母とは多喜二(小林)の母セキさんのことである。
と、馬橋で多喜二が住んでいた家の大家さんが持ってきた新聞・・・
しかしセキさんは字を読めなかった。
「こばやし・・・たきじ、これだけは読める。だが・・・」
他は読めなかった。
「多喜二が・・・何て書いてあるの?」
大家の金子さんは返事に窮した。
だが決心して、
「小林多喜二、築地署で逝去」
「せいきょ?」
「多喜二さんが築地で亡くなったって・・・」
こう言うのが精一杯だった。
昭和8年のことである。
優しい子だった。
「貧しい人のいない世の中をつくりたい」
「闇の向こうは光だ」
「勉強しなきゃな」
「差別の無い国をつくらにゃな」
これが口癖だった。
そんな多喜二が裁判にもかけられずに警察で殺された。
警察・・・セキには警察といえば、
小さい頃、「おセキはめんごい(可愛い)な」と言っては、
大きな飴玉を口に入れてくれる
近所にあった交番の巡査しか頭に浮かばなかった。
「なして警察が・・・」
そして・・・
「わたしはお前を産んで、悪いことをしたのかなァ?」
と、冷たくなった多喜二に語りかけるのだった。
多喜二は音楽が好きでした。
弟の三吾に、
最初の給料で古道具屋からヴァイオリンを買ってきた話は有名です。
セキさんの夫、末松さんは、
弟の三吾がヴァイオリンに頬擦りして喜ぶ姿を見て、
大きな声で泣いていたといいます。
その三吾は、
東洋音楽学校、今の東京音楽大学から東京交響楽団に進み、
第1ヴァイオリンになったのです。
その頃は、すでに多喜二はこの世にはいませんでした。
音楽にも深い憧憬を持ち、絵を描き、小説家でもあった多喜二。
その才能を育てた文盲の母・・・
その舞台が、
9月に登場する「母」です。