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演劇人生

今日を生きる!

劇団では来年の麻布演劇市参加を記念して
三浦綾子さんのロングセラー作品「母」の
公演を考えています。
麻布演劇市に参加するに当たり、
非営利団体かどうかの質問がありました。
いくつかの劇団は株式会社として、
利潤追求と演劇公演を同一化しているところもあります。
我が劇団は組織的にも設立主旨においても
その範疇にないことがわかり、
全会一致で参加が決まりました。

さて、「母」の初演時の感想文です。
3日間にわたる「母」公演を終えて、
数日たったある日一通の手紙がありました。
観劇したご婦人からのものでした。

「母」の初日を拝見しました。
素晴しい、本当に素晴しい舞台でした。
実のところ多喜二の母がテーマと伺い、
三浦綾子の原作と知り、多少退きつつ(?)
向かった六本木でした。
行ってよかった!
見逃さなくて本当によかった!
シンプルで骨太な主題、過不足ない舞台運び、
・・・幕が降りて、
拍手しか送れない自分に無力を感じるなんて久々、
いや若しかしたら
こういう余韻は初めてかも知れません。

人として生まれて、
一番出会いたい温もり、持ってみたい優しさ、
辿りつきたい明るさがそのまま丸ごとありました。
劇団生活
<思い出話をする多喜二の母セキ>


劇場にいることを忘れました。
ボタもちなんてさほど好きでもないのに、
セキの気持ちを食べてみたくなります。
「普通」であったはずのことが、
これほど暖かく感じるなんて、
こちらが冷えていたのでしょうか?
当たり前だったことが
これほど懐かしい涙を誘うなんて、
よほどこちらがずれていたのでしょうか・・・?
あれからどんどん初夏の眩しさが増し、
梅雨を迎え、
ラッキョウを漬け、枇杷をかじり、
日常の雑事を経ても、
みなさまが下さった余韻は色あせることはありません。

終演後、
エレベーターに向かう人々の表情・・・。
セキそのものだった三園さんをはじめ
舞台に携わった方々お一人お一人に
見せて差し上げたい気がしました。

一生色あせない心に残る感動をありがとう!

毎週金曜日に港区のカルチャー教室で、
「表現講座」を持っています。
3ヶ月が1クールで、今回が第1期で、
7月から第2期に入ります。

タイトルは「表現力アップ講座」ですが、
主として、読み聞かせや朗読、語りのテキストを通して、
全てはコミュニケーション力を高めるための
レクチャーに徹しています。

ぼく自身、コミュニケーションが苦手です。
ついつい言いたいことだけを言っては、
相手の口を封じる傾向があります。
「これではダメだ」
・・・と思いつつ、その傾向から抜け切れません。
反面、「話をよく聞いてくれるから・・・」
などと、まるで逆の評価も・・・

この講座で第一の課題にしていることが、
「自分を知ろう!」です。
「講座」なんて体裁のいいことを名乗りながら、
本当は、自分磨きをしようなんて・・・
ずるいことをしているのかも・・・

さて、今回は、中学1年女生徒の感想文です。

「母」という作品を見て、
こんなに貧しい生活の中で、
これほどまで心の豊かな家族がいるなんて
すごいなあと、先ず初めに思いました。


自分たちにはめったに食べられない
パンや餅を盗まれた時にも、母のセキは

「よほどお腹を空かしていた人かもしれない。」
とそれを許しました。


私だったら、

許すことができなかったろうと思います。
自分たちが食べていくのも大変な状況の中で、
貴重な商品を盗られて、

それを許せる心があるなんて、
セキはすごい人だと思いました。

そのセキが育てた子ども中で多喜二という人は、
命を懸けて貧しい人のいない世の中を

作ろうとがんばっていました。
しかし築地署で虐殺されてしまいました。


これを知ったセキは

世の中をうらんだろうと思います。
そして自分の葬式を

教会でやりたいと願ったのも、
キリストと多喜二が重なって

見えたからかも知れません。

今の時代は、
欲しいものは何でも手に入る豊かな時代であり、
自由で幸せな時代だと思います。
しかしその陰にはたくさんの人々の

苦労と困難があったのだと思いました。

このように、

とても便利な世の中になってきましたが、
この作品の時代の方が、
心が豊かだったのではないかと私は思います。
相手に対する優しい気持ちや、

相手を助けたいと思う気持ちは、
時代とともに

だんだん忘れられてきているような気がしました。
この「母」という作品は、いつまでも、いつの時代でも、
この気持ちを心の中にしまっていて欲しいいう願いが
込められているのだと思いました。

60数年まえ、日本は戦争していた。
憲法論議が再び持ち上がりそうな気配だ。
戦後の日本が、そして日本人が手にした最大の宝物は、
憲法九条だろうと思う。
これは、日本ばかりではない、世界の宝物だと思う。

