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クチコミネタ:バブルの思い出

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ちょうど今、
たまたまであるが精神的領域…等ということを考えているさなかに、
このクチコミブログのテーマに出会ったので・・・・・。

バブル時代の身近な出来ごと
1.4千万そこそこで購入した土地つき家を、1年後2億円で買うといわれた(売らなかったが)えっ
2.友人が三度めの韓国に行くというので誘われたが(いわゆる売春ツアーだった)
  僕は行かなかった(友人は、貰って来たお土産で病院通いをして奥さんにばれた)シラー
3.1ヵ月に30組の婚礼司会をしたことがあったにひひ
(この頃は年300組を超えることもあった)
  ある婚礼司会では、ご祝儀だけでウン10万円も入っていたことがあったプレゼント
4.欲しいと思わなくても仕事がどんどん入って来たビックリマーク
  「こんなにもらっていいのかなァ・・・」にひひ
5.ちょっとしたことでパーティが開かれては招待を受けた演劇
6.捨てることが文化に組み入れられ、飽食文化などという言葉も生まれた
  (しかし世界には飢餓に苦しむ国が沢山あった)叫び
7.会社の金でパブやキャバレー通いをする社用族が六本木等にあふれたビールクラッカー
8.一週前錆びた自転車に乗っていた奴が今日はベンツに乗っていた。自転車 車
・・・・・・・・等々いろいろあったが、

その中から、他愛のない思い出だが、象徴的に思える出来事をひとつ・・・

     映画 +++++++++ →女の子男の子

人として生まれ生きている中には、
大切な、他人に踏み込んで欲しくないもの…精神的領域があるのではないか…と思う。

そこにズカズカと踏み込んで来る人は、いつの世にも、何処にでも何人かいるように思う。

夫婦の間にでも、踏み込んではならないそれぞれの精神的領域がある。
息子として親を考える時、どれ程嫌悪することがあったにしても、
それを妻も共有出来るかといえば、そうとは言え切れない。

大恋愛の末結婚した夫婦でも、結婚前の他の男性や女性との関係にまで
根掘り葉掘り聞かれて気持ちよく明らかに出来るものだろうか。

ところがこんな問題などへでもない出来事もある。ドンッ

この頃ウエディング司会もしていたが、
土日、祝祭日は日に二組は当たり前で、
三組という日も相当数あったものである。

当時、披露宴の多くが2時間であったこともある。

そんなある日、披露宴の進行打ち合わせで、ひと組のカップルに会った。
新郎は父親同伴だったが、打ち合わせ前にホテルの支配人から、
「新郎の父は、このホテルで月数回のパーティを開いてもらっている」
・・・ので慎重に打合せをして欲しいという前振り(話)があった。

新郎の父はバブル時代に世にはびこった地上げ屋だった。

僕が3人の前に座るなり、
ニコニコ「息子の結婚式は、今回で3回目なんだよ。
   もう、これで終わりにしてもらいたいと思っているんだ。

新婦を前にして父は更に続ける。

ニコニコ「前の女房とスキーに行って骨折して、入院した病院の看護婦と子どもをつくるなんて
   考えられるかね。個室に入れたんでこんなことになっちまったんだな」

悪びれることなく、こんな話をする父も父だが、
その横で新婦の手をもてあそびながらエヘラエヘラしている新郎にも驚いた。

ニコニコ「息子は会社じゃ専務で、こいつの前の女房はわしの秘書だ。首切ったが、
   会社中知れていることだからね、3ヶ月は我慢させたんだよ。
   で、お腹も大きくなってきたし放っておくわけにも行かんじゃないか」

何ともハチャメチャである。

新婦は多少常識を弁えているのか、まとわりつく新郎の手を外しながら神妙にうつむいている。

結婚式も3回目だが、来る客は1回目からの客とほとんど同じ連中だ。

ニコニコ「司会者さんに目先を変えてもらいたいんだよ」

・・・だと。!!

むっ「こりゃァ、また別れるでしょうから、慌てて式など挙げなくてもいいんじゃないですか?」
と言いたいところだが・・・
むっ「そんな芸当は僕にないですよ」
と、一部お断りしたものの拒否権はない。

打ち合わせが終わり、新郎と父親がトイレに立った隙に新婦が・・・
しょぼん「すみません。お腹立ちでしょうが我慢してください。障害を持っている妹や困っている親を
   ラクにさせたいので、わたし自分を殺しました。・・・内緒ですけど」

「はァ・・・そうですか」
としか返事が出来ず、後に続く言葉は見つからなかったのを覚えている。

打ち合わせを終らせて帰る道中は気が重かった。
「ありゃァ、持って1年だろうな」

披露宴当日は、新郎の会社の女性に絡まれた。
初代秘書だという女性は酔っ払って、司会台までやってきて抱きついてくる。
キスマーク卑猥な言葉を耳元でささやく。
ラブラブ!「ねェ、これが終ったら一緒に付き合って、××しよう。今夜はこのホテルに部屋を取ってあるから
   明日まで付き合ってちょうだい。酒が入ると駄目なの。××を触ってみて」

新郎の父に助けを求めると・・・
ニコニコ「まァ、適当にあしらっておけばいいよ」
相手にならない。
披露宴をお開きにしてほうほうの態でホテルを抜け出し帰路についたが、
喉はカラカラ、足元フラフラ・・・散々な思いをしたのだった。

さて、それから数年・・・(6~7年は経っていたかと思う)中央線で新郎に会った。
いわゆるバブルははじけていた。
彼の方から声をかけてきたのだ。
誰なのか瞬時には分からなかった。
得意げ「ほら、××ホテルで司会をしてもらった××です」
かお「あァ・・・あの新郎さん!その後どうですか」
得意げ「別れましたよ。翌年に」
かお「じゃ、子どもは?」
得意げ「女房が連れて行きました。へへへ、身軽ですよ今は。会社もなくなりましたし・・・」
かお「・・・・」
得意げ「そろそろ、また結婚したいと思っているのがいるんですよ。また伊藤さんに頼めますかね」
むっ「まだ懲りないですか」
ラブラブ!「今度は大丈夫だと思いますから。今デートの帰りなんです」

呆れて口を利くのも否になり、立川まで行くのに三鷹で・・・・
むっ「ここで降ります」
・・・と飛び降りた。

くだらない、呆れるような思い出だが・・・どう考えても、バブルを象徴する事件のようでならない。
人には、立ち入って欲しくない精神的領域があるのだが、
この時ほど、その領域にズカズカと土足で踏み込まれた思いを味わったことはないように感じる。

誰に何かされたわけでもない。
だた一つの経験がそれを味わせるのだ。

・・・・嫌で嫌でならない思い出である。
爆弾メラメラ
狂乱の時代である。
ドンッメラメラ
贅を尽くしながらの貧しい人間が大勢生まれ、消えていった時代ではなかったか・・・・・
ドクロ
ちなみに、この婚礼・・・ご祝儀は出なかった。
爆弾