教えられる・・・Ⅷ | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

毎週金曜日に港区のカルチャー教室で、
「表現講座」を持っています。
3ヶ月が1クールで、今回が第1期で、
7月から第2期に入ります。

タイトルは「表現力アップ講座」ですが、
主として、読み聞かせや朗読、語りのテキストを通して、
全てはコミュニケーション力を高めるための
レクチャーに徹しています。

ぼく自身、コミュニケーションが苦手です。
ついつい言いたいことだけを言っては、
相手の口を封じる傾向があります。
「これではダメだ」
・・・と思いつつ、その傾向から抜け切れません。
反面、「話をよく聞いてくれるから・・・」
などと、まるで逆の評価も・・・

この講座で第一の課題にしていることが、
「自分を知ろう!」です。
「講座」なんて体裁のいいことを名乗りながら、
本当は、自分磨きをしようなんて・・・
ずるいことをしているのかも・・・

さて、今回は、中学1年女生徒の感想文です。

「母」という作品を見て、
こんなに貧しい生活の中で、
これほどまで心の豊かな家族がいるなんて
すごいなあと、先ず初めに思いました。


自分たちにはめったに食べられない
パンや餅を盗まれた時にも、母のセキは

「よほどお腹を空かしていた人かもしれない。」
とそれを許しました。


私だったら、

許すことができなかったろうと思います。
自分たちが食べていくのも大変な状況の中で、
貴重な商品を盗られて、

それを許せる心があるなんて、
セキはすごい人だと思いました。

そのセキが育てた子ども中で多喜二という人は、
命を懸けて貧しい人のいない世の中を

作ろうとがんばっていました。
しかし築地署で虐殺されてしまいました。


これを知ったセキは

世の中をうらんだろうと思います。
そして自分の葬式を

教会でやりたいと願ったのも、
キリストと多喜二が重なって

見えたからかも知れません。

今の時代は、
欲しいものは何でも手に入る豊かな時代であり、
自由で幸せな時代だと思います。
しかしその陰にはたくさんの人々の

苦労と困難があったのだと思いました。

このように、

とても便利な世の中になってきましたが、
この作品の時代の方が、
心が豊かだったのではないかと私は思います。
相手に対する優しい気持ちや、

相手を助けたいと思う気持ちは、
時代とともに

だんだん忘れられてきているような気がしました。
この「母」という作品は、いつまでも、いつの時代でも、
この気持ちを心の中にしまっていて欲しいいう願いが
込められているのだと思いました。