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演劇人生

今日を生きる!

昨日稽古があった。

入団希望者を迎えて、いきおい劇団のシステムの問題やら、

俳優の在り方についての問題になった。


※こんな劇団だから、劇団員がなかなか集まらないのだという向きもあるが、

それはそれ、嫌なら来なきゃいいし、駄目だと思ったら辞めればいい。

引きとめもしないし惜しいとも思わない。やせ我慢でも何でもない。


人類の有史以来、(大きな話になるが)・・・

「新人」の時代から数えて20万年くらいになるのだろうか。

あなたは人類として何番目に生まれたかなんてわかるはずもない。

全宇宙にいくつ星があるかは知らないが、

800億以上の銀河があるらしいから、

星の数に匹敵するのか、それを超えるのか・・・


ただ、その数ある命の中の一つであり、

唯一無二のひとつであることに間違いはない。

あなたはあなた以外の誰も、とって代わることのできないあなたなのである。


俳優の勉強は、ここから始まる。

人としての自らを知ることである。

そのあなたが、とって代わることのできないはずの別人物を演じるのだ。

となれば、俳優という仕事の大変さがわかるはずだ。

あなたはあなた以外ではないのと同様、

演じる人物もあなたではない。

しかし、あなたが演じなければならないのだ。


あなたの演じる人物と膝を交えて語り明かして欲しい。

そこで感じたものを稽古場で見せて欲しい。

それが稽古だ。

俳優の仕事とは、役の人物の命と向き合うことなのだ。

「こんな感じ?」

とか

「あんな感じ?」

などと思わないでくれ。

「感じ」なんてどうでもいい。

昨日、病院へ行った。

時間によるのか混んでいた。

ベンチもほぼ満員だったが、ぽっかり一つ空いていた。

「すみません」

「どうぞ!」

にっこり声をかけてくれたご婦人に、

「ありがとうございます」と、とりあえずお礼を言い、

「中は涼しいですね。外は茹だるような暑さです」

「勝手気ままな人間を自然が怒っているのですわ」


・・・これは正論だと思った。

だが瞬時、「勝手気ままな私たちを」じゃないのかと思えたが、

しばらく時間をおいて、

「ご尤もです」

この返事には何の反応もなかった。

わたしの一瞬の躊躇をどう思ったかはわからない。

勝手気ままな人間の中に、吾輩もそうだが、

そのご婦人も、「暑い、暑い」と言っている大人たちみんな、

被害者面した加害者ではないのか・・・


借金を先送りしないために消費税増税するという一方、

原発稼動で発生する核廃棄物の先送りはどうするのだろうか。

孫子の代どころの騒ぎではない、何千年何万年先への先送りじゃないの?

ま、その頃には今生きている人類はいなくなっているし、

自民党とか民主党などもなくなり、国民の生活何とかいう党など、

あったかなかったかも歴史書をひっくり返しても見つからないかも知れないし、

地球全体が滅びてしまっているかもしれない・・・

借金もカプセルにでも入れて数千年先に先送りできればいいのかもしれない。

先日、エムズカンパニーの公演

「夕凪の街 桜の国」を観劇した。


重いテーマを扱った作品だ。

若い出演者たちが、よく圧し潰されなかったものだと感心した。

代表で、脚本と演出をした二宮さんも若い(と思う)が、

このようなテーマに果敢に取り組んだ、その姿勢に先ず拍手を送りたい。


作品を見ている間に、何度か憂鬱にさせられる。

わたしは年を食ってはいるが、戦後世代に仕分けられる年齢である。

しかし、父や母はまさに戦中に生き、

その歴史を、いやが上にも私に引き継いだのである。

父や母、祖父や祖母・・・彼らがいなければ私はここにいない。


そこに見せられた被爆の広島に生きた人々である。

太平洋戦争が、ピカがどんなものであったのか。

何故日本は戦争したのか、そして敗北したのか・・・

その戦争で、何人殺し、何人死んだのか。

この諸々を考えさせられる中で、憂鬱さに襲われたのである。


この事実から逃げようにも逃げられない自分がここにいる・・・


それを思ったとき、これを責任というなら、

受け止める以外にないのではないか。

何故なら、私は紛れもなく父や母の血を受け継いで今があるのだから。


「あの時を思い出すと・・・・」

と、涙ぐむ幼馴染がいます。

食糧事情などと言える事情ではなかった時代です。


父が送ってくれたさつま芋の苗。

当時は、山形では珍しかったのです。

夏が過ぎる頃には収穫できました。


私が小学生の頃です。


母は、それを茹でてくれました。

「友だちを呼んで来い」

こんなものを食べるのに、友達に声をかけるなんて・・・

私自身、食べたことのないものでしたが、

我が家で収穫するもので、人さまに声をかける代物なんてあるわけがない。

こんな気持ちが巣食っていたようです。

貧すれば鈍す・・・心が貧しかったのでしょうね。

些か恥ずかしいような気持ちがあったのかもしれません。


「芋茹でたから来ねが?」

数人の友人達も期待をするわけがありません。


母は、大皿いっぱいに盛って出してくれました。

「こいず、何だ?」

そしてホカホカに湯気の立つ芋を二つに割っては歓声を上げました。

「うわ~ッ、紫色だ!」

「甘いッ!」

「美味いなァ!」

私も、半世紀以上経た今でも、この時の情景は脳裏に残っています。


「お前の母ちゃんが、残ったのを持って帰ってって言ってくれたんだよ」

あの時のことを今でも思い出すのだという。


その友人が見たいという写真がある。

さつま芋を食べて何十年も後のものだが、

「あの時の母ちゃんみたいに思える」

のだそうである。


新境地開拓!
 左が、その母で、右は苗を送ってくれた父である。