年が明けてキャリアチェンジストーリーもやっとこの話題まで来たか。 このころちょうど私が昔、真剣に愛していた元カレと会う機会があって、私の後に付き合った彼女と微妙に続いているらしく、元カレの友達から「彼女が卒業後スチュワーデスの試験に受かってJALに入社した」と聞いて、私はそこで初めて闘志の火がついたのだ。私は一人っ子なので、普段めったに人と競争したいとか思わないのだが、こんな妖しいわけのわからん仕事してる自分と、かたやあの彼女はスッチー。かなわない、と思った。 彼女は上智の法学部出で美人だ。でも自分が彼女より劣っているとは思いたくなかった。心のどこかで彼をもう一度振り向かせてみたかったのと、彼女には負けていたくない! という気持ちでそれを証明する為に同じような土俵の職につきたいと思った。 かといってスッチーになりたいなどという気はさらさらなく、もっと華のある世界で働こうと思った。 私はブランドは全く興味ないのだが、唯一愛用しているものがあった。 私がアメリカのシリコンバレーで初就職したときに買った仕事用バッグ、時計、手帳、コート。 初ブランド品は「GUCCI」だった。 GUCCIのシンプルでシャープな感じのデザインと色使いが好きで、やはりキレる仕事をスマートにしていくのと一緒にキレるものを身につけていたいと思う様になった。 そんなわけで、たまたま朝日新聞に社員募集をしていたのでダメもとで受けてみたら、これが最終まで残ってなんと受かってしまった。 後で同期に聞いたらあの時の入社試験はなんと倍率500倍近かったそう。 全国で何千人が受けてたらしく、受かったのはほんの20人程だったのだ。 今思えばあのときの何とも言えない敗北感と、彼を振り返らせたい「どうしても!」という気持ちがものすごい原動力だった気がする。
恋の力、そしてそう、何か大きなハードルを越えるには、この「どうしても!!」という気持ちがどれだけ強いかで決まる。これは絶対。 私は自信をもって最終面接の時も、もう200%の気持ちで「どうしても!」この会社でなければダメなのだ。という気迫満々で臨んだのだ。 そんなときはただならぬ「目ぢから」があるのだと思う。
そんな感じで受かった後は、想像以上に華々しい世界が待っていた! そして元カレが戻って来た。 続きをお楽しみに♪ まだまだハプニングは続く~
久々にブログを書いております。 年末年始と忙しく楽しくしておりましたので、全くもってパソコンに触れずの1ヶ月を過ごしておりました。 そんな感じでブログからも遠ざかっていたのですが、まだまだ続けますよ! そんな中、私にも初の読者がついてくれました~! americusさん、どうもありがとう♪
さてさて、今年初のブログはそんなわけで私のキャリア話の続きは次にして、会計士をテーマに書いてみます。 といっても私にはさっぱりの無知無縁の世界なのだが、こんな私もなにげに日商簿記工業簿記共に2級まで持ってたりして、カリフォルニアの大学でもAccountingのクラスは2個程取ってみたりした。 しかし会計には全く興味がないのだ。 ではなぜに? 私もよーわからん。 私の叔母が税理士でバリバリのやり手だった影響か? でも左右バランスシートがバッチシ合った時はなにかこうスカーッとしてアドレナリン!?とかなんかの物質が出るような気がする。 私にはサンフランシスコの会計事務所に勤めている会計士の友達がいて、12月に彼女に会って来た。 彼女のお友達も日本から来ていて、そのコも会計士。二人ともめちゃくちゃ美人で、「あ~天は二物を与えるなあ、、」などと思った。 そして東京には会計士を目指して試験を受け続けていてかれこれ8年位の友達がいる。 彼はサンフランシスコの友達同様、6大学を卒業しているかしこい人なのに、運悪く落ちまくり。なので、ずっとフリーターの生活。