演劇人生 -225ページ目

演劇人生

今日を生きる!

ばか者!!!!!!!

今度だけは腹が立ったぞ!

××のあられ・・・じゃない…荒くれ親父・・・(あえて個人名を伏せる)


その内容が何であれ、

我が子を従え、謝罪の記者会見をせざるを得ない親ほど辛いことはないだろう。


目をそむけ、絶句せざるを得ないような試合を、

テレビを通して全国に見せておきながら、


シラー「こんなはずじゃなかった」(放映テレビ局)

にひひ「・・・でも視聴率は稼げた…オンノジ、オンノジ!」(同局&スポンサー)


質問「反則を指示していないか?」

親父「していません」

ここで第一のお腹立ちじゃ!!!


質問者よ、君は何故、反則を指示したかを親父に聞いたのだ?


箇条書きした質問をしているだけじゃ記者は務まらんのだよ・・・


「では、反則の全ては息子が自分の判断でおこなったのか?」


この質問に行かなければ、単発の豆鉄砲だろう!

※ここで第二のお腹立ちじゃ!


××の親父よ、お前は息子を連れて来て、

彼をかばいたいと思わないのか?

親なら、命を懸けて息子を守ってやれ!

反則の罪全部を担ってやれッ!


お前がべーっだ!「・・・していません」

といった途端に、

悪の全部を息子の肩に背負わせたことに気付かなかったのか!?

ドンッ親失格!

爆弾切腹しろ!


しょぼんと座る未成年の子どもを、

全国からの非難の矛先にし、

手前ェがいい子になろうとする親父の姿を見て

むかっ・・・・おれの血圧は頂点に上った。爆弾


メラメラクソッ!ドンッ

息子を、初めて可哀想に思えた瞬間だ!


むかっテメエは帰れッ・・・息子を先に席を立たせたのは、

一緒にいづらかったからだろう。

親の責任を放棄して…息子に罪をなすりつけた醜い親じゃないか・・・・


テレビを見ていて・・・怒り心頭に達するようなことは滅多にない!


爆弾ドンッ爆弾パンチ!腹が立って、腹が立って仕方がない!


むかっク~ッメラメラメラメラドンッパンチ!

クチコミネタ:ついに決着!亀田vs内藤

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ボクシングで投げ飛ばす・・・

僕はボクシングの試合は見るが、詳しくはない。


戦後の混乱の中で、白井義夫さんというボクサーが世界チャンピオンになり、

俄然人気が沸騰したボクシング・・・

体力に劣る日本人だが、それを補うテクニックと耐力では決して劣らなかった。

だから、いろいろなテクニックが生まれるのは分かる。

が・・・本来は、「打ち合い」をするスポーツじゃないのですか?

そこには、打たれるのを防ぐテクニックも生まれるでしょうし、

また防御をかいくぐって打つテクニックも生まれるでしょう。


しかし今回の世界戦は、そのようなボクシングではなかった。

悪の喧嘩祭り・・・

亀田一家のならず者ぶりは「悪」をボクシング界に持ち込んだ。
ボクシングを「殴りあい」にし、「極悪の伝説」をつくったと思う。
対戦相手に対する無礼極まりない態度からして、
演出の域を越えた下賤の行為だ。

