演劇人生 -48ページ目

演劇人生

今日を生きる!

長い間愛用した自転車を弔いました。

「これ弔って下さい」

自転車店のお兄ちゃんに頼みました。

「弔うんですか?」

「そう。廃車かなァ。代わりに新車買うからさ」

「あゝ、そういう意味ですか」

葬儀料¥520

この愛車で、30分圏の山の手線内なら何処へでも行った。

若しかすると、おれより長生きするかもしれないと思ったものだが、

自転車のほうが先に逝ってくれた。

「ありがとう!・・・愛車よ!」

明日からは赤いボディの新車になります。

早朝の中央線電車の中。

「????」

鼾が聞こえた。

あゝ、これは無呼吸に結びつくタイプの鼾・・・・と、

思った瞬間、

「カッカッカカカ・・・・」

止まったァ、やっぱり無呼吸だ!

1秒、2秒・・・・

「プ~ゥ」

「何処で?」

辺りを見回して驚いた。


立ったままじゃないか・・・いでたちは紳士だ。

「グ~ッ・・・グ~ッ・・・」

新宿に着いた。

紳士は目を開けた・・・が、直ぐ目を瞑る。

ドアの方向を確かめた風だった。

安心したように、再度、鼾をかき始めた。

電車が停まり、ドアが開いた。

混む人波に押されがら

「グ~ッ!」

歩きながらも眠りは続いている。

周囲の人たちは、一様に目を丸くした。


ある一人は、「すごい!」といい、

二人連れは、遠慮気味に、だが声を出して、

「忍者だ」という。


忍者・・・?

立ったままで眠る忍者はいたかもしれないが、

鼾をかいていたかどうか。


ただただ、すごい!

過ぎたる疲れの中にあるのかもしれないなァ・・・

三浦綾子さんの作品「母」を劇化して10年が経ちました。

昨日、「何故、『母』を継続して上演しているのか」と、質問を受けました。

「一度観て頂ければ、その理由はお分かりになります」

とは言えませんので、説明に苦労しました。


私は人として生まれ、この年になるまで、

何度自分の母を感じ、

自分の母を思い、

自分の母を考えたかわかりません。


それは、

自らを感じ、

自らを思い、

自らを考えることでもあります。


「母」という舞台は、

「こんな内容です」とか、「ここを見て欲しい」などと説明する類のものではないのです。
観る人によって感じる場所も広さも深さも違うのです。

観てもらわなければならない理由はここにあります。


わが劇団には三園ゆう子という女優がいます。

彼女がなければ、劇団の「母」は存在しません。


三浦綾子さんの「母」は、

演じ、創る側、観る側含めて、1,000人いれば1,000通りの「母」があり、

その多くの部分を共有し合える、簡単に言えば、そんな作品なんです。

やはり解りにくいですね・・・

読んでいて涙があふれました。

帰宅途中の地下鉄の中、

斜め前に座っていた女性が怪訝な表情をしていました。


乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに


この一句を涙なしに読めませんでした。

長谷川櫂氏の「震災歌集」です。


ハンカチを忘れたのを悔やみました。

ポケットティッシュで涙を拭きました。


本の表紙が見えたのかもしれません。

怪訝な表情は、「然もあらん」の表情に変わっていました。


明後日で1年と1ヶ月です。

新境地開拓!
    杉並区保護樹のさくら

新クールがスタートしました。

これまで、受講者が女性ばかりでしたが、

願ってもない男性が入ってくれました。


見学者と思っていたのですが、「もう申し込んできました」と聞いて、

いささかビックリするほど、待ち望んだ男性でした。


きょうは、簡単な呼吸と、明確な発音のし方からはいって、

三浦綾子さんの「役に立つということ」のアレンジ朗読、

宮沢賢治の「やまなし」の朗読勉強をして終わりました。