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演劇人生

今日を生きる!

ぼくが三園ゆう子さんを知って15年以上になるかもしれない。

10年以上演劇から遠ざかっていたぼくに

復帰を促してくれたのが三園さんであり、

劇団アドックの結成に向けての足がかりもこの時の、

三園さんの決断があってのことだったと思っている。

その第一回目の作品が、

芥川龍之介の短編「雛」の劇化だった。

ぼくの脚色を読んで「素晴らしい」とひと言・・・

しかし大勢は、演出を依頼した菊地氏

(ぼくがレギュラー出演しているCMのディレクター)も、

「これが演劇になるとは思えない」という意見だったし、

名の知れた芥川研究家も、

「無名の作品」として足下に下した言い方だった。

劇団生活 芥川龍之介


「名作」と言ったのは、ぼくと三園さんだけ・・・

だが、

「わたしが演じて、その責任をとる」

これが三園さんの思いだった。

稽古に入り、様相はどんどん変化した。


九十の老女の語りから始まるこの物語は、

語り手の力で、

明治に入り押し寄せる海外文明に、

押し流されてていくわが国の伝統文化や、

少女お鶴の心の支えでもあった雛人形までが

旧弊として消し去られていく世相を

描いてもらわなければならない。


劇団生活 老女姿でお鶴が登場する


三園さんは、これを見事なまでに表現した。

彼女の語りから、劇中のものがたりに同化していく

くだりは鬼気迫るものがあった。

劇団生活  右端が三園ゆう子

小さな空間で続けてきた語りや朗読、

そして小公演で培ってきた女優、三園ゆう子が

更に大きな花を開かせた瞬間でもあった。

その後、三浦綾子さんの「母」のセキ、「新しき鍵」では

三浦綾子その人を演じた。


劇団生活 「新しき鍵」

そして今回の「壁」では見事に関越弁護士役を演じた。

数ある女優の中で、これほど本物の女優をぼくは知らない。

若い女優で、

今後大成したい人は彼女に学んで欲しいと思う。

何よりも、彼女の感性に触れて欲しいと、ぼくは思う。

ぼくは演出家ではない。

今でも役者だと思っている。


ぼくが演劇の道に入ったのは大学を出てからだ。

学生運動と学内の劇団活動にのめり込んでいて、

就職するにも求職元がなくなっていた。


劇団生活

 大隈講堂前。恥ずかしながら・・・


どうするかを考えていた時、ふと捨てられてある

演劇雑誌に劇団民藝が俳優教室生徒を募集中

という記事が載っていたことに始まる。


「えッ、お前が民藝だ?」「合うわけないよ」

「どっちかと言えば四季か文学座だ」学友に言われた。

それに、「民藝はコネがないと入れないそうだ」

が、入れたのには裏話があるが、ここでは省略!


民藝では朝から夕方まで机上の勉強だった。

「演劇史」「戯曲論」「心理学」「社会科学」

ちょと体を動かすのが「発声訓練」「体操」

・・・大学時代の授業でやっていたような

内容の講義でウンザリ・・・!!


後に役立つとはその時には理解できなかった。

昼の講義、夜のアルバイト・・・

火災で焼失したがホテルニュージャパン下の

ニューラテンクオーターで照明や音響の仕事をした。

その後、銀座にあったクインビー・・・

安いアルバイト料に悲鳴を上げ、

以後は、歌舞伎座や国立劇場で大道具のバイトにした。

下手なアルバイトと組むと災難ッ!

・・・ここで親指を二度潰した。


2年の教室のあと、不思議なことに、

優秀なメンバー〈?〉の中に入れられて、

研究生に昇格・・・そして劇団員に・・・

最短昇格者の仲間だった。

これには、裏事情が多少以上にかかわっていた

(らしい)のだろうが、ここでは省略・・・。


稽古場見学という講座があった。

初めての作品は「初恋」というロシアの現代劇だった。

驚いた。

演じている役者がうまいッ!

