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演劇人生

今日を生きる!

港区のカルチャー教室でのはなし。

中高年のご婦人5名の受講者がいる。

昨日の出席は3名だった。


一人は、「葉っぱのフレディ」

一人は、「桜のマリー」と「お帰りなさい」

一人は、「蜘蛛の糸」

の勉強中である。


「桜のマリー」は、「葉っぱのフレディ」を読むのを聞いた一人が、

フレディを登場させて、オリジナルで創作してきたもの。

ぼくは、以前から朗読するのは好きだが、

お客様を前にしてやる朗読は好きではない。


演者と客席の間に一冊の本が存在するなんて許せない。

一回でも演者の目線が本に行くのが許せないからだ。


しかし教室では、いま、その朗読をやっている。

新しい境地が拓けて来ているのは確かだ。

そのうち朗読の勉強から脱皮する時が来る。

そのときが楽しみなのだ。

「豪さん、被曝桜、今年も咲いたよ」

今は松山に住んでいる友人から連絡が来る。

「きょうTVで放送されたよ」

かれは被曝者である。


9月に上演する「母」に組み入れた原爆投下の情景に、

彼から唯一出されたダメがあった。

ぼくは光だけで原爆を表現したかった。

「豪さん、原爆のことをピカドンというでしょう?」

だからぼくの演出の「ピカ」だけでは足りないというのだ。


大きな和太鼓を鳴らすような「ドン」という音は絶対に必要だというのだ。

だが、ぼくは「ピカ」だけにとどめた。

かれは不満だったろう。


その後、かれは東京を去って松山に帰った。

そのかれから、東京に桜前線が到着する頃になると、

「被曝桜が、今年も咲いたよ」

という連絡が来る。


その度に、「ドン」という音を入れないことへの不満が到達したと思う。


きょう東日本の被災地にメッセージカードを送った。

劇団アドック創立10年を迎えました!

六十数年を経て、ことしもまた被曝桜が咲いたそうです。

熱線を浴びながら、その生命をつないできた桜です。


いま東北を桜前線が北上しているそうですね。

桜の涙が見えそうです。

しかし、彼らは来年もきっと咲いてくれるでしょう。


わたしも生きています。

またお会いできる日を楽しみにして!


こんなメッセージにしました。

被災地を桜前線真っ只中の若林区の妹から、


今年の、
「桜」は、今までと ぜんぜん違って見えました。
桜さんは、ナニを思っているかしら・・・。
演劇の終演の時に、贈る花束は、
この1本の芝居への「とむらい花」だとききました。
今年の桜は、例年と同じく、だまってじっと咲いていますが、
モノ言えぬ桜の、なんという美しさ。。。
桜吹雪には、泣けてきます…。


とのコメントが送られてきた。


今日、三浦綾子さんのファンの会があった。

「被災地に、何か送ろう」

と集まったのだ。

ところが妹から、「参加できずにごめんなさい」と、

地元のお菓子が送られてきていた。


劇団アドック創立10年を迎えました!
   骨元気のアーモンドと小魚の口休めも・・・


「美味しいね」

・・・桜の花に似たきみの心に、

・・・涙がこぼれそうになる。

いま、ぼく等にできることは何だろう。


ことばで元気を届けることもできない。


パフォーマンスでも、


モノでも・・・

ほんの真似事しかできていない。


ここで自分は何を専門にしているのかを考えてみました。


演劇こそ、ぼく等の専門ではないか。


言い換えれば、

ぼく等は「心」の専門家だ。


演劇を創るとき、

劇場には数百人の人々が集まってくれる。


しかし、

ぼく等は「ひとり」を相手にして演技をする。


「いち」対「いち」・・・あなたとぼく、ぼく等一人一人です。

1対1の世界なのです。


何十人、何百人を相手に創るお芝居もあるかもしれません。


しかしぼくが相手にできるのはあなた一人です。

何を届けるのも、あなたひとりに・・・です。


舞台と客席は1対1に世界です。


そこでつながり合えるのは「心」だけです。


「役を創る」・・・創造内容の表し方に窮した人のことばではないでしょうか。

「心づくり」=「役づくり」


相変わらずの牽強付会・・・?

いいでしょう。

少なくても、ぼくの、ぼく等の創る演劇作品は、こうして舞台にのるのです。


だから、眼に見える何ができていなくても、

被災地の皆さんと心でつながりたい・・・

切に思っています。
劇団アドック創立10年を迎えました!
       9月上演予定の「母」

この作品を通して、この思いを精一杯表現したいと考えています。

いま演劇は厳しい状況下にある。


節電か自粛かの論議の中で、

ことによると1ヶ月くらい前に、

夜間の公演中止のくだる可能性もある?


演劇を創るということは・・・

1ヶ月前には、


演出はプランを提出し、

出演者たちは厳しい稽古に入っている。


ポスターチラシも刷り上っている。


チケットも売り出している。


道具の注文も終わっている。


音響、照明や舞台監督の契約も済んでいる。


どれほど小さな劇団でも、

50万を超える経費をつぎ込んでいるはずだ。


2~3人を呼んで、

舞台装置も何もなしで講演や朗読などをやるのとわけが違う。


数人の講師料やキャンセル料を払うのとはわけが違う。


「母」を考えれば、

出演者は、小林セキ、末松、多喜二、チマ、ツギ、ユキ、慶義、ツル、

志乃、タミ、棒頭、子分たち、斉藤、安田博士、その他巡査、特高、憲兵・・・

演出、助手、舞台監督、音響、照明、美術、道具、小道具、制作宣伝・・・

それぞれのオペレーター等々・・・

少なく見積もっても35名を要する集団で成り立つ作品だ。


今のところ、

「馬鹿言うんじゃないよ」

で済んでいるかもしれないが、

実際の場になったら、これではすまない。

首をくくることにもなりかね得ない。


節電も懸命にしよう。

自粛もしよう。

だが、それが過度に実施されることには反対である。

演劇ばかりではないと思う。

だが、ぼくは演劇の世界に身をおいている者だから、

その立場からものを言う。

共通の考えを持っている人は一緒に声を挙げて欲しいと思う。


劇団では、

いち早く支援にも取り組んできた。


「芝居などしている時ではない」

被災地には、どんなドラマでも超える実態が横たわっているのだから。

「いま感動なんて必要ない」

瓦礫を取り払い生活を取り戻して初めて感動も生まれる。


遠く離れた安住の地で芝居をして、

何が被災地を元気にできる?


こんな声も聞く。