かたやSFの友達は在学中に一発で受かって今や海外で、、、。 う~ん、何が違うのだろう、、、。 でも私は人それぞれ、人生の勢いというか、リズムみたいのが違っているもんだと思う。 それでいいんだと思う。 神様に振るいをかけられてるのだ。 諦めたら負け。早く成功した人はどこかで思いがけず壁にぶつかるかもだし、一見出遅れに見える人だって、実際はその間に人としてのいろいろな力を確実に蓄えていると思う。 そういう人はその先、思いもよらぬことが起こっても、動揺せず乗り越えてみせる底力が備わってる気がする。私は後者の出遅れタイプだが、このタイプに禁物なのが、「焦り」ただ一つだ。 焦らずぼちぼち私は歩くよ。何に向かって歩いているのかが確実にわかっているのだから大丈夫♪
さてさて、今年初のブログはそんなわけで私のキャリア話の続きは次にして、会計士をテーマに書いてみます。 といっても私にはさっぱりの無知無縁の世界なのだが、こんな私もなにげに日商簿記工業簿記共に2級まで持ってたりして、カリフォルニアの大学でもAccountingのクラスは2個程取ってみたりした。 しかし会計には全く興味がないのだ。 ではなぜに? 私もよーわからん。 私の叔母が税理士でバリバリのやり手だった影響か? でも左右バランスシートがバッチシ合った時はなにかこうスカーッとしてアドレナリン!?とかなんかの物質が出るような気がする。 私にはサンフランシスコの会計事務所に勤めている会計士の友達がいて、12月に彼女に会って来た。 彼女のお友達も日本から来ていて、そのコも会計士。二人ともめちゃくちゃ美人で、「あ~天は二物を与えるなあ、、」などと思った。 そして東京には会計士を目指して試験を受け続けていてかれこれ8年位の友達がいる。 彼はサンフランシスコの友達同様、6大学を卒業しているかしこい人なのに、運悪く落ちまくり。なので、ずっとフリーターの生活。かたやSFの友達は在学中に一発で受かって今や海外で、、、。 う~ん、何が違うのだろう、、、。 でも私は人それぞれ、人生の勢いというか、リズムみたいのが違っているもんだと思う。 それでいいんだと思う。 神様に振るいをかけられてるのだ。 諦めたら負け。早く成功した人はどこかで思いがけず壁にぶつかるかもだし、一見出遅れに見える人だって、実際はその間に人としてのいろいろな力を確実に蓄えていると思う。 そういう人はその先、思いもよらぬことが起こっても、動揺せず乗り越えてみせる底力が備わってる気がする。私は後者の出遅れタイプだが、このタイプに禁物なのが、「焦り」ただ一つだ。 焦らずぼちぼち私は歩くよ。何に向かって歩いているのかが確実にわかっているのだから大丈夫♪
さて、前回の続きの妖しい仕事について語ろう。 早速オフィスに初出勤した時の事。どうやら私の他に3名程採用されていたようなのだが、なぜか研修はみんなバラバラに行っていた。一人ずつマニュアルに沿って勧誘の台詞を覚えていくのが研修だった。勧誘??この時点でかなり妖しい響きである。どうやら、学生を対象にしたレジャー系の会員権を売るのが仕事のようだ。 しかしマニュアルの内容を見ていくと、これがなかなか魅力的な内容であった。例えば航空券などがかなり格安で買え、豪華な貸別荘が数千円で利用でき、映画も500円で見れたり、とにかくお金がない学生でも手軽な値段でリッチなエンターテイメントを満喫できるしくみになっている。この内容はどうやらインチキでもなさそうで、ちゃんとなぜこんなに安く利用出来るのかが説明されてあった。 要するに入会金が高いのだ。はっきりと金額は覚えていないが、確か50万円とかそんな感じだった気がする。つまり娯楽をめいっぱい利用する人ならば、かなり特な会員権となるのだが、あまり利用しない人はかえって損をする感じである。 