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演劇人生

今日を生きる!

★★★ 感動の名作 ★★★
  三浦綾子原作「母」
「蟹工船」の作者小林多喜二の母を描いた作品です。
東京、埼玉、山形等で18回公演してきた作品を4年ぶりに
港区麻布でリメーク公演を行います。

劇団生活

(写真)小林多喜二(七沢温泉)

劇団生活
恋人田口タキ(実際の写真)

劇団生活
「母」再演チラシ

小林多喜二の恋人タミをはじめ、
中心の出演者のオーディションを実施します。
チケットノルマ等は一切ありません。

・ 年齢性別不問
・ 経験不問
  (但し、未経験者はワークショップを受けていただきます。¥5,000(月額))

●第1次審査(書類)
 プロフィール(履歴書可)
 3サイズ
 写真(バストアップ、全身各1枚)
 作文「家族について」(原稿用紙2枚以内)
 ¥80切手1枚
 締め切り・・・9月20日(必着)
 全員に合否の通知をします。
 郵送してください。
 107-0052東京都港区赤坂9-1-7-846劇団アドック
 ※お問い合わせ
 劇団アドックHPの「公演問い合わせ」から
 http://gekidan.ad-hoc.jp
 参考ブログ
  http://profile.ameba.jp/gekidan-adhoc/
●第2次審査(実技)
 面接
 セリフ(課題は事前に郵送します)
 動き(同上)
 オーディション料¥3,000

※劇団入団オーディションではありません。
 劇団員、研究生は随時募集しています。
 入団費 0円
 劇団費 3,000円(月額)
 ※初心者のワークショップを実施しています。(費用は劇団費のみ)
  チケットノルマ等は一切ありません。

「命」「生きる」「生き方」をテーマにした演劇づくりをして来ています。
俳優女優として、多くの人々と感動を共有したい人を求めています。
あなたのアクセスをお待ちしています。

ぼくはライブの演奏を舞台に取り入れるのが好きで、

「母」ではヴァイオリンで幕を開け、そして閉じた。


「雛」では薩摩琵琶で幕を開け、

シンセとミュゼットアコーデオンと女性ボーカルで、

雛を思い母を、父を思い返すお鶴の心に入り、

薩摩琵琶で幕を閉じた。


今回の「壁」は冒険をした。

ぼくが26年前婚礼司会をした彼が、

ギターを習い続けている事を聞き、

ギターのトレモロで幕を開けさせた。


歌を歌わせ、主人公の処刑の場面で、

ゼンマイを巻かせてスタートしたシンセの演奏で

歌う女性ボーカルで、汚れたショーウインドーを

覗き込む、主人公の少年時代の活き活きした眼を想像させようとした。


「これは、なかった方が良かったのでは?」

という劇評を頂いた。

知人の弁護士からだ。


ぼくには、どのようなアンケートも「なるほど」と思う。

99%の皆さんが、

「深い演劇」「考えさせられた」「のめり込んだ」・・・

評価は、大成功に近い。


だからといって、

ぼくには、上演にかける思いの50%程度の出来だった。

「お客さんには申し訳なかった」という思いの方が強い。

今回は、いつになく評判は良かった。

それだけに不満足感はストレスになって残る。


ただの救いは、

ぼくはまだ生きているということかもしれない。

次を考えられるからだ。

これを思うと、どんな劇評でもありがたい。

次への背中をおしてくれているからだ。

大人たちは朝から笑顔がなかった。

「金団(きんとん)でも作っか?」

「んだな」

口数も少なかった。

「12時には家(うづ)にいろな」

「うん」

大人たちの話が耳に入っていたので、

母に言われる前に、

その時間は家にいなければならないだろうとは

思っていた。「玉音放送」があるのだという。


65年前の8月15日のことである。

いつもは口うるさい叔母からも何の注意もない。

何となく気詰まり感があって外に出た。

青空にうるさいほどの蝉の声・・・

家向かいの同級生も、

所在なさ気にぶらついていた。

「何してんなだ?」

「何もしてねぇ」

「玉音放送知ってるか?」

「天皇陛下の放送だべ」

「んだ」


こんな他愛のないひと言ひと言を、

65年たったいまでも覚えているのが不思議でならない。

そういえば、数日の間B29の爆音は聞こえなかった。

「戦争、終わるんだべ」

おれはそう感じていた。

数家族が同居していた母の実家。

その中でうっかり口にしたおれは、

先ず叔母にしこたま叱られた。

誰でもがそう感じていたに違いないが、

誰一人口に出来ない言葉だったのではないか。

学校も休みになっていた。

暑い日が続き、

毎朝の竹槍訓練もマンネリ気味だった。

「鬼畜米英ぶっ殺せッ!」

村道の真ん中に立てられた藁人形めがけ、

順々に突進してわき腹に突き刺すのだ。

「相手は鉄砲だべ」

このひと言も禁句だった。

友人が平手打ちを喰らったのを見たことがある。


すべてを戦争に費やし、

倹約し心血のすべてを捧げた。

軍事力で守れたものは何だったのか。

戦争で命は救えない。

戦争は人間であることを放棄することだ。

65年前、それを実感したはずではないか。

65年前の夏を「おれ」は忘れたくない。

○歳の夏だった。

皆さんは、死刑制度、賛成ですか?反対ですか? ブログネタ:皆さんは、死刑制度、賛成ですか?反対ですか? 参加中

私は反対 派!

本文はここから

去る7月末に、
無実の男を殺人罪で処刑する演劇を上演した。
原作があり、三浦綾子さんの「壁の声」という作品だ。
原作は、死刑囚のモノローグを短編化したものだが、
弁護士の接見や裁判風景を取り入れ、
「裁き」と「命」の問題にスポットを当てた。
今年で、裁判員制度1年である。

自分が、「裁く」側に立たなければならない時が・・・
来ないとも限らない。

私たちは日常生活でも様々な形で人を裁いている。

「あいつは気に食わない」という単純な裁きから、

「あいつが良くない」「あいつは正しい」等々・・・

そこで考えたいことは、

他人を裁くほどに自分を裁いているか・・・

ということだ。

逆に、自分を許しているほどに、

他人を許せるか・・・ということでもある。


ぼくはしばしば、この問題で、

「お前が人を裁けるか?」という疑問を持つ。

個人的に付き合いをやめるとか親しくなるとかの

好き嫌いの類の問題ならまだいいかもしれない。


だが、ここで問われている死刑という問題となるとわけが違う。


刑には軽重がある。

殺人には、現刑法では極刑である死刑がある。

理由が何にせよ、

人が人を殺すなどということはあってはならない。

これは例え戦争でも同じことが言える。

殺さなければ殺されるから殺す。

これは人間の生き方でも、世界でもはない。

人間を放棄した在り方であり世界である。

ぼくは死刑制度に反対の票を投じる。

一つは、自分が死刑判決を下せないと思うからだ。
「殺してやりたい」と思った人間は1人2人ではないように思う。
心で「殺した!」と思っても罰は下らないし、
「殺したい」と思っても未遂にもならない。
実際に命を絶ったわけでもないからだし、
刃物を振りかざしたわけでもないからだ。
だから罪の意識を持たなくていいということにはならない。

反面、死刑はあっていいのかもしれないという思いはある。
但し、制度には抵抗がある。
死に値する刑を科すということはあってもいいが、
制度としての死刑には反対だ。

それは終身刑かもしれないが、
「裁く」という問題とともに、
ぼくの中での結論はまだ出ていない。