すれば良かったんです。
多分SM関係者の方々も僕の記憶があまり出てこないでしょう。
僕は踊る時だけ活発で、それ以外は目立たない子だったんです。
今でもハンサムではないが幼い時は本当にいたずらっ子のような顔でした。
ダンスはちょっと踊れるけど歌は下手だったし企画会社で方向を定めてもらうが難しいケースでした。
神話兄さんたちの膝に座って遊んでいたが、多分覚えていないでしょう?(笑)」




SM練習生でありながらも明確なビジョンを持てなかったG-DRAGONは小学3年生の頃、親友の家でブラックミュージックに初めて接して大きな衝撃を受けた。 特に彼の気を引いたのはウータンクラン(Wu-Tang Clan)の音楽だった。 自然にフリースタイルのラップを学べる塾を探すことになったし、そこはピープルクルー(PeolpleCrew)の練習室でもあった。