しかし、学生がいくら安いからと言ってそう遊びほうけてられないもんである。 そこがカラクリのようである。 私達の任務は一人でも多くの学生に会員権を買ってもらう事だ。ローンの組み方まで説明して説得するのである。 まず、初めの仕事は、学生に電話をするのだ。 会社はちゃんと18歳~24歳位までの子供がいる家や一人暮らしをしている人の住所録みたいのを用意してあって、そこにしらみつぶし的に一方的に電話をかけるのだ。私も分厚い名簿録を渡され早速電話攻撃にかかった。 このような知らない人に一方的に電話をするなどしたこともないので(当たり前だ)何とも尻込みしてしまうが、隣に座っているベテランそうな社員を見ていると、まるで友人に電話をするかのようにかる~く電話をし、そして実際に面談までこぎつけているのだ。 すごい!! とにかく話術がすごい。 自然で妖しくないのだ。 私は遠慮がちに電話し、おどおど説明するので妖しさはさらに倍増してしまうだけだ。 ここで学んだ事は、何をするにも自信と確信を持って相手に接すれば、相手はその人のペースに引き込まれてしまうという事。 いろんな意味で。 自信と確信を身につけるには、、、? 1ヶ月やそこらでは無理というものだ。 そこには試行錯誤を重ねへこたれず、費やした時間がそこにつながるのだろう、、。 私と同時に採用された3人は、演劇を勉強していたり、脚本の道を進んでいたり、会計士の勉強をしていた人達だ。 私を含め、みんなからは自分の夢に向かえる時間が欲しい!というオーラが出ていた。 確かにこの仕事は妖しい仕事だが、要領をつかみ沢山の学生を会員にすることができれば、短時間労働ですごい収入につながっている。 ある意味、本当にやりがいが湧く仕事だが、研修期間中の1ヶ月で私を含めみんな辞めていった。 実のところ私はもうちょっと続けて様子をみたい気持ちだったのだが、ここで大きな転機がやってくる!! 私のキャリアに多大な影響を与えた転機とは? 次回をお楽しみに~♪
今回は米国ハイテク業界を去り、帰国後の就職について語ろう。 以前バイト編でも書いたが私はサンフランシスコでバーテンの資格(Certificate)を取得している。アメリカのバーで働くのにバーテンに資格などもともと必要ないのだが、まああるにこしたことはない。なぜバーテンに興味があったのか。 私はビールやワインが好きで飲むが、缶コーヒーやコーラなど甘い飲み物が大嫌いなので、カクテルも苦手なほうだ。 自分なりになぜバーテンに興味を抱いたのかを分析してみた。きっと私は水商売に興味があったのだろう。しかし大の話下手の私にとって頭をフル回転させ会話を振り続けるのは不可能だ。バーテンというのはむしろ話を聞く立場なのかもしれない。私は割と聞き上手だ。 うん、あってるかも。というノリだったのだろう。 そして帰国後すぐ、私は夜に渋谷のショットバーに勤め、昼は趣味をもっと深く勉強してみようと決めた。そのショットバーはカウンターだけのジャズの流れる洒落たバーだった。しかし帰国後一ヶ月も経ち、このような仕事の為、終電で帰るような生活をしていると、なにかと近所のおばちゃんたちに変な目で見られる様になった。「あの家のお嬢さんは長年米国にいながら昼はフラフラして夜は遅いし何やってるのでしょう」と言う事であろう。確かに妖しさ満点だ。親不孝な気もしてきたので、とりあえず正社員の昼間の仕事を探してみる事にした。 手取り25万円以上週休完全2日制昼から出勤、そんな好都合の仕事あるか?って感じだが、あったのだ。渋谷に。しかも自分の頑張り次第でもっと給料はあがると。とりあえず面接に行ってみると、あっけなく合格してしまった、、、。 どんな業種? 記事には「旅行などのレジャー関連マーケティングスタッフ」と書いてあった。う~ん、これが実に最高に妖しい仕事なのだ。 ではその話は次回♪ お楽しみに~!