その者を賛美したTBSは、
未だに歯切れの悪い態度に終始している。

中継で、反則を「若さが出た」という言い回しはもってのほかだ。

「これはいけない」と、どうして言えないのか・・・

紳士的にしろとは言わない。

「親がいけない」・・・という人もいる。

確かに悪いには違いないだろうが、

それを囃し立て、持ち上げる連中がいるうことにも問題がありはしないか。

荒くれを売り物にし、無礼を看板に、品性のなさをサングラスで隠し、肩で風を切ってのし歩く。
少しでも、気に沿わないことに出会うと睨みつけ、恫喝する。

今回のペナルティは軽かった。
罰を下す前に、内藤氏に対して、亀田と親は陳謝するべきではないのか。

それに引き換え、内藤氏は立派だ。

口下手で、言いたいことの半分も口にしていないはずだが・・・。


グローブを外して打ち合えば喧嘩になる。

心得てか知らずか、「勝ってよかった」の言葉。

「おれは強い」とはひと言も言わなかった。

苛めを克服できたことも言った。

子ども達に見せたい部分と、見せたくない部分が混在する今回の事件だった。

世に存在する大きな矛盾が凝縮して存在しないか…とも思う。

が、断罪して「あゝ、よかった」といって済ませる問題でもない。

亀田は内藤教室での修行をすすめたい。
(内藤氏は「いやだ」と言うだろうなァ・・・・)

もう一つ、胸に手を置いて考える。

俺の中に、「亀田」 がいやしないか・・・・ということだ。

亀田は誰の中にもある…いや棲んでいるように思うのである。

クチコミネタ:バブルの思い出

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ちょうど今、
たまたまであるが精神的領域…等ということを考えているさなかに、
このクチコミブログのテーマに出会ったので・・・・・。

バブル時代の身近な出来ごと
1.4千万そこそこで購入した土地つき家を、1年後2億円で買うといわれた(売らなかったが)えっ
2.友人が三度めの韓国に行くというので誘われたが(いわゆる売春ツアーだった)
  僕は行かなかった(友人は、貰って来たお土産で病院通いをして奥さんにばれた)シラー
3.1ヵ月に30組の婚礼司会をしたことがあったにひひ
(この頃は年300組を超えることもあった)
  ある婚礼司会では、ご祝儀だけでウン10万円も入っていたことがあったプレゼント
4.欲しいと思わなくても仕事がどんどん入って来たビックリマーク
  「こんなにもらっていいのかなァ・・・」にひひ
5.ちょっとしたことでパーティが開かれては招待を受けた演劇
6.捨てることが文化に組み入れられ、飽食文化などという言葉も生まれた
  (しかし世界には飢餓に苦しむ国が沢山あった)叫び
7.会社の金でパブやキャバレー通いをする社用族が六本木等にあふれたビールクラッカー
8.一週前錆びた自転車に乗っていた奴が今日はベンツに乗っていた。自転車 車
・・・・・・・・等々いろいろあったが、

その中から、他愛のない思い出だが、象徴的に思える出来事をひとつ・・・

     映画 +++++++++ →女の子男の子

人として生まれ生きている中には、
大切な、他人に踏み込んで欲しくないもの…精神的領域があるのではないか…と思う。

そこにズカズカと踏み込んで来る人は、いつの世にも、何処にでも何人かいるように思う。

夫婦の間にでも、踏み込んではならないそれぞれの精神的領域がある。
息子として親を考える時、どれ程嫌悪することがあったにしても、
それを妻も共有出来るかといえば、そうとは言え切れない。

大恋愛の末結婚した夫婦でも、結婚前の他の男性や女性との関係にまで
根掘り葉掘り聞かれて気持ちよく明らかに出来るものだろうか。

ところがこんな問題などへでもない出来事もある。ドンッ

この頃ウエディング司会もしていたが、
土日、祝祭日は日に二組は当たり前で、
三組という日も相当数あったものである。

当時、披露宴の多くが2時間であったこともある。

そんなある日、披露宴の進行打ち合わせで、ひと組のカップルに会った。
新郎は父親同伴だったが、打ち合わせ前にホテルの支配人から、
「新郎の父は、このホテルで月数回のパーティを開いてもらっている」
・・・ので慎重に打合せをして欲しいという前振り(話)があった。

