生きるためにアルバイトをしなければならない。
・・・この考えに異論を書いた。
以前の独身時代から、結婚し、離婚し・・・
この間、食うや食わずだったり、
こんなに稼いでいいのだろうかと思うほど入りが良かったり、
・・・紆余曲折のウン十年を生きてきて、
アルバイトや仕事についても、
家族のためとか、食うためとか、生きるためという感覚は一切なかった。
・・・が、一度だけ、思ってもいないことばを口にしたことがある。
「家族のために一生懸命に働いてきた」
離婚の話が始まったときに、
いまは別れた妻に言ったことばだ。
・・・が、直ぐに言い直した。
「ぼくが、自分のために働いてきたんだった」
家族の喜ぶ顔を見たい・・・のも自分。
稼いだお金入れる家庭を持っている・・・のも自分。
家を買って住めるようになった・・・のも自分。
喜んで一緒にいられる家族を持っているのも・・・自分。
結局は自分のために働いているのに、
会社のためだとか、家族のためだとか、
社会のためだとか・・・
一瞬でも考えたとき、
ぼくは離婚後の孤独をイメージしていたのだと思う。
「泣き言だ」
そう思って、直ぐに言い直したのだった。
が、それがどっちにしても、
働くのも稼ぐのも、
生きるためではなかった。
その先にある、
いい演劇をものにしたい、
自らのあらゆるものを注ぎ込み、
その時々に、
生きる証をもちたい・・・
そのためだと思い、考えてきたのだと思う。
生きるために働くことを考えたことは一度もなかったように思う。
生きるためにはお恵みでも貰えばそれでも足りる。
だが、残す仕事を通して自らを作るためには、
お恵みでもらうわけには行かないと思っている。
だから路上生活を余儀なくされても、
何らかのパフォーマンスをすることへの対価を貰おうと思う。
こんな考えから書いたものでした。
これから出かけるので、
読み返しもせずに公開しちゃいますが、
後で修正が入るかもしれません。
すいません・・・![]()