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演劇人生

今日を生きる!

昨日、

子息が引き篭もっているという父親にあった。

20年以上の引きこもりだという。

「私は、自分が死ぬまで息子をみてやろうと思います」

という。

「だったら、今すぐ死んであげたほうがいいのでは?」

口から飛び出そうになったことばを飲み込んだ。

・・・おれはこの男を裁けない。


近々、子息に会えると思う。

いや、会いたいと思う。


ぼくの甥も3年間引きこもった。

彼は自分の精神で立ち直った。


また、息子を引きこもり寸前まで追い込んだ経験を持つ。

夫婦喧嘩が元だった。


引き篭もりも、原因はさまざま。

ただ、今回は、明らかに父親に原因がある。


人一人、篭りきりでいるなんて、

可哀想過ぎる。

「あゝ、ここに生きる場所があった」

そう思えるところがかならずあるはずだから・・・


親は裁かなくても、早々に死ぬだろうし・・・

「壁」という作品は大変な舞台です。
自分のブログにも書いていますが、
私(たち)は、この作品の中で、

一人の青年に死刑の判決を言い渡します。
そして処刑します。

裁判員制度が施行されて1年が過ぎました。

「裁く」とは何か・・・
「自らの敵は自らにあり」
私たちは人を裁くことが出来るかを

問題にしているのではありません。

自らを裁いているか・・・このことに目を向けたいのです。
自らを許すほどに他人を許せるか・・・

私は、この舞台で主人公を処刑する前に、

非常に強固な壁を見、触り、

「これは何で出来上がっているのか」

を考えなければならない。


・・・とても大変な課題を抱えているのです。



その解決を、果たして一ヶ月で出来るのだろうか・・・

劇団の稽古場で、婚礼司会の場で、
知人との会話の中で・・・
さまざまな場で感じることがあります。

「あゝ、いまを、このためにぼくは生きている」
ということです。

その時には、
目の前の人やものの愛おしさを

数倍にして感じているのです。

頬を通り過ぎる風や、
ざわめく木々のいのちが見えるのです。
これは嘘ではありません。
本当です。

それを通して、
「あゝ、おれも生きている」
満足な気持ちでつぶやいてしまうのです。

「壁」上演まで、
残る稽古日は死に物狂いでいきます。
この作品で、一人の青年を死刑にします。
そして処刑します。

安穏としてはいられません。
だからこそ・・・
「あゝ、おれも生きている」
この気持ちをどれだけ大切にできるか・・・
これこそが、
自分にとって限りなく大切なのだと思えるのです。


昨日はある新聞社の取材を受けた。

折りしもポスター、チラシ、チケットも完成し、

稽古にもようやく熱がこもり始めたときだ。


劇団生活
                     チラシ(表)


劇団生活 チラシ(裏)
ポスターは小さいA2にした。


ここに写真を掲載できなかった役者が1人いる。

写真が間に合わなかった櫻田幸博くんだ。

パンフレットには掲載する。

6ヶ月続けてきた「表現力講座」の
第一期が、この6月で終る。

呼吸から始まり、発声、ことばを生かす話し方・・・
等々から始まり、いまは自分で選んだ短編ひとつ、
みんなでする(群読)「うさぎの話」の稽古中だ。
6月最後の講座を発表会に切り替えるためだ。



プロのナレーターを目指す女性がひとり、
長年CMキャスターをしてきた女性がひとり、
韓国生まれで、ちゃんとした日本語で朗読をしたい
と考えている女性がひとり、
孫に、いい話を聞かせたい一心で勉強に来た
ご婦人がひとり、
地方のナマリを直して、聞きいい喋りをしたい
ご婦人がひとり・・・

レベルもさまざま、目的もさまざま・・・
しかし、しっかりとした表現力を身につけたい。
この気持は全員一致の課題だった。

「3ヶ月では無理だと思うのですが・・・」
で始まった講座だが、
どうしてどうして、みんな変わってきた。
確実に変わってきた。

50になっても60になっても、
気付きさえすれば変わる・・・
こう思えるだけでも収穫ではないか・・・
そう思う。

今朝までかかって発表会のBGMを
探していたが、
メディアプレーヤーの調子が悪くて
2曲探すのがやっとだった。
でも、いい・・・
これから、その曲を持って、
講座に出かける。