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演劇人生

今日を生きる!

私(たち)が学ぶことをやめた時、
のらなければならない舟は岸を離れるだろう。
次の舟はこないのだ。
それでも、来ると信じて朽ちるまで待つか・・・

普天間基地問題で県外国内の論議に決着がつかない。
金権政治から抜けきれない政治と金問題。
宮崎では口蹄疫が蔓延し、

蓄産農家の受けた打撃は例えようがない。
ワクチンを打つかどうかの問題にも大きな悩みがある。

国内に外国軍基地はいらない。
番犬がいれば、

泥棒や強盗が来ても平和と安全を守ってもらえるという。

アメリカを番犬扱いする・・・これもけしからん喩え話だ。

また、どこの国をさして言うのかは知らないが、
どの国をさしてでも、泥棒や強盗に例えるのも如何なものか。

ぼくは日米安保条約は、この機会に廃棄して、
アジア各国と平和条約を結ぶ努力をした方がいいように思う。
異論もおありだろうが・・・


・・・ということで、
今回も中学3年の女生徒の感想文を掲載します。


どういう気持ちで小説を書き続けたのでしょうか。
私には、「死」を覚悟して何かに取り組んだり、
おこなったりしたことはないし、
これからも自分の命を捨ててまで
何かを実行することもないでしょう。

多喜二はそれを、自分の意思でおこないました。
当時の人たちにとっての多喜二の存在は、
自分たちの生活に夢を与えるヒーローのような

存在であり、だからこそ、
この話が今も人々を感動させる力を持つのでしょう。

「みなさん、命を大切にして、
元気に仲良く、長生きしてくださいね。」
と、母セキが亡くなる前に言ったとされる

言葉を聞いて、私は涙がこみ上げてきました。

亡くなる前のセキが、
戦争や社会の矛盾に堪えてきた

セキだからこそ言えた、
私たちのために残してくれたことばだと思います。

みんな仲良くすれば戦争は起きないし、
する必要もない。セキや多喜二のためにも、
そして私たちのためにもみんなが仲良くし合って、
戦争の過ちを二度と繰り返さないようにしたい。
セキから私たちへの遺言だと強く心に思いました。

どの場面にも、家族団らんの様子が描かれ、
一家に襲いかかる悲劇さえも家族の力で
のり越えていく姿は、幸せに過ごす今の私たちが
忘れかけているものでした。
どうして神様は、この一家にこんなにも数々の
厳しい試練を与えるのでしょうか。
でも、この家族は前向きに考え、
試練を生きるエネルギーに変えて戦い続けました。
そして、やっと手に入れた幸せな日々。
しかし、その時も長くはありませんでした。
多喜二は書いた小説が原因で刑務所に送られ、
そこで彼は亡くなったのです。

言論の自由が認められていない当時、
多喜二は、
子供の頃なりたかった職業は? ブログネタ:子供の頃なりたかった職業は? 参加中
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テーマブログに入る前に、
ぼくの子ども時代をちょっと説明が必要です。

世界中が不況にあった時代に生まれました。
日本を始め各国は国力増強と軍拡競争に明け暮れ、
庶民の生活は惨憺たる窮乏に追い込まれていたのです。

一年前、日中戦争が始まり、
日本は戦争の道を走り始めました。
この戦争を、日本では日華事変とか支那事変と呼びました。

こんな時代ですから、
山形の田舎、現在の天童ですが、
何処を見ても、何処の家も困窮に喘いでいたのです。

村を威張って歩くのは数人の地主と、
サーベルを下げた軍人くらいでした。

天皇や軍人の悪口などを言おうものなら、
憲兵や警察に有無を言わせず連行され、
村にも住めなくなったに違いありません。

小学校に入ったその年から、
ぼくは苛めを受けました。

親爺が陸軍大将とかいう上級生に、
徹底的な苛めを受けました。
昼休みにその男がやってきて、
教室の中央に寝かされました。
彼は馬乗りになって殴る蹴るを繰り返します。

「お前の爺じいは馬喰だ。馬になれ!」
続いて、
「おらいの父ちゃんは陸軍大将だ!」
と腹の上で暴れまわるのです。

この時、こいつの親爺が陸軍大将なら、
おれは天皇陛下になって、
お前の親爺をやっつけてやると真剣に思いました。

「おれは、天皇陛下になってやる!」
というと、
「馬鹿者!」
突然教室に入ってきた先生に、
「立てッ!」と言われて、思い切りビンタをもらいました。

苛めていた男には、
「な、先生がやっつけた(制裁をした)から許してやれ」

このままでは殺される・・・
覚悟を決めたある日、彼を刺し殺そうと、
柳刃包丁を持って登校し、昼休みを待ち、
こちらから機先を制して、彼を呼び出し、
トイレに連れ行って脅しました。
彼は、それまでの態度を一変させ、
「勘弁してけろ」
地べたに顔をつけて謝りました。

ほんの一瞬でしたが、子ども心になりたかったのは、
天皇陛下だったのです。
劇団生活
その頃の家族親戚の集合写真。
栄養の足りなそうな顔をして左端に立つのがぼく・・・
この年の夏、戦争が終った。
All About 「コーチング」目標達成に必要な能力を身につける
All About 「キャリアプラン 」キャリアビジョンの描き方
「母」という作品の公演でいただいた感想文を2編掲載しました。
10代の青春を生きている彼等は、その心で何を感じ、
何を求めているのかを垣間見られる気がします。