私の初入社社会人デビューは米国カリフォルニア州シリコンバレーの日系半導体会社である。サンフランシスコの手前で、ヨットハーバーに囲まれたハイウェイ沿いにポツンとそびえ立つガラス張りの美しい建物は、私の憧れの会社であった。 こんなところで仕事している人はどんな人達なのだろう、、?とよくハイウェイを運転するたびに思ったものだ。 私はサンフランシスコにある美大に通い、グラフィックデザインを勉強していたのだが、あと1年で卒業という時点で、グラフィックデザイナーとして仕事をしたい!という自分がいないのに気付いた。自分の人生で一番大きな壁にぶちあたったというか、苦しい分岐点だった。いろいろ悩んだ末、ビジネス系の大学に転校し、自分が想像もしていなかった学部、経営学部、で卒業という形になった。マネージメントを勉強したかったというより、幅広い就職が出来る可能性を見て選んだ学部。 (もともとは音楽で卒業したかったのだが、親の大反対で手に職を付けられる分野でなければサポートをしてもらえなかった。)そして卒業前にダメもとで申し込んだ例の憧れの半導体会社に本当に運良く入社出来る事になった。そこでは日本人駐在員の会議資料を英訳作成したり、マーケティングや在庫管理などのデータベースを担当させてもらった。 私はその頃、パワーポイントやエクセルなど全く使いこなせなかったが、社内でそれらの技術を向上させるクラスみたいのがあり、私は働かせてもらいながらそれらの技術を身につける事ができた。 その後、会社は私に就労ビザのスポンサーになってくれるなど、とても良くして頂いたのだが、もしこのまま米国で働き続ければ、永住権を取らない限り帰国した時には年齢的に就職が大変だと感じ、ビザは延長せずに帰国したのだった。 とにかくこの会社では、本当に本当に素晴らしい人達に出会い、感謝しきれない程お世話になりました。 帰国後の就職事情は次回♪
私のブログのテーマはズバリ、私のニューキャリアへの道のりである。 では私は今までどんな仕事をして来てどんな新たなキャリアに今、挑んでいるのか、というのはまだ語っていなかった事に気付いた。 私は高校から大学時代にかけて、いろいろなバイトをしてきた。高校ではデニーズがバイトデビューで、イトーヨーカドーでレジをしたり、赤坂の高級焼肉店でもバイトした。そんなのは普通のバイトだ。が私は高校の途中からアメリカで過ごす事になり、アメリカでの高校、大学生活を出来るだけ自分で支える上で、かなりバラエティ豊かなバイトをした。 私は飽き症だが、一度自分が受け入れられた仕事や人間関係はどんなに厳しい状況に置かれたとしてもかなり長い期間続けられるのです。間違いなくその裏には私の感心を刺激し続ける何か光るものが潜んでいるからだと思う。朝3時に起きて毎週末朝市でサボテンや生花を売るバイトや、ハウスクリーニング、ベビーシッター、英語や日本語の家庭教師、バーテンの資格をとってバーテンダーをしたり、JTBの旅行代理店で、ツアーガイドもした。このツアーガイドというのは、自分で運転して空港までお客様を迎えに行ったり、サンフランシスコ市内を案内したりする。 なんとリムジンで、である。 リムジンなど乗った事もなければ運転したこともない私が、である。 なんとも恐ろしく無謀な国だ。 初日に恐る恐るリムジンを運転し、なんとか空港に着き、お客様を乗せて市内に向かう途中、「おねえさんはそんなに若いのにリムジンなんて運転されて、すごいですねえ~! もうどのくらいお仕事されているんですか?」と聞かれ、私は正直に「あ、今日が初日なんです!」と言った瞬間から会話が止まり、ホテルに付くまで恐ろしくなが~い沈黙が続いたのだった。 しかし慣れとは恐ろしいもので、ほんの1ヶ月もすると自分の普通車を運転するより快適になったりするのである。 そうそう、ツアーガイドというバイトは短時間で仕事が出来、時給も高めで、しかもチップも頂ける。 そしてこれは裏話だが、良く海外の観光地で見かける日本語が書いてある妖しさ満点のお土産店にお客様を連れて行って、何かお買い上げ頂けると、何割かのコミッションが入って来る仕掛けになっているのだ。