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演劇人生

今日を生きる!

題字決まる。


三浦綾子作「母」

9月麻布演劇市公演

出演者(客演可)を募集中です。

チケットノルマ等は一切ありません。

締め切り・・・2月25日


劇団生活
■私たちは自分を大切にします。

 そして、同じに身近な仲間を大切にします。

 身近にあるものと丁寧に向き合い、心を注ぎます。

 演劇をつくる上で、

  「訴えたい」とか「伝えたい」などという気持ちは持ちません。

  ともに共感しうる心を探す旅が稽古であり、

  そこで出会うすべてに真剣に向き合った結果を

  舞台に展開できればいいのです。

  

 劇団アドックはこのような集まりです。

 ですから強い結びつきが自慢です。


 「母」はヴァイオリンソロで「母のテーマ」で幕が開き、

 そして・・・・降ります。(奏者 菊池有希子)
劇団生活

「母」公演実績

■東京公演

  初演(六本木オリベホール)

  再演(     同      )

  再演(豊島公会堂)

  再演(天童市民文化会館)

  再演(エポック川崎)

  再演(加須パストラル)

劇団生活
           再演(オリベホール)

劇団生活
            天童市民文化会館

劇団生活
           エポック中原(川崎)


本年9月公演で20回を越すことになります。

ちっぽけな劇団にしては稀な再演です。

劇団創立10年の足跡を「母」で印すことに

大きな意義を感じます。


みなさん、どうぞよろしくお願い致します。



明日劇団びらきがあります。

いよいよ創立10年目の年が始まります。

21世紀を迎えるにあたり、

10年前、大きな夢を描いたのです。


劇団アドック略歴Ⅰ

劇団創立準備作品(1999年)

神尾哲人作「何とて我を」

  わが国最初の公害問題を扱った作品です。

  足尾銅山から流下する鉱毒被害と、

  生涯を通して闘った田中正造と妻カツとのものがたりです。

     劇団生活
          「何とて我を」パンフレット
  劇団生活
             古河市兵衛の屋敷

  劇団生活
            田中正造の臨終場面

そして迎えた2001年、旗揚げ作品


芥川龍之介作「雛」

  劇団生活
       ホワイエには等身大の享保雛

   劇団生活
    八畳間の茶室をつくり、お客様全員にお薄と和菓子を

    武家茶、織部流桔梗会

   劇団生活
                 舞台仕込み

         昨年閉鎖した、六本木オリベホール

   劇団生活
           三園ゆう子演じる、老女お鶴


第2回公演作品

三浦綾子作「母」

  劇団アドックのライフワーク作品

  劇団生活

            母セキの三園ゆう子

  劇団生活
       初演&再演でのセキ、ユキ、ツギ、三吾

  劇団生活
            セキを演じる三園ゆう子

劇団生活
           セキと夫の末松(川崎公演)

