ぼくは演出家ではない。
今でも役者だと思っている。
ぼくが演劇の道に入ったのは大学を出てからだ。
学生運動と学内の劇団活動にのめり込んでいて、
就職するにも求職元がなくなっていた。
大隈講堂前。恥ずかしながら・・・
どうするかを考えていた時、ふと捨てられてある
演劇雑誌に劇団民藝が俳優教室生徒を募集中
という記事が載っていたことに始まる。
「えッ、お前が民藝だ?」「合うわけないよ」
「どっちかと言えば四季か文学座だ」学友に言われた。
それに、「民藝はコネがないと入れないそうだ」
が、入れたのには裏話があるが、ここでは省略!
民藝では朝から夕方まで机上の勉強だった。
「演劇史」「戯曲論」「心理学」「社会科学」
ちょと体を動かすのが「発声訓練」「体操」
・・・大学時代の授業でやっていたような
内容の講義でウンザリ・・・!!
後に役立つとはその時には理解できなかった。
昼の講義、夜のアルバイト・・・
火災で焼失したがホテルニュージャパン下の
ニューラテンクオーターで照明や音響の仕事をした。
その後、銀座にあったクインビー・・・
安いアルバイト料に悲鳴を上げ、
以後は、歌舞伎座や国立劇場で大道具のバイトにした。
下手なアルバイトと組むと災難ッ!
・・・ここで親指を二度潰した。
2年の教室のあと、不思議なことに、
優秀なメンバー〈?〉の中に入れられて、
研究生に昇格・・・そして劇団員に・・・
最短昇格者の仲間だった。
これには、裏事情が多少以上にかかわっていた
(らしい)のだろうが、ここでは省略・・・。
稽古場見学という講座があった。
初めての作品は「初恋」というロシアの現代劇だった。
驚いた。
演じている役者がうまいッ!
演出の宇野さんにコテンパにやられている役者も、
「何故あそこまで言われなきゃならない」のか、
理解できなかった。「あんなに上手いのに!」
後日、この役者はどうしてここまで下手なのか・・・
と思うことになるSさんも、Uさんも・・・みんなうまい!
「あゝ、おれが役者になろうとしたのは間違いだ」
「断念しろ!」と、心が叫んだ。
それから数ヶ月、この思いは消えなかった。
ある日、公演作品と同じレパートリーで、
別班を組み、
照明音響同じ条件で内部発表公演をすることに
なった。何とか劇団のレベルを上げたいという
宇野さんの発案らしかった。
その配役にぼくの名前があった。
清水将男さんが本役のチーホンという役だった。
(続く)
