埼玉県鶴ヶ島の劇団員宅で盛大な打ち上げをしました。
山盛りのてんぷら、なすの揚げ浸し、オカラアラカルト、
山盛りのカルボナーラ、山盛りサラダ、山盛りから揚げ、
スイカ2種類、北海道メロン、握り寿し・・・等々。
ここで最後の仕上げで合宿した時の、
ソバリエを呼んでの手打ちそば夕食風景!
○○回想シーン○○
そして当日・・・16名の「壁」組
そして今日、
17時から22時まで・・・
満腹は眠気を誘うものですね。
報告は・・・また・・・のち・・・ほど!![]()
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三浦綾子さんの原作は「壁の声」でした。
劇団で公演した舞台は「壁」でした。
お芝居を観た人から、
三浦綾子さんの「壁の声」の「声」とは何を意味しているのか、
また劇団アドックは、それを「壁」にしたのは何故かという疑問が出されたようです。
三浦綾子さんの「・・・声」をどう理解するか・・・。
ぼくにはぼくの考えがあります。
だから、それを規定付けるようなことはいいたくありません。
ただ、「・・・の声」と取り去り「壁」にした経緯と思いは述べていいとは思います。
人は生まれながらにして壁に囲まれます。
はじめは生存の壁かもしれません。
母体との間で、胎盤を仲介として、
いわゆる臍の緒を通した呼吸から、
臍の緒を切り取られることで、母体から独立して、
肺呼吸を始めるのだが、命にとっての劇的瞬間ではないでしょうか。
無酸素では命はなくなります。
瞬時に切り替わる呼吸のメカニズムは驚異です。
これを機に様々な壁が一つの命を待ち受けています。
乗り越えなければならない壁もあれば、
打ち破らない限り通り抜けられない壁、
迂回して道を探さなければならない壁・・・等々。
公演作品を「壁」の一文字にした理由はここにあります。
無実の死刑囚として3年6ヶ月拘置され、
処刑された多賀谷誠・・・
彼に語りかけた壁。
しかし、今度は、多賀谷誠の声を、
語りかける壁があります。
自分以外の至る所にあるのが壁かと思いきや、
僕自身の心の中にも、
もっとも頑強で、ビクともしない壁があります。
始末の悪い、偏屈で頑固な・・・、
それでいてそよ吹く風にも倒れそうな・・・
得体の知れない壁があります。
ぼくが描いた「壁」・・・
この正体は何なのだろうか・・・・
大変無責任といわれるかもしれませんが、
実は、その正体はなんでしょうか・・・と、ぼくが聞きたいのです。
「壁々」としようとも考えたのですが、
カベカベ・・・何となく擬音風で合いません。
「・・・たち」というほど親しみはない。
「・・・ども」というと具体性がなければならない気がします。
やはり「壁」なのだと思います。
有形無形・・・あらゆるものが「壁」になる可能性があります。
何もないところに突然現れるかもしれないのです。
結局は、これが答えなのかもしれません。
今回は多くの新人に舞台に立ってもらいました。
狙いでもあったのですが、
極度に「演じない舞台」にしたかったのです。
しかし、演技という名の通り、
ひとたび台本を手にすると演じたがる・・・
「演じる」ということを捉え違いをしている節がある。
たいていの人間は、演じても限界がある。
他人になるなんて簡単なものではないからだ。
だいたい他人の真似は出来ても、
なれるということ自体が錯覚でしかない。
「なりきっていた」などという言葉があるが、
「なりきれる」わけがない。
そんなふうに見えたに過ぎない。
役の人物も隣にいるひとも自分ではない。
他人なのである。
それでは、最も身近で、すべてを分かっているはずの自分・・・
その自分になれるか試してみるといいのかもしれない。
もっとも身近で、自分のものであったはずの自分・・・
その肉体も心も自分のもののはずが、
「あなたは何ですか?
