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愛は、愛することでもなければ愛されることでもありません。
存在そのものだと、ぼくは思います。
母性愛、父性愛、人類愛、兄弟愛、隣人愛・・・等々、
これは、母性の、父性の、人類の愛かもしれませんが、
エゴイスティックな側面を持っていますから、
ぼくには、愛と呼ぶことは出来ません。
我が子への愛は、本当に子どもを愛しているのか疑問です。
子を愛すると錯覚しているのではないかと思うのです。
また、他の子を出し抜いても我が子を愛するということが
「愛」とはいえないのではないでしょうか・・・
恋愛などは、この最たるものだと思います。
「愛」を別の言葉に変えるとすれば、それは何だろう・・・。
持論かもしれませんが、
「優しさ」に置き換えることはできないだろうか・・・?
優しさには、包むこと、許すこと、受け容れること、
耐えること、待つこと、凌ぐこと、怒ることも含まれます。
自然は「愛」か・・・という設問には何とこたえるだろうか。
宇宙や地球・・・その存在は「愛」ではないかと思います。
草花の一本も石ころの一つも、この地球を構成しています。
この全てを「愛」として受け容れなければならないのに、
私たち人間は、
自分たちの利便や、豊かさのために手を加え、
他の動植物を消滅させ、贅をつくし、奪い合い、
更にまた、勝ち負けを競い合う・・・
このような我が身だけを守り、他をおとしめることの中に
「本当の愛」はあるのだろうかと思うのです。
このテーマブログ「本当の」愛の伝え方は、
厳しさと優しさを受け容れながら、
厳しさと優しさを持って存在することではないかと思います。
それを伝える方法は・・・
その存在をもって伝える以外にはない・・・
ぼくは、このように考えています。
このような考えのもとに、
これからの短い人生・・・演劇を続けていきます。
これは蛇足だが、
若し、愛するのであれば、
「自らを愛するように愛せ」
「自らを許すように許せ」
「自らに厳しくある以上の厳しさを人に求めるな」
といいたいですね。



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