劇団生活
         棒頭と対峙する末松とセキ


⇒続く

先日の「アドック祭り」で上演した

「この重きバトンを」の中で、

「私がこれまで生きてきた道は、

すべて自分を生かすための道だった」

というセリフを主人公の鶴吉に言わせています。


母や妻のために生きてきたと思っていた彼が、

実はそれが、

自分自身に行き着く道であったことに気付いたのです。


三浦綾子さんは、「茨の蔭に」でも、

主人公の佐津川景子が読んでいる本、

ヘッセの「デーミアン」の中から、

「どんな人の人生も、

すべて自分自身の道へ行き着くための

ひとつの道である」

この箇所を引用しています。


思えば、

「家族のため」だとか、

「子どものため」

果ては、

「国民のため」ということばが乱れ飛びます。

はてさて、ぼくは、

何のために生きているのだろうか・・・

   ****************************

今年9月に公演する作品、

三浦綾子さんの「母」の主人公セキさんの

生き方に目が行く。


この作品は、

夫君からの依頼で書いたものだそうだ。


最初は、

小林多喜二はプロレタリア作家であったことから

共産主義についての知識もなく

筆が進まなかったらしいのです。


しかし、セキが小樽のシオン教会で

受洗していることを聞き、

多喜二に関する資料を読み進める中で、

その家族などを調べている内に、

極貧の中にありながら、

何故、これほど明るく、

優しさに満ち溢れているのか・・・

劇団生活
それに驚き心惹かれ、

一気に書き上げたと後書きにあります。

※上の一部を書き換えました。


主人公、母親の小林セキは、

その中心には、

いつも明るい笑顔の多喜二がいたと言います。


しかし、根っから明るく笑顔の絶えない多喜二に

大きな影響を与えたのは、他ならぬ、

母親のセキでした。

劇団生活
        小樽市立文学記念館

貧しい家庭に生まれ、

13歳で嫁ぎ、懸命に働く中で、

今を大切に懸命に生き、

何事にも丁寧に心を向けて生きている姿を

子どもたちはしっかりと見て育ったのです。

劇団生活
     記念館内の小林多喜二コーナー

  左下に家族の写真がある(見ている三園ゆう子)


伯父のすすめで秋田から小樽に渡って始めた

パン屋で、しばしば店の商品が盗まれます。


それは自分たちも食べたことのない商品です。


子どもたちは大騒ぎします。

「母さん、パンが盗まれた」

「餅がなくなった」


それに対して母は、

「よっぽどお腹を空かせていのかもしれないよ」

といってなだめたといいます。


その母のことばに、

子どもたちは、

「そうか。可哀そうな人だったんだ」

と納得したというのです。


母親も母親なら、

「おれたちも食えないものを盗って行くなんて」

という子どもたちではなかった。


そこまでしなければ生きられない人もいる。

このような思いが、小林多喜二を生んだと

いってもいいように思います。


治安維持法違反で捕らえられ、

拷問の末、惨殺された多喜二に向かって、

セキは、「お前を産んで悪いことをしたのかな」

と、語りかけます。

劇団生活
      「お前を産んで、悪いことをしたのかな」

しかし、彼女は育て方を悔いてはいません。


そこに、すべては、

自分の生きるための道に通じる生き方を

見ることが出来るように思うのです。


(寄り道コーナー)

「散歩」22時15分

寒いし人もいない。

劇団生活
      このイルミネーションはぼくだけの・・・

劇団生活
              贅沢そのもの・・・
劇団生活
            さえない男の一人旅・・・


「母」といっても、

人によりさまざまなイメージを持っていますね。


これから数回に分けて、

三浦綾子さんの小説「母」という小説に

登場するひとりの母・・・セキさんを取り上げます。


既に多くの人が読んでいると思いますが、

この「母」という小説は、

プロレタリア作家小林多喜二の母を描いています。


セキは、

秋田県の貧乏な村に生まれました。


今で言えば、「貧乏な家に」と言った方が

いいのかもしれませんが、ぼくの生まれも

そうであったように、村自体が貧しさに

圧し潰されそうな状態だったのです。


貧しい家々が、まるで息をひそめるように連なって

村や町をつくっていたのです。

・・・いや、日本という国そのものが、

殖産興業政策と富国強兵のもと、

庶民は貧困に喘いでいたのです。


回想すると、昔の写真そのもの、

一面がモノクロの時代で、光のあたる部分も

くすんで灰色・・・そのようなイメージです。


そのような寒村に、

また貧しい家に生まれた女の子でした。

劇団生活
      娘の身売りの記事が出ている
劇団生活
     おおっぴらに、このようなビラが貼られた
劇団生活
       救い出された女の子たち


物心つくかつかないうちから、

自分より大きな赤ん坊を背に子守をし、

日に数人の客をあいてにするそば屋の

手伝いをしながら、朝晩は家の周りを掃除する。

そんな少女時代をおくりました。


13歳には口減らしのために隣村の小林家に

嫁に出されました。


セキは、その頃を振り返って・・・

「自分は嫁にいけるだけで幸せでした」

・・・と言います。


その頃は、

遊郭などに売られて行く女の子が沢山あったからです。


13歳の女の子といえば、

嫁に行くということがどのようなことか、

その意味すらわからない小娘です。


嫁入りしたセキは、

身体の弱い夫末松を助けて懸命に働きました。


そしてもうけた子どもが

早くに亡くなる、多喜二の兄、多喜郎

多喜二(後に小説家になる)

弟の三吾

 (後に東京交響楽団のヴァイオリニスト)

姉のチマ

次女のツギ

末娘のユキ

でした。


《続く》