彼等とのコミュニケーションの機会が全くといっても持たない今、
一つの演劇を観て、感じ思ったことに触れる中から、
世代を超えてつながることができる「絆」のようなものにも
「触れる」ことができるような思いから、何度かのシリーズにして
掲載してみようと思います。

今回の感想文は、中学1年生の女生徒のものです。

今日は「母」という演劇をみて、
学ぶことが多くありました。
まず、六人の子どもをもつセキの心の偉大さと
優しさに私は驚きました。
自分たちが切り盛りするパン屋で、
餅やパンを盗まれる。

「よほどお腹を空かしていた人かもしれないよ」と、
そんな一言で子どもたちをなだめる母。
自分たちも裕福ではないけれど、
この時代になければならない一つの優しさだと思いました。
きっとその場に私がいたら、
セキのように大きな心で罪を犯した人を
許すことは出来なかったろうと思います。

そんな母の強さや優しさ、それに貧しさの中の、
いっときの幸せ、何もかもを演劇を通して学びました。
母が笑ってくれるから周りの空気も暖かく、
母が弱みを見せずに頑張ってくれるから、
貧しさの中でもみんな一緒に
喜びを感じ合えるのだなあと思いました。
この演劇を見て、
改めて母の本当の姿を見たような気がしました。

自分のことより子どものことを先に考えてくれて、
いつでも見守ってくれる母の偉大な姿にとても感動しました。

母親は、私たちの生活の中にいつも大きく関わってきます。
一人一人がここまで育ってきたのは、
母の愛や温もりがあったからです。
これは大人になってからも変わりません。

演劇を見て気づいたことや学んだこと、
感動の気持ちを忘れずに、
これからは私が、強い心で母を支えていきたいです

第2弾として1年生の女子生徒の感想文を
掲載します。「今の若い人は・・・」は、
考えの至らなさを非難する枕詞的のように
使われますが、果たしてどうだろうか・・・


今日は、演劇の鑑賞教室がありました。

題は「母」で、

少し難しい内容でしたが、いい勉強になりました。
人のための命をかけるのは、

すごく勇気のいることなのだと思いました。

その勇気ある心を支えたお母さん、弟、妹たち。
いつも真剣に応援し、励ましあっていて、

私には、

そんなに真剣に応援してくれる人はいるのだろうかと思い、
あらためて家族の大切さを思いました。

そして命の大切さが身にしみた話でした。

戦争が起き、爆弾で大勢の人たちが死んでいきました。

爆弾が落ちる直前の戦闘機の音や光には、
背中がぞくっとするような、

戦争中の人々の恐ろしさが伝わってきました。
私は、戦争は嫌いです。

戦争は人々の心の広さの足りなさを

物語っていると思います。
心の貧しい無意味な殺し合いが今もくり返されています。
悲しいです。命の大切さがひしひしと伝わってきました。

そして私が特に感動したのは、

死んだ兄のためにヴァイオリンを弾いた弟の姿です。
今までの「ありがとう」という気持ちが込められていたのだろうと

思いました。動揺を隠し、

静かにヴァイオリンを弾く姿には大切な、

言葉では言い表せない気持ちを伝えようとしているのだろうと

想像しました。

これから、私は少しずつ、

っともっと友達やいろいろな人のためになるようなことを

していていきたいと思います。
人のために生きることは、自分のために生きることだと、

この劇をみておもいました。

これからがんばっていきたいです。

以前、三浦綾子さんの作品「母」を劇化して上演しました。
東京や神奈川、埼玉でも上演しましたが、
たまたま山形の天童中学校からオファーがあり、
中学4校の生徒全員に観ていただきました。
本を探してゴソゴソしていたら、
その時に送られてきた感想文がでてきました。

改めて何通かに目を通していて、
「これが中学1年生や2年生の感想文・・・」かと
思えるものが何通もあります。
何か・・・大切なものを教えられる思いがしました。
その一つを掲載してみます。
これは3年生の女生徒の感想文です。

「母」の上演が終わったとき、
正直言うと私は理解できなかったことの方が多かった。
しかし、唯一わかったことがある。
それは今の世には少なくなってしまった暖かく、
たくましく、そして信念で生きる「人の心」の
素晴らしさだった。
母のセキは、母としても一人の人間としても、
しっかりとした芯を持っている。世の動きに
左右されることなく 生きる母によって育てられた
子どもたちは、またその生き方を受け継いでいった。
「たとえ法に触れて犯罪者の汚名をきせられ
処刑されようとも、自分が進んだ道は絶対に譲らず、
後悔もしない。」
このような多喜二を育てたのは、
他の誰でもない母の生き方そのものであったと私は思う。
また、その多喜二が銀行員になった日には、
小林家ではお祝いに、めったに口に出来ない
「ぼた餅」を食べた。
弟の三吾が、
「ぼた餅って人を幸せにする食べ物だね」という。
それを聞いた末っ子のユキは、
「だったら、日本中の人に食べさせてあげたいね」と、
素直な気持ちを語った。その言葉に私はドキリとした。
それが実現するかは別にして私は日本中の人にして
あげたいなどと思ったことがないからだ。
今の日本は豊かで、自分に出来ることは誰にでも
出来るはずだと信じて疑わなかったからだ。
技術は日々進歩し続けている。しかし、
今の日本人に本当に必要なのは物の豊かさや生活の
便利さではなく、心の豊かさであり、
自分らしく生きることだと思う。
人間の本来持っている素晴らしい心を犠牲にし、
素晴らしさすら忘れていないだろうか。