と聞かれると答えに困る。
人を演じるには、その人の成長してきた環境、受けた教育、
家族関係や人格形成の軌跡等々・・・
今、舞台の上を歩くに至ったすべてを理解しようとして、
研究し分析し、想像していかなければならない。
自分の声を録音して聞くのと同じように、
自分の行動や心を客観的に観察することもほとんどない自分・・・
テープレコーダーの声同様、
自分で思う自分と外に晒している自分は違いはしないか。
本当は、自分を演じることこそ最も難しいのかもしれない。
「自分はこのような人間です」という自己紹介がある。
飾り立てず、在るがままに、理想を加えず、
周囲から、身近な人から思われている自分と、
自らが思う自分とに乖離はないだろうか。
あるとすれば、本当の自分はどちらなのか・・・
自分を知らない役者は演じようと懸命(?)になる。
「こうすれば、こう見えるのではないか」
これを演技と勘違いをしている人も多い。
こんなことを書くつもりはなかったのだが、
公演が終了した後、
「私は燃え尽きた」と言った出演者がいると聞いて、
「え~ッ??!!」
と、びっくり!
劇団アドックってどんな劇団だろう、
ただただ人をこき使って、
あらゆるエネルギーを吸い尽くすところだと思われかねない。
小指ほどの小枝で劇団アドックに来ても、
一つ仕事をするたびに一回りもふた回りも太くなると思っていたのだが・・・
髪の毛のように細るような扱いをしていないはずだった。
今回の大道具もいつもの四分の一、規模も数分の一・・・
出演者が舞台転換に加わるのは常識なのだが、
(歌舞伎や商業演劇は別だが)裏方だけで裏の仕事をしている劇団は
皆無に近いと思っている。
わが劇団はチケットノルマもない。
夕食やおやつがある。
稽古時間はほかに較べて三分の一・・・
こんな劇団が他に何処にあるだろうか。
どの作品でも、ほとんど出ずっぱりの三園ゆう子も
「燃え尽きた」と口にしたことはない。
いま一つ、新たないのちの証を刻んだと思っているはずだ。
どうなのだろうか・・・
大きなものを得て、次を目指そうとしていないか。
この姿勢と考えには、
「燃え尽きた」という感覚はないと思うのだが。
燃え尽きたと思った人が誰なのか・・・
「燃え尽きたって言っている人がいたよ」
このひと言をどう受け止めていいか分からずにいる。
もしかしたら、今回多かった新人の中にいるのかもしれない。
ご支援、ありがとうございました。
ご意見は、
98%が
1.感動した
2.重いテーマで見ごたえがあった
3.これからもこのような重厚な演劇上演を望む
4.衝撃を受けて、今も考え続けている
5.私はこのような作品を観たかったのだと思った
6.三浦綾子作品はすごい
7.アドックを知らなかった(いい劇団だ)
8.この劇のテーマは一生心に突き刺さっていきそうだ
9.劇団の姿勢に驚いたし共感する
10.ことばについて考えさせられた
11.重いテーマだ
12.関越(弁護士)の女優はすごい
13.(裁判所の)臨場感に圧倒された
14.セリフの随所に心を揺さぶる内容があった
15.うちの学生に見せたい(再演して欲しい)
等々の共感いただいたご意見。
2%が
1.主人公の誠は精一杯の演技だが、生煮えだ
2.知性、理性、右脳のみに訴えるものが多い
3.短くてハッとする心に訴えるコメントが少ない
等々がありました。
何はさておき、ご支援ありがとうございました!
北海道や宮城、広島、鹿児島からもきていただきました。
MICHIKOさんきれいな薔薇の花嬉しかったです!
当日集計するアンケート大嫌い人間で、
FAXをお願いしています。
昨日から次々と頂戴しています。
25年前披露宴の司会をした夫婦の
お嬢さんの披露宴司会をして来た。
「伊藤豪さん、覚えているかい?」
「覚えているわけないじゃないですか」
「・・・」
「でも、お顔を拝見して思い出しました」
「嬉しいね!」
「こちらこそ嬉しいですよ」
「ありがとう!」
「いいお嬢さんじゃないですか」
「ありがとう!嬉しいよ」
・・・というわけで、
港区の某所で結婚式を挙げた新郎新婦・・・
握手をしたり肩を抱き合ったりしていると、
「まあ伊藤さん、あたし覚えてない?」
当時の新郎新婦の母上・・・95歳!
元気なおばあちゃんになって、
今日はたった一人の孫娘の祝い日!
「こんど、私の100歳の祝いに司会をして」
「じゃ、ぼく元気でいなきゃだめだなァ」
こんな話がつづく続く・・・
婚礼司会より、こっちの話でクタクタになって
さっき帰ってきました。
人間って、おもしろい!