演劇人生 -49ページ目

演劇人生

今日を生きる!

日々の時を刻み・・・


ぼくの腕で50年を過ごしている時計がある。

国産の手巻き時計である。


この4月1日で50年になった。

一度のオーバーホールもせず、

コチコチコチコチ・・・・と時を刻み続けている。


数えれば三度ほど一緒に風呂にも入った。


何度か、デジタル時計に浮気もしたが、

バッテリーが切れると動かなくなり、

デスクの引き出しにポイッ!

そのうち液ダレを起こしてごみ置き場へ・・・


ところが、この50歳の時計は、

巻き上げさえすれば、

コチコチコチ・・・常に時を刻み始める。

因みに、メーカーはシチズン。


2012年、何処まで新境地を拓けるか!

この時計、

まだ50年は生き続けそうな気がする。

原発論議で、しきりに安全という言葉が飛び交っている。


安全ということばと熟語を形成するものをいくつか並べてみたい。

安全地帯

安全運転

安全剃刀

安全管理

安全点検

安全服

安全靴

・・・等々

こうしてみてみると、安全とは危険と隣り合っているように思う。

戦闘機の安全を論じたり、

原爆の安全性が論じられたりもするが論外だ。

熟語として成立している安全運転にしても、

交通事故は絶えないし、

安全剃刀にしても、使い方を間違えば切ってしまう。

危険をはらんでいるからこその安全なのである。


さもなければ「安全」などという冠は、有形無形にかかわらず不必要なのだ。

火を近づけても燃えないガソリンではない。

食べ過ぎてお腹をこわす人がいても、

おにぎりに安全おにぎり等という表示はない。


原発が安全だという理屈は、

どこをどう取り替えても、ひっくり返しても成立しない。

これと電力不足とも一切関係がないのである。

「結婚申し込み」といえばチェーホフ。

こんどは横浜中華街で公演する。


・・・ので、シチュエーションを中国にする。

福建省のいち山村である。


登場人物も

鄧昌さん、

劉福大さん

立彗さん

もう一人・・・

卓琳さんを追加した。

きょうは、その稽古である。


「何だとッ、お前の母ちゃん、土手かぼちゃ!」

「何だとッ、クソ女!」

「飲んだくれッ!」

「オカチメンコ!」

「人殺しッ!」

「犬殺しッ!」

大声でわめき散らしての稽古で、

別の部屋で詩吟をやっていた人たちが、

「大丈夫ですか?」

本ものの喧嘩と間違え、

心配して覗きに来る始末。


「・・・ン?」

「地震だ!」

「伊藤さんの貧乏ゆすりだと思って・・・」

ムムムッ・・・貧乏ゆすりで

「こんなに揺れるか!?」

その揺れも収まって、稽古終わり。


千駄ヶ谷・・・東京体育館・・・国立競技場・・・

神宮球場・・・外苑銀杏並木・・・青山1丁目・・・

とゆっくりゆっくり自転車をこぎながら帰って来た。

銀杏並木もすっかり丸坊主だが、

もうすぐ新緑の芽を見せてくれるだろう。


稽古も佳境に入って、

怒鳴りあいも激しくなってくるに違いない。


いいぞ、いいぞ!


2012年、何処まで新境地を拓けるか!

わたしは生きている。

それを、

こんなにまで実感した年はありませんでした。


あの3月11日から一年経とうとしています。

命あるものは、

避けられないふたつの運命を宿しています。

一つは死であり、もう一つは命を生きることです。


残る命を、

どう生きるか・・・

そして、

どう死ぬかを、

明日また、改めて考えるような気がしています。

三浦綾子作「貝殻」

<「毒麦のと季」より>

大学を出て、

生花の先生の紹介で結婚した敏子がたどる人生を描いた短編小説。


お堅い役人の家に嫁いだはずが、そこは賄賂まみれの家庭でした。

幻滅を感じたのもつかの間、夫が他の女に子どもをつくり、

その子を、我が家に引き取るという話が持ち出され、

敏子は、それに従うほかに道はなかった。


絶望に追いやられた敏子は自殺を考えクッチャロ湖へ向かった。

浜頓別駅に降り立ち、ふと見上げた時間表の中の、

「北見枝幸」の文字が敏子の目に飛び込んできた。


敏子は、その駅名に釘付けになった。


枝の先に、ぶら下がるように書かれた「幸せ」の文字・・・

「幸せって何だろう」

今の自分には、「死」こそが幸せなのではないのか・・・

そして誘われるように興浜北線に乗り込み、

北見枝幸へと向かうのである。


敏江は、その後、安さんという知恵遅れの若者に出合います。

その出会いが、敏子に自殺をもいとどまらせます。


昭和14年から始まるこの物語は、

原作にはない、

敏子が再婚した相手の連れ子とのラストシーンで終わります。

もうすぐ脚本としての姿を整えます。