秋田音頭の動画を観た。
これは難しい踊りだ。
「母」の2幕は、
「♪や~とせ・・・」
で始まるのだが、
数日の稽古では無理そうだ。
みんな、どうする?
大丈夫か?
秋田音頭の動画を観た。
これは難しい踊りだ。
「母」の2幕は、
「♪や~とせ・・・」
で始まるのだが、
数日の稽古では無理そうだ。
みんな、どうする?
大丈夫か?
友人に電話した。
「誰?」
「豪だよ」
「ごう?」
ぼくの知る彼とは気迫が違う声だ・・・??
「Pだろう?」
「誰が?」
「お前だよ」
「おれ?」
話が通じない。
やつはボケた!
そう思った。
「今度一緒に飲もう」
「だから、誰なんだよ」
もう一度名乗った。
ダメだ。
役者としても一流だった男だ。
名は通っていないかもしれないが、
ぼくの知る俳優の中では五本指に入る。
ボケるのはいいと思う。
が、おれの名前くらい思い出して欲しかった。
そういえば、
今は亡き山形の叔母が、
自分の旦那が見舞いに行くと、
「豪ちゃん、来てくれたか」
と大喜びするという話を聞いたことがある。
行く度にそういわれた叔父は、
「おれよりお前のほうが印象強いのかなァ」
寂しそうな顔をしたのを思い出す。
「また電話するよ」
切ろうとすると、
「なァ、間違い電話はやめてください」
と言われた。
日をおいて改めて電話してみよう。
このままでは、寂しすぎる。
役中人物・・・
役の人物をいうのだが、
前のブログに、
彼らから渡されるバトンの話をした。
受け取るかどうかではない。
先ず、
受け取れるかどうかが問題なのだ。
役者として、
いつもこれに悩んむ。
バトンが見えるまえに、
バトンを持っている人物を探すのが大変なのだ。
演じる役者にバトンが見え、
渡そうとする役中人物の表情が見えるまでの苦闘はすさまじい。
少なくても、わたしにはそうだった。
ローレンスオリビエの「ハムレット」を観た。
彼の演じたハムレットにうたれたのは、
彼のハムレットが円空仏のように、
ブツそのものに見えたことだった。
「これはマグロだ」
いや、それ以外の何物でもない、
マグロそのものが「マグロのブツ」だ。
短冊切りで、ハマチやタコと並んでいる刺身ではない。
そのものズバリのマグロだ。
役の人物は、
自分から近づくことはない。
役者が挑みかからなければ、
正体すら現さない。
その彼に、
「これが俺だ」というバトンを渡させるのだ。
しばしば、
「俺の人生が、お前に分かるか!」
といわれる。
「分かるわけがないだろう」
と答える以外にない。
「俺にはお前の人生の全てはお見通しだ」
と言われる。
「・・・・・」
黙るしかない。
だが、
「掴まえてやる」
と思う。
「よし、ここまで頑張ったとなれば・・・バトンを渡さざるを得まい」
と役の人物が声をかけてくるまで、
ひたすら接近を試みる。
それが役づくりなのだ。
演じるのではない。
先ず、役の人物のブツを見つけること・・・
これが役づくりだ。
横浜開港150年を記念して、
芥川龍之介さんの「雛(ひな)」を上演していた楽屋に、
多喜二の恋人タキ(舞台ではタミ)が亡くなったと
テレビ報道があったという知らせがあった。
「えッ、生きていたんだ」みんな驚いたものだ。102歳だったそうだ。
遊郭から身請けされ、多喜二に寄り添うように東京へ出てきて、
運動の何かも知らずに結婚話からも身を引き、
多喜二の死後の消息は確かでなかったそうだが、
102歳という長寿を全うして亡くなったというのである。
更に昨年は、多喜二が大笑いしている写真が主要紙に掲載された。
3人の真ん中で大笑いしている多喜二
いま劇団はその人たちを登場させる舞台に取り組んでいる。
小林多喜二もタミ(タキ)ちゃんも、
東京交響楽団の第一ヴァイオリンをつとめた多喜二の弟小林三吾も登場する。
演じる役者は勿論だが、
多喜二たちが差し出すバトンをしっかりと受け止めなければならない。
稽古はどれ程つんでも「これで万全」などあり得ない。
・・・にも関わらず遅々としている。
演出などスタッフの姿勢にも問題があるのかもしれない・・・のだが、
もっともっと真正面から彼らと向き合っていこうという姿勢が欲しい。
演じるとは、自らが、その人生を賭して果たす証のはずだから。
頑張ろう!