「豪さん、被曝桜、今年も咲いたよ」
今は松山に住んでいる友人から連絡が来る。
「きょうTVで放送されたよ」
かれは被曝者である。
9月に上演する「母」に組み入れた原爆投下の情景に、
彼から唯一出されたダメがあった。
ぼくは光だけで原爆を表現したかった。
「豪さん、原爆のことをピカドンというでしょう?」
だからぼくの演出の「ピカ」だけでは足りないというのだ。
大きな和太鼓を鳴らすような「ドン」という音は絶対に必要だというのだ。
だが、ぼくは「ピカ」だけにとどめた。
かれは不満だったろう。
その後、かれは東京を去って松山に帰った。
そのかれから、東京に桜前線が到着する頃になると、
「被曝桜が、今年も咲いたよ」
という連絡が来る。
その度に、「ドン」という音を入れないことへの不満が到達したと思う。
きょう東日本の被災地にメッセージカードを送った。
六十数年を経て、ことしもまた被曝桜が咲いたそうです。
熱線を浴びながら、その生命をつないできた桜です。
いま東北を桜前線が北上しているそうですね。
桜の涙が見えそうです。
しかし、彼らは来年もきっと咲いてくれるでしょう。
わたしも生きています。
またお会いできる日を楽しみにして!
こんなメッセージにしました。