新郎の父はバブル時代に世にはびこった地上げ屋だった。

僕が3人の前に座るなり、
ニコニコ「息子の結婚式は、今回で3回目なんだよ。
   もう、これで終わりにしてもらいたいと思っているんだ。

新婦を前にして父は更に続ける。

ニコニコ「前の女房とスキーに行って骨折して、入院した病院の看護婦と子どもをつくるなんて
   考えられるかね。個室に入れたんでこんなことになっちまったんだな」

悪びれることなく、こんな話をする父も父だが、
その横で新婦の手をもてあそびながらエヘラエヘラしている新郎にも驚いた。

ニコニコ「息子は会社じゃ専務で、こいつの前の女房はわしの秘書だ。首切ったが、
   会社中知れていることだからね、3ヶ月は我慢させたんだよ。
   で、お腹も大きくなってきたし放っておくわけにも行かんじゃないか」

何ともハチャメチャである。

新婦は多少常識を弁えているのか、まとわりつく新郎の手を外しながら神妙にうつむいている。

結婚式も3回目だが、来る客は1回目からの客とほとんど同じ連中だ。

ニコニコ「司会者さんに目先を変えてもらいたいんだよ」

・・・だと。!!

むっ「こりゃァ、また別れるでしょうから、慌てて式など挙げなくてもいいんじゃないですか?」
と言いたいところだが・・・
むっ「そんな芸当は僕にないですよ」
と、一部お断りしたものの拒否権はない。

打ち合わせが終わり、新郎と父親がトイレに立った隙に新婦が・・・
しょぼん「すみません。お腹立ちでしょうが我慢してください。障害を持っている妹や困っている親を
   ラクにさせたいので、わたし自分を殺しました。・・・内緒ですけど」

「はァ・・・そうですか」
としか返事が出来ず、後に続く言葉は見つからなかったのを覚えている。

打ち合わせを終らせて帰る道中は気が重かった。
「ありゃァ、持って1年だろうな」

披露宴当日は、新郎の会社の女性に絡まれた。
初代秘書だという女性は酔っ払って、司会台までやってきて抱きついてくる。
キスマーク卑猥な言葉を耳元でささやく。
ラブラブ!「ねェ、これが終ったら一緒に付き合って、××しよう。今夜はこのホテルに部屋を取ってあるから
   明日まで付き合ってちょうだい。酒が入ると駄目なの。××を触ってみて」

新郎の父に助けを求めると・・・
ニコニコ「まァ、適当にあしらっておけばいいよ」
相手にならない。
披露宴をお開きにしてほうほうの態でホテルを抜け出し帰路についたが、
喉はカラカラ、足元フラフラ・・・散々な思いをしたのだった。

さて、それから数年・・・(6~7年は経っていたかと思う)中央線で新郎に会った。
いわゆるバブルははじけていた。
彼の方から声をかけてきたのだ。
誰なのか瞬時には分からなかった。
得意げ「ほら、××ホテルで司会をしてもらった××です」
かお「あァ・・・あの新郎さん!その後どうですか」
得意げ「別れましたよ。翌年に」
かお「じゃ、子どもは?」
得意げ「女房が連れて行きました。へへへ、身軽ですよ今は。会社もなくなりましたし・・・」
かお「・・・・」
得意げ「そろそろ、また結婚したいと思っているのがいるんですよ。また伊藤さんに頼めますかね」
むっ「まだ懲りないですか」
ラブラブ!「今度は大丈夫だと思いますから。今デートの帰りなんです」

呆れて口を利くのも否になり、立川まで行くのに三鷹で・・・・
むっ「ここで降ります」
・・・と飛び降りた。

くだらない、呆れるような思い出だが・・・どう考えても、バブルを象徴する事件のようでならない。
人には、立ち入って欲しくない精神的領域があるのだが、
この時ほど、その領域にズカズカと土足で踏み込まれた思いを味わったことはないように感じる。

