とうとう、幽霊とちょっと喋りはじめた母!笑
母が、幽霊が見えるようになったのは、以前、書いた通り。
ここでは最近、母が見た印象深い幽霊達を、私も興味深いので、記録として羅列しておきます。
(そもそも『亡くなる心得』の草稿では、幽霊の章を一章作っていましたが、削除した経緯はリンク先に書いた通り。そもそも『亡くなる心得』を読めば幽霊の事など実に簡単に判明する!)
今では、私と母は、妖怪の手長足長のような存在で、笑、母の手長がその特殊な眼力で幽霊を見つけ出し、足長の私がその意味を解釈、除霊、供養している感じです…笑!
夫婦や友達、親子、パートナーってこうして互いの長所で補っていると思いますヨ… 親しい人はみんな手長足長です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231120/15/kaoruangels/e9/dc/j/o0200073015366821618.jpg?caw=800)
四柱推命的には、自著『新釈中国古典怪談』で解説した通り。
このWikiの絵 河鍋 暁斎も意味深で、河鍋 暁斎は私はアーティストの直感で、彼はトンデモナイ御仁だとかねがね直感しています…絶対、ただものではありません!所謂、「解っている御仁です」いつかこのブログで解説しようと兼がね思っていたのですが…
文章や信仰だけでなく、画道や写真、アート、数学、科学、人生そのものからこそ、誠実である限り裾野は沢山あり、頂上へ行けるものなのです… 河鍋 暁斎からはそれが伝わります…
「感情を揺さぶるのがアート」なんて超マヌケな定義しているバカが、多くの大学教授を兼任しているなど、現代の人間界のバカさ加減を、間違いなく象徴しています。根本でアートを履き違えているマヌケさ!嘆! 仮にも教授ならその責任はあるハズ! 今の、人間界は実にこんなものさ…憂国。この論には自信がある…頭とハート、悪すぎ…嘆 人徳の問題… (『亡くなる心得』でも解説したが、PCではOSの根幹の問題…)
────────────────
いつもながら、「前置き」が長くなってしまいました…大汗…(本日も長文になりそう…爆)
本題の母の幽霊のレポート
●いつも、昼と夜、母の歩行訓練をしている訳ですが…ある夜、突然母が壁に向かって「そのおもちゃ、コッチに持っておいで!直してあげるから!!」
と言い出しました!????
もう、充分、痴呆が入っている母なので、私はまた変な事言い出したわ…と思ったのですが…笑
母によくよく聞くと… 今、目の前(60cm先は壁!)に女の子が立っていて、手には壊れた赤いブリキのおもちゃ(電車のようなもの)を持っていて、母に「直して!」と訴えたそうです…
母は、息子の私の手先が器用なのは知っているので、「息子に修理させてあげよう」という想いで、思い思わず、「コッチに持っておいで!!直してあげるから!」と言ったそうです!!爆!!
私は、母に言ったのですが
「あのなぁ…オレ、そのおもちゃは、見えもしないし、触る事も修理することも出来ないぜ…」と。笑! (当然ですが、私は幽霊などに驚きもしません…)
(註:リンク先の羅両峰も言っている事なのですが…、清廉な人は幽霊が見えないし、そんなもに左右されないものです。『新釈中国古典怪談』で解説した通りです。私にとって「幽霊が見えない事が自信です」 (母の場合は清廉云々より、死が近いのと頭を打った事ですが )
母にとっては、至近の60cmの壁なんか通り過ぎ、その向こうに、墓を潰され、副葬品まで、重機で破壊され、困っている、幽霊の姿が、普通の人のように見えているのです。
その意味、意図を「足長」の私が、解説して、母がトテモ納得しておりました…実は、可哀想な話です…(ちなみに、副葬品の重要さは『亡くなる心得』で解説した通りです!)
