しばしば「周りが見えない」等という
表現にぶつかることがある。
大学時代から、何かにつけて付き合いの
ある友人なんてそれほどいない。
彼はロシア文学科で、ぼくは演劇科だった。
「ぼく等はフランス演劇をやるんで、
ロシア演劇なら自由舞台がいい」と言ったが、
頑として聞き入れず、一緒にサルトルだの
カミュだのコクトーだのの舞台を創った。
その彼が、代々木駅徒歩10歩のところで
スナックをやっている。
夫婦でこじんまりとやっているが、
常に客がいっぱいである。
先日、開店前に立ち寄ると、
「GOさん、来てもらってよかった」
・・・これは母ちゃんの方が言った。
「どうしたの?」と聞くと、彼・・・
「1分ずれていたら、殺し合いになっていた」
という。
「だったら、止めずに続けてよ」
これには二人キョトン・・・
こんな関係の二人だ。
普段も決して仲のいい夫婦といえるものではない。
しかし、長崎県の島原から出てきて、
日々満員の飲み屋をやっていられるのは、
お客さんに愛されているからに他ならない。
「そんな二人が殺し合いの喧嘩?」
情けなくて帰りたくなったよ・・・
そういうとようやく納得(?)
ちょっとした気のはいり様で、周りが見えなくなる・・・
これが、一番恐い。
一歩前進するあための二歩後退・・・
これ、大事だよ。
因みに、
自分の敵は一番近くの人間である場合がほとんどだ。
女房なんて直ぐ手の届くところにいる。
だから最大の敵か・・・と言えなくもない。
ところがドッコイ、最も近いのは自分じゃないのか。
お前の敵はお前だ! その最悪の敵に対しては、
何事も、しょっちゅう許している。
だったら次に控える敵の女房や家族は
もっと許せるはずじゃないのかねェ・・・