誰に何かされたわけでもない。
だた一つの経験がそれを味わせるのだ。

・・・・嫌で嫌でならない思い出である。
爆弾メラメラ
狂乱の時代である。
ドンッメラメラ
贅を尽くしながらの貧しい人間が大勢生まれ、消えていった時代ではなかったか・・・・・
ドクロ
ちなみに、この婚礼・・・ご祝儀は出なかった。
爆弾

友人が、

母親の誕生日に電話の一本寄越さない息子を怒っていた。

ブーケ1

花束をもってこいとか言うんじゃない、電話でいいというんだよ、

電話

「誕生日おめでとう」

・・・のひと言でいいんだよ。

しょぼん

「そうだなァ・・・」

・・・と返事をしたのだが、

こんな話をされた僕のショックは、彼は知らない。

ショック!

大学を出ても5年もの間、

当たり前のように仕送りさせ、

母親の誕生日も、親父の誕生日も、未だに知らない。

既に亡くなっているが、

何年目になるかも、

書類を見ないと分からない。

あせる

慙愧に耐えない・・・とはこれ以上のものはないかも知れない。

ダウン

息子や娘が結婚する段で、親子関係は解消される…


これが僕の持論だ。


結婚で解消されない関係は息子や娘としての関係…


これは親が永遠に背負うとともに、

子も同じだ。

!!

・・・自分の生まれた年は忘れる人は殆どいないだろう。

だが、親の誕生日を30になっても40になっても覚えている人は何人いるのだろう・・・

はてなマーク

えッ、知らないのは僕だけ?

叫び

既にいない親の誕生日と逝去日くらいは覚えておいた方がいいのかもしれない・・・・・・


友人からの電話で、

コレまでの人生で思いもしなかったことにぶつかったが、

それが、これほど身近なものごとなのである。

・・・にもかかわらず、掘り起こされて初めて気付いたことなのだ・・・

しょぼん

いま・・・・

何を言えばいいのか、ことばが見つからない。

『親心・・・思いやりよ』


ほう・・・親心って?


思いやりって?


さっき街を歩いていて耳にしたことばだ。


3~4歳の子どもを連れ歩いていた母親(だろう)が、

涙をためて声をころして泣いている子どもの手の甲を二度三度叩いていた。

そこに通りかかった年配のご婦人が顔をしかめ、

「まァ、どうなさったの」

声をかける。


「さっき欲しいお菓子を買ってあげなかったから、すねてるのよね?」


年配のご婦人に答えているのか、

叩いた理由を子どもに対して念押ししているのか、

どちらともつかない言い回しだ。


「まァ可哀想に、手が赤くなっているじゃないの…ねェ」


ご婦人は、お菓子をねだった程度でこんな仕打ちをしている母親を、

確実に非難しているのだが、そのことばを子どもにかけている。

「えゝ、そうです」

子どもに同意を求めるように・・・


不思議なやりとりだ。


「親としての、この子への思いやりです!」


・・・と言うなり、グイと子どもの手を引いてその場を後にした。


ご婦人は、ひと言…


「可哀想に・・・」


さっきより強いことばで言い放つと、反対方向に去っていった。


ショック!


はて・・・親としてはいいだろう。


「思いやり」とは何だろう。


優しさでないことは確かだ。

むっ

子どもにとって本当に必要なのは、優しさ・・・ではないのだろうか。


思いやりは意識的、意志を内包したことばで、

~のために・・・という「~してあげる」ことではないだろうか・・・


叩いてはいけないとは、言い切れないかもしれないが、

子どもに本当に必要なのは、

「親としての優しさ」ではないのだろうか。

DASH!

その優しさをもって、すねている子どもを叱るとすれば、

傍で見ている者に対して、

「可哀想」に映るだろうか・・・

はてなマーク

よしんば、叩いていても、

それが優しさからであったならば、

傍で見ていたご婦人の心をも、一緒に包み込んだのではなかったろうか・・・

!!

そんな思いを持ちながら、

家に帰って来て書いている。

汗

何か、あの子の涙が目の前にちらついて離れない。