う~ん、なんともダークなカラクリだ。 最初は臨時収入が嬉しくてまめにお客様をそのようないかがわしい日系土産店に連れて行ったが、(売ってる物はそれなりにまともな商品なのだが、、)だんだんセコく思えて来て連れて行くのをやめていった。やはり、お客さんの貴重な時間はお客さんが心から喜びそうな所に連れて行ってあげたい!それが私の出来る最高のおもてなしだって思う様になっていった。 日本のいろんな所から来られるお客様とのふれあいや会話は、短いものの本当に楽しく、かけがえのない良い経験をさせてもらった。 このバイトは私の人生の中でいろいろと人生の肥やしになっている貴重な経験でした☆ 次回は本職編♪
先日のレコーディングについて、まだ話が進んでいなかったので、ちょっと語ってみよう。まずは私が知っている限りのメンバー情報♪ ピアニストのJiayniは上海出身の30歳。彼は上海の音大で教授をしていたそうだ。 何でも中国ではジャズミュージシャンが非常に少なく、有名ホテルなどでジャズを演奏するメンツはほぼ決まっているそうな、、。 この状況をなんとか変えようと、彼は米国で大物ジャズマンを多数送り出しているバークリー音楽院で本格的にジャズを学び、将来は中国にジャズの学校を創立するという大きな夢を語ってくれた。 私は彼のやわらかい音の響きの演奏がとても好きだ。 ベーシストのGabeはカリフォルニアの名門スタンフォード大学在籍の20歳。 バークリーには1学期だけ来ているそう。 前回の「Old cape cod」のレコーディングに引き続き、2度も参加してくれた。 ギタリストの太一くんは、1年前バークリーに来るまではジャズなど全然演奏したことがなかったそう。 それが今となってはジャズやR&B、Popsまでなんでもこなす! 私がジャズ以外にも頻繁にブラジリアン系ラテンを好んでやるので最近はラテンにも力を入れて勉強されているようだ。 最後にドラムのGreg。 彼は一見ヒゲのせいもあり、オヤジ顔で強面なのだが、ドラムの腕とセンスはピカ1で笑顔がやさしい。 彼とはあまり話していないのだが、もっといろいろ話してみたくなるおもしろそうな人間である。 全員、リハの時からいろいろ提案してくれたりとにかく最高の波動の中で録音が出来、かけがえの無い体験でした。 そしてもう一人、忘れてはならないのが、レコーディングエンジニアのアッキー。彼の本名は謎なのだか、彼の協力なしではあり得ない体験だ。 これから夜中12時に再びにスタジオ入りし、初めてこないだの録音を聴かせてもらいアッキーとOKテイクを選ぶ作業に入ります。 あ~ドキドキ!!! また明日報告します♪
月曜のレコーディングは何とか無事に終わった。 写真は参加メンバー♪ 左からウッドベースのGabe, ピアノのJiayni, ギターの太一くん、後ろはドラムのGreg、そしてしゃがんでいるのがすっぴんの私。 この日は夜中の12時位に睡魔に襲われたが、スタジオに到着するとやはり気が張るのか、すっかり目が覚めた。 予定通り6時に終わり、私は家に帰って爆睡! 何度か目が覚めたが、時計を見るとまだ8時半。まだ寝れる、と思ってまた寝付いてまた起きると8時半。 また安心して寝付く、、 ん?? 8時半?? さすがにおかしいことに気付いて飛び起きると、その時計はなんと電池が切れてしまったらしく、テレビを付けたらもう3時pmになっていた!! オーマイガッドである。 今日のクラスを全てミスってしまったではないか。 トホホ、、。 軽い時差ぼけである。 しかし、このレコーディングには本当にたくさんの人、そうミュージシャン達やエンジニアの人達、警備員の人がこんな夜中に来てくれ、準備してくれ、朝までやりきってくれたお陰で無事、良い物が作れた。 嗚呼、私がくたびれてる場合ではない。 本当に、多くの人々のサポートのお陰で今の自分がいるのだ。 本当にありがたいことです。 