役中人物・・・
役の人物をいうのだが、
前のブログに、
彼らから渡されるバトンの話をした。
受け取るかどうかではない。
先ず、
受け取れるかどうかが問題なのだ。
役者として、
いつもこれに悩んむ。
バトンが見えるまえに、
バトンを持っている人物を探すのが大変なのだ。
演じる役者にバトンが見え、
渡そうとする役中人物の表情が見えるまでの苦闘はすさまじい。
少なくても、わたしにはそうだった。
ローレンスオリビエの「ハムレット」を観た。
彼の演じたハムレットにうたれたのは、
彼のハムレットが円空仏のように、
ブツそのものに見えたことだった。
「これはマグロだ」
いや、それ以外の何物でもない、
マグロそのものが「マグロのブツ」だ。
短冊切りで、ハマチやタコと並んでいる刺身ではない。
そのものズバリのマグロだ。
役の人物は、
自分から近づくことはない。
役者が挑みかからなければ、
正体すら現さない。
その彼に、
「これが俺だ」というバトンを渡させるのだ。
しばしば、
「俺の人生が、お前に分かるか!」
といわれる。
「分かるわけがないだろう」
と答える以外にない。
「俺にはお前の人生の全てはお見通しだ」
と言われる。
「・・・・・」
黙るしかない。
だが、
「掴まえてやる」
と思う。
「よし、ここまで頑張ったとなれば・・・バトンを渡さざるを得まい」
と役の人物が声をかけてくるまで、
ひたすら接近を試みる。
それが役づくりなのだ。
演じるのではない。
先ず、役の人物のブツを見つけること・・・
これが役づくりだ。