「母」その声を聴く(1) | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

「母」といっても、

人によりさまざまなイメージを持っていますね。


これから数回に分けて、

三浦綾子さんの小説「母」という小説に

登場するひとりの母・・・セキさんを取り上げます。


既に多くの人が読んでいると思いますが、

この「母」という小説は、

プロレタリア作家小林多喜二の母を描いています。


セキは、

秋田県の貧乏な村に生まれました。


今で言えば、「貧乏な家に」と言った方が

いいのかもしれませんが、ぼくの生まれも

そうであったように、村自体が貧しさに

圧し潰されそうな状態だったのです。


貧しい家々が、まるで息をひそめるように連なって

村や町をつくっていたのです。

・・・いや、日本という国そのものが、

殖産興業政策と富国強兵のもと、

庶民は貧困に喘いでいたのです。


回想すると、昔の写真そのもの、

一面がモノクロの時代で、光のあたる部分も

くすんで灰色・・・そのようなイメージです。


そのような寒村に、

また貧しい家に生まれた女の子でした。

劇団生活
      娘の身売りの記事が出ている
劇団生活
     おおっぴらに、このようなビラが貼られた
劇団生活
       救い出された女の子たち


物心つくかつかないうちから、

自分より大きな赤ん坊を背に子守をし、

日に数人の客をあいてにするそば屋の

手伝いをしながら、朝晩は家の周りを掃除する。

そんな少女時代をおくりました。


13歳には口減らしのために隣村の小林家に

嫁に出されました。


セキは、その頃を振り返って・・・

「自分は嫁にいけるだけで幸せでした」

・・・と言います。


その頃は、

遊郭などに売られて行く女の子が沢山あったからです。


13歳の女の子といえば、

嫁に行くということがどのようなことか、

その意味すらわからない小娘です。


嫁入りしたセキは、

身体の弱い夫末松を助けて懸命に働きました。


そしてもうけた子どもが

早くに亡くなる、多喜二の兄、多喜郎

多喜二(後に小説家になる)

弟の三吾

 (後に東京交響楽団のヴァイオリニスト)

姉のチマ

次女のツギ

末娘のユキ

でした。


《続く》