「手長足長」なのです。
「足長」としての私は、その女の子に、心の中で言ってあげます…
「墓を潰し、おもちゃを壊したのは、悪かったのぉ~。悪いのオレじゃなく、バカ住職だ…、でもアンタは、こんなところに、ずっと居なくてもいいんだよ…もっとあの世の上の世界があるから、どうか上へ行ってね…」
と、心の中で念じます。すると、その子供の幽霊も以降、出なくなるものです…
よく、供養で坊主の経文や呪文が挙げられますが… そもそもその供養者に対し、経文や呪文の意味が理解できますか?????って話なのです…
(この表現、間違いかもしれませんが「馬の耳に念仏です」そもそも人も念仏の意味が解ってるか…?という話です… )
私は『般若心経』と『華厳経』(註:華厳経はとんでもなく膨大な経文ですが…汗)の意味はなんとか、解りますが、他の経文は、解かりません!
正直なところ、亡くなった者に対し、坊主が言う念仏、経文の意味が理解できますかっ???って話です!!
それよりも、実のところ、霊に直接、「現代の人の言葉で、今の想いを伝えてあげることが、「どれほど」意味があることか…!」それが供養であると私は想います……
その真髄は『亡くなる心得』で記した通りです…
●本当は、もっと母と私の「手長足長」能力で、数々パターンかの心霊現象を書きたかったのですが… 今、この女の子のパターンを書いてみて気付き、思いの他、この箇条書きだけでは、トテモ、トテモ、長文になる事象ばかりなので、今回はこの印象的な女の子の話だけで一旦止めます…
ブログでは、長くなりすぎるので…
でも、当たり前ですが、それほど、幽霊に出てくる人達の人生は永いということです。(別次元は必ずあります)
供養とは、それを理解することですね!
実のところ、この世は想念でしかあり得ません!それを解説したのが『亡くなる心得』です。
この女の子の話は、我々親子の間でも、とても鮮烈な経験でしたので、まず第一話として記しておきます。(本当は、この記事で全話、記そうとしたのですが。笑!)書いてみてその想念の多さに気付いた次第です…汗。 純真な子供の幽霊は心がキレイからマダいい… 助けてあげようと思う…
あぁ、そうそう!幽霊との関わりも「この地上であなたが他者と関わり合う、その経験のなかにあるのです」
岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝
![](https://badge.facebook.com/badge/378906628814088.2356.640127128.png)
ここでは最近、母が見た印象深い幽霊達を、私も興味深いので、記録として羅列しておきます。
(そもそも『亡くなる心得』の草稿では、幽霊の章を一章作っていましたが、削除した経緯はリンク先に書いた通り。そもそも『亡くなる心得』を読めば幽霊の事など実に簡単に判明する!)
今では、私と母は、妖怪の手長足長のような存在で、笑、母の手長がその特殊な眼力で幽霊を見つけ出し、足長の私がその意味を解釈、除霊、供養している感じです…笑!
夫婦や友達、親子、パートナーってこうして互いの長所で補っていると思いますヨ… 親しい人はみんな手長足長です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231120/15/kaoruangels/e9/dc/j/o0200073015366821618.jpg?caw=800)
四柱推命的には、自著『新釈中国古典怪談』で解説した通り。
このWikiの絵 河鍋 暁斎も意味深で、河鍋 暁斎は私はアーティストの直感で、彼はトンデモナイ御仁だとかねがね直感しています…絶対、ただものではありません!所謂、「解っている御仁です」いつかこのブログで解説しようと兼がね思っていたのですが…
文章や信仰だけでなく、画道や写真、アート、数学、科学、人生そのものからこそ、誠実である限り裾野は沢山あり、頂上へ行けるものなのです… 河鍋 暁斎からはそれが伝わります…
「感情を揺さぶるのがアート」なんて超マヌケな定義しているバカが、多くの大学教授を兼任しているなど、現代の人間界のバカさ加減を、間違いなく象徴しています。根本でアートを履き違えているマヌケさ!嘆! 仮にも教授ならその責任はあるハズ! 今の、人間界は実にこんなものさ…憂国。この論には自信がある…頭とハート、悪すぎ…嘆 人徳の問題… (『亡くなる心得』でも解説したが、PCではOSの根幹の問題…)
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いつもながら、「前置き」が長くなってしまいました…大汗…(本日も長文になりそう…爆)
本題の母の幽霊のレポート
●いつも、昼と夜、母の歩行訓練をしている訳ですが…ある夜、突然母が壁に向かって「そのおもちゃ、コッチに持っておいで!直してあげるから!!」
と言い出しました!????
