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演劇人生

今日を生きる!

見るからに食事会・・・
2月2日・・・一日早い恵方巻き?


我輩は宮崎土産さつま芋スナックに夢中ッ!



おい、今日は何の日?



節分の前祝い?

冗談じゃない、稽古日です。
でも・・・こんな日もあってもいい。

 節分1日前(2日)の1コマです。

先輩や上司に言われて感動した『ひとこと』教えて? ブログネタ:先輩や上司に言われて感動した『ひとこと』教えて? 参加中
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尊敬以上の思いをもってその名を挙げたい人。
自分の生涯に、このひとと巡り合えただけでも
生まれてきた意味があると思える人・・・それが
宇野重吉さんである。

つい最近だが、あるテレビディレクターとの話の中で、
「Goさんはどなたに演技をならったのですか?」
と聞かれ、
「宇野重吉さんです」と答えた。すると、
「それ、どんな方ですか?」
と聞かれて、しばらく声を失したと書いたことがある。
歴史の波は数年前のことすらも流し去ってしまうのかと
嘆かざるを得ない・・・こんなことを書いた覚えがある。

宇野重吉さんといえば戦中戦後を通して、
日本の演劇界を牽引してきた重鎮であると同時に、
劇団民藝を創立し、演劇界だけではなく映画界、テレビ界にも
大きな影響を与え、功績を残した人でもある。

ぼくが大学を出て、民藝に入るために宇野さんのお宅に、
「民藝という劇団はコネがないと入れないと聞いたので・・・」
コネになって欲しいと、サントリーのダルマを手に頼みに行った。
「君は、コネがないと入れないのかね」と言われ、
「では実力で入ります」と、一度出したウイスキーを返してもらって帰ったのだが、
結局それがコネになり入団出来たらしい

こわい演出家で通っていたが、ぼくにはそう思えなかった。
そのようにつくり上げられてしまったのだと思っている。

繊細さに満ちた演出は、指一本の僅かな動きや、
呼吸ひとつにも容赦のないダメ出しがあった。

「殺して死んでやる」などという俳優もいた。

その宇野さんから、その後の人生を決める、
他人は決していって言ってくれないだろう「ひと言」があった。
1969年のことである。

「イルクーツク物語」という舞台の旅先での旅館だった。

人を生かすかどうか、それは役の人物を生かすかどうかと同じことだが、

「すべては、君の生き方にかかっている」

というひと言だった。
ぼくは何ひとつ返答できなかった。
またできるものでもなかった。

以来、2010年に今も、ボソッとした声と共に、
心の奥深くまで突き刺る言葉として残り続けている。

いまでも、いやこれからも、
この「生き方」を探し求めながら、
演劇の道を歩いていこうと考えている。

「INVICTUS/負けざる者たち」公式サイト

今日、一つのスーパーマーケットが消えた。
品揃えも、それほどいいといえる店ではなかったが、
やはりなくなると不便だ。

最後の営業日には商品の姿も見えず、
用をなくした棚がいやに綺麗に見えていた。
店の中は電気が点いているが人影はなかった。

そんな店の前を通りながら思い出したことがある。

学生時代、下宿していた近くの乾物屋だ。
当時は一畳2千円程度の家賃だったが、金欠だった。
なくなると、近くに住む友人たちの下宿を渡り歩いた。
そして、実家から荷物が届くと、「今度はうちに来いよ」
という情報を流しては数日みんなの賄を提供する。
・・・こんな生活を送っていた。

下宿から通りに出たところに乾物屋があった。
何故か信用してくれていたので、
うどんや缶詰などをツケにしてもらえた。

学業と劇団活動で長期アルバイトも出来ず、
親からの仕送りに頼っていたので、
送金してもらっては払い、
その足でまたツケでもらってくる・・・
この繰り返しだった。

演劇公演が近付くと徹夜が続いたりするので、
日持ちのいい乾物は助かった。

あるとき、ツケを払おうと店に行くと、
窓は閉まり、人気がない。
ガラス戸を叩いても返事もない。

すると通り掛かりの人が、
「この店の人は夜逃げしたよ」と教えてくれた。
今朝早くからもぬけの殻だという。

昨夕、買い物に来た時、そんな雰囲気は微塵もなかった。

おばさんはニコニコと相手をしてくれた。
お兄ちゃんも、いつもと変わらず冗談をいいながら
品物を包んでくれていた。
ぼくも、「明日払いに来るからね」といって帰った。

