演劇人生 -198ページ目

演劇人生

今日を生きる!

笑いにはいろいろあります。

昨日のことです。

路上で言い合っている男女がいました。


女は完全に優位に立っているようで、

「どういい訳しても許せない!」

とかなりの声で怒鳴っていました。

そして、

「出しなさいよ、隠さないで」

更に追い討ちをかけているようです。

男は財布を出して、

「だから、見せたろう。何ならこれ渡すよ」

女は、

「そんなボロ財布いらないわよ。百万よ」


おッ、百万・・・?!

ぼくは俄然興味が深まり聞き耳を立てた。


男は突然笑い出し、

「だから、スッちゃったんだってば」

女は一層怒り出しました。

「今朝じゃないのよ、持っていたのは!」


何だか知りませんが、

今朝がた持たした百万円を、

男は全部賭け事か何かで使い果たしたらしいのです。


男の笑いは止まりませんでした。

涙を拭きふき笑っています。


女は、

「何よ、笑って誤魔化すつもり?」

そして、こっちを見て、

「見世物じゃないわよ!」

八つ当たりじゃないか・・・

と言いたかったが、

「すみません」

思いもかけずこんなことばを呟いてその場を去りました。


が、笑いが気になる。

笑いにもいろいろあります。


あの男は、一円残らず使い果たしたのだ・・・と思いました。

あの笑いは、何もない証拠の笑いに違いない・・・

両方とも・・・可哀想に!むっDASH!


・・・いまごろ、どうなっているのだろうか・・・・!?

ある劇団の稽古を観てきた。

他所の劇団の稽古を見たって面白くない・・・

だが、

「是非見てくれ」

といわれて見に行った。

やはり見ないほうがよかった。

演出は、

「そんな声じゃ、客席に聞こえないよ」

しょっちゅう、こんなことを言っていた。

役者ってね・・・

「どんなセリフでも客席に届くように訓練が必要なんだよ」

「日常会話を持ってきても、芝居じゃ通じねえんだよ」

とも言っていた。


そうだろうか・・・

あのセリフは聞こえなくていいんじゃない?

ぼくは・・・そんなことを思いながら見ていた。

また、セリフの全部を客席に聞かせなくてならないこともないはずだ。


聞こえなくてもいいセリフなんて書かない。

・・・そんな作家さんもいるだろうが、

これまで読んだ本の中には、

声として、客席に届かなくていいだろうセリフもあったし、

あっていいと思う。


役者の勉強をしたいという人で、

「声の出し方も知らないし・・・」

という人がいる。

「いま出しているじゃないですか」

というと、

「・・・?」


普段、支障なくしゃべれれば、

それでいいですよ。

・・・とぼくは言う。

稽古で喋れていない人は、

普段の生活でもしゃべれていない。


日常普段、

考えと、ことばを吟味して、

きちんと喋れる人は大丈夫。


日常普段のしゃべりをちゃんと点検できれば、

すばらしいセリフのお勉強になるのだと、ぼくは思う。


・・・が、どうだろうかむっビックリマーク

生きるためにアルバイトをしなければならない。

・・・この考えに異論を書いた。


以前の独身時代から、結婚し、離婚し・・・

この間、食うや食わずだったり、

こんなに稼いでいいのだろうかと思うほど入りが良かったり、

・・・紆余曲折のウン十年を生きてきて、

アルバイトや仕事についても、

家族のためとか、食うためとか、生きるためという感覚は一切なかった。


・・・が、一度だけ、思ってもいないことばを口にしたことがある。

「家族のために一生懸命に働いてきた」

離婚の話が始まったときに、

いまは別れた妻に言ったことばだ。

・・・が、直ぐに言い直した。

「ぼくが、自分のために働いてきたんだった」


家族の喜ぶ顔を見たい・・・のも自分。

稼いだお金入れる家庭を持っている・・・のも自分。

家を買って住めるようになった・・・のも自分。

喜んで一緒にいられる家族を持っているのも・・・自分。


結局は自分のために働いているのに、

会社のためだとか、家族のためだとか、

社会のためだとか・・・

一瞬でも考えたとき、

ぼくは離婚後の孤独をイメージしていたのだと思う。

「泣き言だ」

そう思って、直ぐに言い直したのだった。


が、それがどっちにしても、

働くのも稼ぐのも、

生きるためではなかった。


その先にある、

いい演劇をものにしたい、

自らのあらゆるものを注ぎ込み、

その時々に、

生きる証をもちたい・・・

そのためだと思い、考えてきたのだと思う。


生きるために働くことを考えたことは一度もなかったように思う。

生きるためにはお恵みでも貰えばそれでも足りる。

だが、残す仕事を通して自らを作るためには、

お恵みでもらうわけには行かないと思っている。

だから路上生活を余儀なくされても、

何らかのパフォーマンスをすることへの対価を貰おうと思う。


こんな考えから書いたものでした。

これから出かけるので、

読み返しもせずに公開しちゃいますが、

後で修正が入るかもしれません。


すいません・・・むっ

一昨日、お芝居の稽古の後にミーティングをおこなった。

限られた稽古時間を大切にする話だった。


「でも、最も大事な生きるということのためのアルバイトもあるからね」

「アルバイトは生きるためにしているの?」

こんな話が出る。

・・・だったら何のために生きるのか・・・

この課題は来週に聞いてみようと思う。

ぼくはこれまで、生きるためのバイトはしたことはない。


数十種類のアルバイトをしているが、

生きるため・・・と思ったことは一度もない。


アルバイトをしなくても生きていられるからだ。

物乞いしても生きられるじゃないか・・・と思う。

寝泊りするなら路上でもいい。

それでも生きていられる。


アルバイトは・・・本当に、生きるためなのだろうか。


来週の火曜日、どんな答えが返ってくるか・・・・むっあせる

昨日、拾った100円玉の話を書いた。

それをカップラーメン代に充てて食べたが、

後味がイマヒトツ・・・


心のどこかにどんよりした澱が沈んでいる思いだ。


そこで考えた方法を実施した。


封筒に、

「この近くで100円拾いました。

お心当たりの方はどうぞお持ち下さい」

と書いて、すぐ近くのポストに貼り付けた。


    ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


・・・で、2時間ほど経ってそこを見るとなくなっていた。

「あゝ・・・よかった」

・・・と思う反面、

「持って行ったのは、本当に落とした人だったのか」

・・・こんな思いに襲われた。


我輩のしたことは、

拾った時からして短慮だったのではないだろうか・・・・

なんともいいようのない気持である。


たった100玉1個で、

心が、これほどかき回されるとは・・・むっあせる