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演劇人生

今日を生きる!

一昨年からタイに住んでいる友人から

東日本大震災へのお見舞いと近況を知らせる手紙が届いた。

劇団アドック創立10年を迎えました!

劇団アドック創立10年を迎えました!

母とは多喜二(小林)の母セキさんのことである。


劇団アドック創立10年を迎えました!
「おばあちゃん、ほら、ここを読んで」

と、馬橋で多喜二が住んでいた家の大家さんが持ってきた新聞・・・

しかしセキさんは字を読めなかった。

「こばやし・・・たきじ、これだけは読める。だが・・・」

他は読めなかった。

「多喜二が・・・何て書いてあるの?」

大家の金子さんは返事に窮した。

だが決心して、

「小林多喜二、築地署で逝去」

「せいきょ?」

「多喜二さんが築地で亡くなったって・・・」

こう言うのが精一杯だった。


昭和8年のことである。

優しい子だった。

「貧しい人のいない世の中をつくりたい」

「闇の向こうは光だ」

「勉強しなきゃな」

「差別の無い国をつくらにゃな」

これが口癖だった。

そんな多喜二が裁判にもかけられずに警察で殺された。

警察・・・セキには警察といえば、

小さい頃、「おセキはめんごい(可愛い)な」と言っては、

大きな飴玉を口に入れてくれる

近所にあった交番の巡査しか頭に浮かばなかった。

「なして警察が・・・」

そして・・・

「わたしはお前を産んで、悪いことをしたのかなァ?」

と、冷たくなった多喜二に語りかけるのだった。


劇団アドック創立10年を迎えました!
惨殺された多喜二の画の前に差し掛かる三園ゆう子

劇団アドック創立10年を迎えました!
           右端が弟の三吾

多喜二は音楽が好きでした。

弟の三吾に、

最初の給料で古道具屋からヴァイオリンを買ってきた話は有名です。

セキさんの夫、末松さんは、

弟の三吾がヴァイオリンに頬擦りして喜ぶ姿を見て、

大きな声で泣いていたといいます。

その三吾は、

東洋音楽学校、今の東京音楽大学から東京交響楽団に進み、

第1ヴァイオリンになったのです。

その頃は、すでに多喜二はこの世にはいませんでした。

音楽にも深い憧憬を持ち、絵を描き、小説家でもあった多喜二。

その才能を育てた文盲の母・・・

その舞台が、

9月に登場する「母」です。



劇団アドック創立10年を迎えました!

劇団アドック創立10年を迎えました!
9月

 9日(金)18:30

10日(土)13:30 18:30

11日(日)13:30

麻布演劇市&麻布区民センター主催

劇団アドック創立10年記念公演

「母」

三浦綾子原作 神尾哲人脚色

劇団アドック創立10年を迎えました!
小樽文学記念館の小林多喜二コーナー
劇団アドック創立10年を迎えました!
母を演じる三園ゆう子が多喜二の

デスマスクを見つめたまま離れなかった
劇団アドック創立10年を迎えました!
多喜二のデスマスク
劇団アドック創立10年を迎えました!

「母」にとりかかります。

静かに、じっと考えをまとめました。


自分の母についても、

いま一度考えました。


母とは何だろう。


9月9日の初日に向けて、

母とは・・・


日に6時間は考え続けるに違いないテーマが

「母」

なのです。

品川で10年ぶりの友人と会った。

静岡県に住む彼は、地元に多いブラジル人と親しいらしい。

その彼らに集まってもらい、ポルトガル語の朗読をしたいというのだ。

その相談を兼ねて会いにきたのだ。

作品は、三浦綾子さんの「役に立つということ」という小品である。


置き忘れられたように、

台所の片隅に置かれたままの消火器は、

毎日使われている鍋やフライパンが羨ましくてならない。

「ぼくも使われたいなぁ」

と思うのだが、目向きもされず、

いつも間にか頭には埃がつもる。

そのうちに、

「ねェ、こんな消火器、じゃまだから物置にでも置いておこうか」

こんなことも言われる。

「あゝ、何とか役に立ちたい」


ここで、この消火器は、

「役に立っていないのだろうか」

という質問が投げかけられる。


存在していることの大切さ・・・

これと人の命を重ねるのである。


寝たきりのお祖母ちゃんを見舞いに行くと、

お祖母ちゃんが、いつも口にする言葉がある。

「何の役にも立たないのに、ごめんね」


ところが見舞いに行く孫にとって、

お祖母ちゃんは宝物なのである。


話は尽きなかった。