そんも彼等が、瞬時にして消えた・・・神隠しか?
そんな気がした。
「中には、ちり紙一枚もないよ」
今でも覚えている男の言葉だ。

あゝ、オレのせいじゃないか・・・
そんな思いに駆られた。
苦~い思い出だ。

このブログを見て、夜逃げしたのは、
あのひとじゃないか・・・
そんな人がいれば教えて欲しい。
ツケを払いたい。

借財があったにしても、とうに時効になっているはず。
大きな顔をして出てきてくれないか・・・
早稲田と戸塚四丁目の中間辺りにあった
宇田川商店である。
あなたにとって、本物の愛の伝え方は? ブログネタ:あなたにとって、本物の愛の伝え方は? 参加中
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愛は、愛することでもなければ愛されることでもありません。
存在そのものだと、ぼくは思います。

母性愛、父性愛、人類愛、兄弟愛、隣人愛・・・等々、
これは、母性の、父性の、人類の愛かもしれませんが、
エゴイスティックな側面を持っていますから、
ぼくには、愛と呼ぶことは出来ません。

我が子への愛は、本当に子どもを愛しているのか疑問です。
子を愛すると錯覚しているのではないかと思うのです。
また、他の子を出し抜いても我が子を愛するということが
「愛」とはいえないのではないでしょうか・・・

恋愛などは、この最たるものだと思います。

「愛」を別の言葉に変えるとすれば、それは何だろう・・・。

持論かもしれませんが、
「優しさ」に置き換えることはできないだろうか・・・?

優しさには、包むこと、許すこと、受け容れること、
耐えること、待つこと、凌ぐこと、怒ることも含まれます。

自然は「愛」か・・・という設問には何とこたえるだろうか。

宇宙や地球・・・その存在は「愛」ではないかと思います。
草花の一本も石ころの一つも、この地球を構成しています。
この全てを「愛」として受け容れなければならないのに、
私たち人間は、
自分たちの利便や、豊かさのために手を加え、
他の動植物を消滅させ、贅をつくし、奪い合い、
更にまた、勝ち負けを競い合う・・・
このような我が身だけを守り、他をおとしめることの中に
「本当の愛」はあるのだろうかと思うのです。

このテーマブログ「本当の」愛の伝え方は、

厳しさと優しさを受け容れながら、
厳しさと優しさを持って存在することではないかと思います。
それを伝える方法は・・・
    その存在をもって伝える以外にはない・・・

ぼくは、このように考えています。

このような考えのもとに、
これからの短い人生・・・演劇を続けていきます。

これは蛇足だが、
若し、愛するのであれば、
「自らを愛するように愛せ」
「自らを許すように許せ」
「自らに厳しくある以上の厳しさを人に求めるな」
といいたいですね。むっDASH!



Levi’s(R) 藍 Love You
Levi’s(R) 藍 Love Youモバイルサイト
藍 Love You
昨日、以前住んでいた宮原(さいたま市)まで
歯の治療に行って来た。

「どのくらいかかりますか?」
とは、看護士さんからの質問。
「ま、2時間前に出てくればゆっくりです」
それには、
「まぁ、大変ですね」
・・・本当は、「どうしてわざわざ?」とか聞いて欲しかった。
「あなたがいるので」
なんて、本気でも言えるものでもないし、理由は違う。

その歯医者・・・おっと、最近は歯科医院というのだった。
治療台に座ると、広々とした窓を通して、
目の前を上り下りの高崎線が見え、
その向こうは農家や人家が見える。
その景色が、何ともいえず心を癒すのだ。

そして夏ごろになると、
ビニールハウスの手前に、
一本の見事なアーティチョークが葉を繁らせ、
茎の先端に、美味しそうな蕾がつく。

あの畑の持ち主は、
アーティチョークの正体を知っているのだろうか。

「この蕾をいただけませんか?」
聞いてみたいと思ったことがあったが果たしていない。
アーティチョークはパスタ料理などに使う別名朝鮮朝顔。
以前、原宿にあったイタリアンでは好んで食べたが、
いつの間にか店がなくなり、以来食べていない。

また、自分では医療費が安いと思って、
40年来通っている総合病院もある。

先日、「Goさん、この辺の病院も料金は同じくらいよ」
と、知人である奥さんから教えてもらえたが、
やはり自転車で区を越えて通っている。
その病院の良さは、
ドクターも看護師も親切なこと。
(中には愛想のないドクターもいるが根はよさそうだ)

「こだわりがあるのね」・・・と言われると、
治療など、行く目的と一致する直接的なこだわりは
殆どないのが面白い。

これをコダワリというのかもしれないが、
考えてみると、医院に限らず、
どんなお店にも、心をひきつけるプラスアルファ・・・
何か、笑顔の出るようなものとか、
ホッとするとか、あいつに会いたいとか・・・
そういったものが欲しい気がする。

こんな世知辛い時代だからこそ、尚更、そう思う。