もう、充分、痴呆が入っている母なので、私はまた変な事言い出したわ…と思ったのですが…笑
母によくよく聞くと… 今、目の前(60cm先は壁!)に女の子が立っていて、手には壊れた赤いブリキのおもちゃ(電車のようなもの)を持っていて、母に「直して!」と訴えたそうです…
母は、息子の私の手先が器用なのは知っているので、「息子に修理させてあげよう」という想いで、思い思わず、「コッチに持っておいで!!直してあげるから!」と言ったそうです!!爆!!
私は、母に言ったのですが
「あのなぁ…オレ、そのおもちゃは、見えもしないし、触る事も修理することも出来ないぜ…」と。笑! (当然ですが、私は幽霊などに驚きもしません…)
(註:リンク先の羅両峰も言っている事なのですが…、清廉な人は幽霊が見えないし、そんなもに左右されないものです。『新釈中国古典怪談』で解説した通りです。私にとって「幽霊が見えない事が自信です」 (母の場合は清廉云々より、死が近いのと頭を打った事ですが )
母にとっては、至近の60cmの壁なんか通り過ぎ、その向こうに、墓を潰され、副葬品まで、重機で破壊され、困っている、幽霊の姿が、普通の人のように見えているのです。
その意味、意図を「足長」の私が、解説して、母がトテモ納得しておりました…実は、可哀想な話です…(ちなみに、副葬品の重要さは『亡くなる心得』で解説した通りです!)
「手長足長」なのです。
「足長」としての私は、その女の子に、心の中で言ってあげます…
「墓を潰し、おもちゃを壊したのは、悪かったのぉ~。悪いのオレじゃなく、バカ住職だ…、でもアンタは、こんなところに、ずっと居なくてもいいんだよ…もっとあの世の上の世界があるから、どうか上へ行ってね…」
と、心の中で念じます。すると、その子供の幽霊も以降、出なくなるものです…
よく、供養で坊主の経文や呪文が挙げられますが… そもそもその供養者に対し、経文や呪文の意味が理解できますか?????って話なのです…
(この表現、間違いかもしれませんが「馬の耳に念仏です」そもそも人も念仏の意味が解ってるか…?という話です… )
私は『般若心経』と『華厳経』(註:華厳経はとんでもなく膨大な経文ですが…汗)の意味はなんとか、解りますが、他の経文は、解かりません!
正直なところ、亡くなった者に対し、坊主が言う念仏、経文の意味が理解できますかっ???って話です!!
それよりも、実のところ、霊に直接、「現代の人の言葉で、今の想いを伝えてあげることが、「どれほど」意味があることか…!」それが供養であると私は想います……
その真髄は『亡くなる心得』で記した通りです…
●本当は、もっと母と私の「手長足長」能力で、数々パターンかの心霊現象を書きたかったのですが… 今、この女の子のパターンを書いてみて気付き、思いの他、この箇条書きだけでは、トテモ、トテモ、長文になる事象ばかりなので、今回はこの印象的な女の子の話だけで一旦止めます…
ブログでは、長くなりすぎるので…
でも、当たり前ですが、それほど、幽霊に出てくる人達の人生は永いということです。(別次元は必ずあります)
供養とは、それを理解することですね!
実のところ、この世は想念でしかあり得ません!それを解説したのが『亡くなる心得』です。
この女の子の話は、我々親子の間でも、とても鮮烈な経験でしたので、まず第一話として記しておきます。(本当は、この記事で全話、記そうとしたのですが。笑!)書いてみてその想念の多さに気付いた次第です…汗。 純真な子供の幽霊は心がキレイからマダいい… 助けてあげようと思う…
あぁ、そうそう!幽霊との関わりも「この地上であなたが他者と関わり合う、その経験のなかにあるのです」
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