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演劇人生

今日を生きる!

小説家、小林多喜二の母は文盲でした。
小林多喜二の母の物語です

国が文盲を無くそうと考える以前に幼児期を過ごし、

三歳頃には、家の手助けになる仕事は何でもしなければならなかった、

そのような時代だったのです。


90近くになり、人々にしみじみと漏らした言葉があります。

「私には一つの悔いがあります」

それは、

字を知らないことでした。

小説家になった多喜二の本も読みたかったでしょうし、

投獄された息子にはがきの一枚でも書いて励ましたかったろうと思います。

しかし、それも出来なかった。


母として、こんな悲しいことはなかったはずです。


世の中からだけではない、

心配させまいとする子どもたちから、

東京にいる多喜二からの知らせが届いても、

「兄ちゃん元気だって」

のひと言。

「もっと何か書いてあるんだろう?」

といっても、

「母さんも元気でって書いてあるよ」

といわれれば、

「そうか・・・」

という他はない・・・

身近かな人々の輪にも入ることのできない環境だったのです。


・・・さて、しかし、

字を知るだけではない、哲学を知り、心理学を知り、

経済学を知り、はたまた神学までを身につけながら、

蓄えたその豊富な知識を、

世のため、

人のために、

いや、自分のためにすら・・・

本当に使いこなすのは難しいようだ。


それらの豊かな知識、学問をどれほど活かしているか・・・

また、何のために学問するか・・・

森羅万象を敵に回すようなことを、

さも「みなさんのため」

と、

おためごかしばかりが目に付く世の中だ。


昔、「帝国大学は悪人づくりの巣窟」

と、田中正造に言わせたそうだ。


今回上演する「母」を通して、

今、本当に大切なものは何か・・・


多喜二の母に学ぶ気持ちで、真剣に取り掛かりたいと考えています。



ぼくは一度も鏡を見ない日がある・・・

といったら驚かれた。

「歯を磨くときも見ないの?」

「うん、見ない」

「あるんでしょう、鏡?」

「そりゃ鏡の一つや二つありますよ」

「じゃ、どうして見ないの?」

髭もシェーバーで、パソコンの画面を見ながらゾリゾリ・・・

「どうして・・・?」

といわれても、ただ見ないだけ・・・


いや、意識的に見ていないだけで、

実は見ているのかもしれない。


役者は見た方がいい。

ただ漫然とではなく、

そして、表面だけではなく、

こんな顔で、普段生きているのを知るためである。


「なかなか行けている」

と思えるときは要注意かもしれない。

実は、そんな顔で生きてはいないからだ。

役者やタレントは人前に顔を出すのが商売のように思われている。


だが、本ものの自分の顔をどこまで知っているかといえば、

はなはだ疑問である。


知らぬは・・・

顔を含めて自分なのかもしれない。


人を見るときほどの厳しさで、

自分を見つめたら何が見えてくるかである。

今年は、

あきらめるな日本!

の文字を方々で見た。


確かに「あきらめない」ことは大事だ。


9月公演の「母」では、

人数の少ない劇団にしては大作である。

出演者を集めるのに苦労した。


最後の最後まで苦労したのは、

多喜二の一番下の妹ユキだった。

優しい心を持ち、いつも明るく朗らかな女の子・・・


もし私が女優だったら演りたくなる役だ。


もう、ダメか・・・と思ったときに、


最高の人事に至ったのだった。


「この女(娘)はひろい者だ!」


名前は徐々に明らかにするとして、


「あきらめない」


この大切さをしみじみと味わった配役人事だった。


写真だけ・・・こっそりと披露しよう・・・


小林多喜二の母の物語です

いちばん、ちゃんこいユキです!

赤坂支所で無料配布していたニガ瓜の苗が着床して

目の前の窓で元気に育っています。


ところが、

そこを通過する風がニガ瓜の匂いを運んできます。


実を結んだら記念写真を撮影します。


・・・さて、

港区の高齢者福祉センターから

熱中症防止用として冷感スカーフが送られてきました。


「あゝ、我輩も高齢者だったんだ」


改めて鏡を見ると、


「ほんとだァ!」


然もあらんという顔でした・・・