原発論議で、しきりに安全という言葉が飛び交っている。
安全ということばと熟語を形成するものをいくつか並べてみたい。
安全地帯
安全運転
安全剃刀
安全管理
安全点検
安全服
安全靴
・・・等々
こうしてみてみると、安全とは危険と隣り合っているように思う。
戦闘機の安全を論じたり、
原爆の安全性が論じられたりもするが論外だ。
熟語として成立している安全運転にしても、
交通事故は絶えないし、
安全剃刀にしても、使い方を間違えば切ってしまう。
危険をはらんでいるからこその安全なのである。
さもなければ「安全」などという冠は、有形無形にかかわらず不必要なのだ。
火を近づけても燃えないガソリンではない。
食べ過ぎてお腹をこわす人がいても、
おにぎりに安全おにぎり等という表示はない。
原発が安全だという理屈は、
どこをどう取り替えても、ひっくり返しても成立しない。
これと電力不足とも一切関係がないのである。