演出の宇野さんにコテンパにやられている役者も、

「何故あそこまで言われなきゃならない」のか、

理解できなかった。「あんなに上手いのに!」


後日、この役者はどうしてここまで下手なのか・・・

と思うことになるSさんも、Uさんも・・・みんなうまい!


「あゝ、おれが役者になろうとしたのは間違いだ」

「断念しろ!」と、心が叫んだ。

それから数ヶ月、この思いは消えなかった。


ある日、公演作品と同じレパートリーで、

別班を組み、

照明音響同じ条件で内部発表公演をすることに

なった。何とか劇団のレベルを上げたいという

宇野さんの発案らしかった。

その配役にぼくの名前があった。

清水将男さんが本役のチーホンという役だった。

(続く)

花火らしい・・・いや花火だ!?

何処やらでドッカ~ン・・・・爆弾ドンッDASH!

周りがビルだらけで何も見えないむっDASH!


お台場の方か?


何にも分からないが・・・

サッキからドッカ~ン、ドッカ~ン!!

ボゴボゴボゴ・・・ドッカ~ンドンッドンッ


さ、我輩はコインランドリーへ・・・

・・・そうだ、自転車が盗まれたんだった。


明日には買いに行かないとなァむっ

動きがとれない・・・

あッ、・・・終わったかな?


・・・・・・むっ

・・・・にひひ


静かになった・・・えっ音譜

義弟がガンの治療中のため、

例年とは異なる墓参りになった。


抗がん剤の投与を受け、

退院したのだが、胃の調子がよくなく、

体力の衰えもあり、

時間を越える墓参りは無理だろうということになったらしい。


勿論ぼくより若いのだから、

何とか回復して欲しいと思っているがどうなのだろう。


これまで、他人事だと思っていたガンも、

身近な者が発症したことで、

いざという時の準備は必要なのだと痛感した。

赤字続きの芝居で、様々な保険もすべて解約し、

何の備えもないでは、すまないのかもしれない。


父を「昭夫ちゃん」とか「親父」と呼ぶ息子と娘だが、

2度目の抗がん剤治療に大反対をしていた。

ガン治療にはならないというのだ。


今日は元気な誰でも、

手を合わせた墓に一歩一歩と近づいているのは間違いない。


「いつまでもあると思うな親と金」

という戒めがあるが、

「いつまでもあると思うなその命」

・・・このことを今までになく感じた墓参りになった。

小林多喜二の母セキさんを描いた

三浦綾子原作「母」・・・

これを読んで涙を禁じえなかった人は多い。


東京六本木に今年の3月まであった

(4月にビジネスフロアに化けたようだ)

オリベホールで幕を開けて今年で8年。


始めは、

至極個人的動機からこの作品に手をつけた。

毎週見舞っていた入院中の母を、

見舞えずに過ごしたその週に母は他界した。

せめて、母を描いた作品を舞台にのせて、

遅ればせだが花を手向けたい・・・

そんな気持ちから舞台化したものだった。


・・・が、大反響を生んだ。

再演して欲しい、もう一度観たい・・・

その声におされて、東京で再演、

山形、埼玉と公演を重ねた。


劇団生活

小さな劇団で18回の回数を重ねる

レパートリーはそうそうないだろうと思う。


小さな劇団の悲しさで、

適役主義とは行かず、

役者に合わせて役を創る方法もとった。


さて、今回は、

多喜二の恋人だった田口タキさんが、

102歳で亡くなった翌年にあたる。

昭和9年に世を去った多喜二が心底愛した彼女は、

横浜に地で昨年まで生を全うしたのである。


このことだけでも、

「母」を再演して、多喜二とタミ(小説の名前)ちゃんを

再会させなければならないだろうと思ったのだ。

・・・これまで、多喜二とタミの役者には恵まれた・・・

と言っていいかもしれない。

が、再演するには、それを越える役者が欲しい。


さ、どうだろうか・・・

「難しいでしょうね」・・・と言われた。


オーディションの記事を掲載したと聞いて、

それを日記に貼り付けた。


ぼくは信じたいし信じている。

今回は最高の多喜二もタミも誕生する・・・

いや、生まれるんだと。