このことは、常日頃、心に留めて、日々感謝しながら自分はまわりに支えられながら生かされているんだということを意識して、自分も人様の為になる生き方をしていきたいと思う。 私の人生のテーマはまさにこのブログタイトルのように「温かい音の波動を発して何とか人に温かい気持ちになってもらいたい」ことだ。 う~ん、うまく伝えられないが、、、。 とにかく、人からの温もりはもらいっぱなしではいけない。 私が死ぬまでに一人でも多くの人に音楽を通して温もりを発したいと思う。 いろんな形で、、。 おっとレコーディングの話題からかなり外れてしまった。 レコーディングの模様はまた明日ね♪
今夜はバークリーでのレコーディング第二弾! 前回はMusic Production & engineerという学科の生徒のプロジェクトに協力して一曲録音したのが初体験。 今回は自分の奨学金を更新する為のポートフォリオ用レコーディングで、3曲取る予定。 スケジュールはというと、なんと今夜の2:00amから朝の6時まで!! 私の熟睡タイムではないか。今から眠くならないかとか、頭がボ~っとしないかとか、不安がよぎるが何とかテンションを高めて挑まなくては!!! 写真は初めてのレコーディング曲「Old cape cod」の時に使ったイメージ写真。 ケープコッドはボストンから車で約3時間位の所にある、とってもとっても美しい半島である。この曲はもともとオールディーズの曲で、私は全く知らなかったのだが、この春に帰国したときに友達の紹介でお知り合いになれた、ベテランジャズドラマー兼プロデューサーの松尾明さんのアルバムを聴いて、一聴き惚れした曲なのだ。 このシンプルで何とも美しい曲を聴いて夏に何度かケープコッドを訪れ、歌どおりの美しい場所に感動し、自分でも歌ってみたくなった大変想い出深い曲である。 この写真のように、実際もっと空や水面、空気が美しい。 私もついつい夕暮れ時に黄昏れてしまったときに友達に撮ってもらったワンショット♪ かなりお気に入りです。笑
さて今回は、全く違うカラーの3曲を選曲したので、仕上がりが楽しみ♪ ではそろそろ練習に戻り、頑張って真夜中のレコーディング行って来ます!! 感想は明日♪
ブログも今日で三日目。そう、三日坊主がお得意な私の節目である。読んでくれてる人がいそうにないのになぜかランキングとやらは上昇している。なぜだろう、、? ま、まだまだがんばって書こう♪今日のテーマはスキャット♪ 写真はバークリーのスキャットの先生の似顔絵だ。バークリーではボブ=スキャットの神様☆のような存在。 おっとスキャットって何?って言う人もいるよね? スキャットとはいわゆる「シャバルビダバ~♪」とか呪文の様にメロディを即興で歌い上げるヤツです。 スキャットは私の大の苦手というか、嫌いな分野なのだが、ボブのスキャットのクラスは実に楽しい。みんな音痴か?っていうくらい音をはずしながらいろんなスキャットの仕方を学んで行く。このクラスでは間違いを恐れず、楽しんでスキャットを学ぶ事ができる。さすがはボブ様だ。 ところでこのスキャット、多くのビギナーシンガーは何となく思いついたメロディを口ずさんで勘で歌ってしまいがちだが、それはマズいのだ。 よく考えコード進行に基づいて音を当てて行かないと何とも聴き苦しいものになってしまう。日本人はなぜかスキャットができてナンボみたいな風潮があるが、へたに取り込むとせっかくのきれいな曲が台無しになってしまう気がする。 スキャットは感情が込み上げて来たときに自然に口からこぼれるものなんじゃないかと思う。 考えながら音を並べるんであればやらないほうがましではないか? 私があまりスキャットを好まない理由のひとつである。 でもスキャットを学ぶと言う事は、いろんなことを同時に学べるし、表現のツールとして身につけられるといいな♪と思う今日このごろである。 いつかカッチョ良く「シャバダバ~♪」とやってみたい! スキャットについて熱く語り終えた所でそろそろ頑張って今からスキャットの試験勉強をせねば~!!