再度、中学3年生の女生徒です。

十三歳の若さで小林家に嫁入りしたセキ。
今では考えられないことだ。
夫と一緒に一生懸命働いて六人の子どもを
育て上げたことはすごい。
戦争が終わった直後で、
まだ日本も貧しかったと思いますが、
一年に一回のぼた餅も食べられない年もあったという。
ぼた餅に大喜びしている家族を見て、今の日本は、
食べ物のありがたさや、
食べる喜びを忘れているとつくづく思った。

戦争が終った直後とあるが、勘違いをしているのかもしれない。

これは昭和2~3年頃と思う。

息子の多喜二が北海道拓殖銀行に就職が決まった。
当時の銀行員になることは給料もいいかもしれないが、
頭もよくなければ入れないだろう。
そこに貧乏な多喜二が入れたのはすごいと思った。

そんな中、父親の末松が亡くなった。
一家の大黒柱がいなくなって、
家族に穴が開いたようだった。
しかし母はみんなと力を合わせて働いた。
そして子どもたちは明るく育った。

そしてこの自慢の多喜二が警察で殺される。
セキは死んだ多喜二を前に、
「お前を産んで悪いことをしたのかな」
と言って泣いた。


死んだのは心臓麻痺だといわれたが、
本当は首を絞められて死んだそうだ。
そして、
小林多喜二は「蟹工船」などの本を書いて、
銀行をクビにされ、逮捕された。

当時は、
自分の言いたいことの言えない社会だった。
そんな時代だったと習った。
働く人が幸せになる世の中を目指し、



なぜ貧乏人を助けようとして殺されるのか。
これは戦争をしょうとする国家が悪いのだと思う。
戦争は人々を不幸にする。
個人を犠牲にして戦争がおこなわれる。
ぼくも、自分の信じることをやり通す
勇気を持って生きていきたい。

何十億もの人に
「ありがとう」と言われたいとは思わない。
でも、
たった一人からでいい、
「あなたは私にとってかけがえのない人なの」
という言葉だけで、
生涯を生きられるに違いない。

今回は、一般公演でいただいた、
一人の男性からの手紙を掲載します。

「お母さんも一緒に連れてくればよかったね!」
と、妻が言っていました。
静岡の実家には5年以上ご無沙汰で、
妻とぼくの母とは

少々気が合わなくて母の話はタブーでした。
「母」という演劇が

妻にこんなことを言わせたと思います。

ぼくは「ああ」と言うのがやっとでしたが、
妻にさそわれて都合をつけて行けてよかったです。
正直言うと、

友人との約束があったのをキャンセルさせられて
しぶしぶ行ったのです。

アンケートにも一言書いてきましたが、
それでは足りなかったので手紙を書きました。


近いうちに実家に行こうと妻から言ってくれました。
3人の子どもを連れて行く計画を立てました。

今度アドックの「母」を上演する機会がありましたら

知らせてください。
静岡の母や、下の子は小学生ですが

3人の子どもも一緒に連れて行きます。

日本のすべての子どもや親に見て欲しい作品です。

再々演、いいえ再々、

再々々々演をしていってください

きょうは一日をチラシ作りに費やしました。
そして、やはり中学生の感想文を掲載しようと思いました。
寄せてくれた10代の心に、ぼくだけが触れることに、
申し訳がない・・・そんな思いに駆られたからです。
「母」という作品を観て、
自分の母に思いを馳せ、
「母がいて、わたしがここにある・・・」
そのように思った学生が殆どだったと思うが、
「お母さんのいない子どももいましたが・・・」
今更ながら、その母に感謝したいといっていました。
先生が、ある生徒の後姿に目をやりながら教えてくれた一言に、
胸を詰まらせたのを覚えています。

やはり3年生の女性との感想文です。

「母」をみて、私は半分感動して、半分寂しくなりました。


初めの半分は、母、セキそのものに感動し、残る半分は、
セキはこれでよかったのだろうかと疑問に思い、

その疑問が寂しさに変わりました。

セキの生き方はとても真似の出来るものではないと思いました。


パンを盗まれたら、普通怒って犯人を捕まえたりするのに、
よほどお腹を空かしていた人かもしれないと言って、

子どもをしつけました。

そんなセキの優しさが多喜二にも伝わり、

多喜二も人のために働くようになりました。
そんな多喜二が殺されたとき、
正直者が損をしたような気持ちになり、とても悔しかったです。

セキには、そのように育てたことに

何の迷いも悔いもなかったのだろうかと思って、少し寂しくなりました。

今回、この舞台から学んだことは、
優しさは人に伝わっていくものだということです。
人に優しくされた人は、
人にも優しくすることができるのだと思います。
逆に、優しくされたことのない人は、

人にもやさしく出来ないと思います。

私は今後、優しさの輪が広がることを願って、
これまで優しくされた分、人に優しくしていきたいと思っています。