長女4歳・次女1歳
この本を買ってからかなり
時間が空いてしまったが
ようやく一冊読み終えた
ちょうど近頃の長女の言動もリンクして
わかりやすい見本がいたこともあり
序盤から終始なるほどなるほどと
思うことばかりで
あの時の自分の気持ちを
代弁してもらえている気持ちにもなるし
今長女がこんな気持ちなんだろうな
という視点でも見る事ができて
一冊で2回分ふむふむ唸っていた
全章興味深い内容なのだけれど
特に抜粋するとしたらどこかな
印象深いのは上の子の赤ちゃん返りの話
二人育児でてんてこまいの最中に
上の子がわがままになったり
下の子に意地悪をする現象
その対処法が書かれていた
まさに我が家も今この最中で
「幼い二人目に手がかかり
どうしても上の子がおざなりになる」
「上の子ができることさえも
『できないから手伝って』
と言い出すようになる」
「下の子が羨ましくなり
『あーちゃんもたーちゃんみたく
一歳の赤ちゃんに戻りたいな〜
そしたらおかあちーを
独り占めできるのにな〜』」
と言うようになった
そして最近ではおとうちと
あまりうまくいかなくなってきて
ちょっとした出来事や言葉が
引き金になってしまい
「またおとうちに怒られる」
と声を上げてわんわん泣くように
なってしまった
これが今の我が家の状況ですね
私が次女の授乳をしていれば後回しにされ
夕食の支度をしていたら待たされ
麦茶を出して欲しいとか
着替えのズボンが欲しいとか
野球のオオタニごっこをするのに
バットを補強したくて
大きなテープが欲しいとか
ひとつひとつは小さいのに
あまりすぐにやれない事が続き
気付けば次女は一歳五ヶ月にもなり
長女は我慢をしてから一年半も
経とうとしているわけです
この本に書いてあるように
できるだけ相手の気持ちを汲み取って
言葉にしてあげたり
先回りしてハグをしたり
色々挑戦してみました
私の母親がそうであったように
暴力をふるい脅して怒鳴りつけて
思うように子供の行動を制御して
コントロールしたところで
子供の心は死んでいくし
もちろん信頼関係なんて作れません
読んでいくうちに私も相当わがままで
自分本位の見方をしてきたことを
改めて気付かされました
早く起きて
ちゃんと食べて
汚さないで
手を拭いて
顔を洗ってきて
歯を磨いて
荒れた唇にリップを塗って
早く着替えて
まず食べ終わらせて
出かける前に遊ばないで
次女のおもちゃ取り上げないで
あの服嫌だばかり言わないで
お迎えの時間指定してこないで
もう家を出たいからもたもたしないで
髪を結ぶ時に動かないで
雨だからカッパも着て
そりゃあ朝からこんなに言われたら
子供だってウンザリするよね
その行動には全て意味があって
その言葉には色々隠れていて
そうだったなそうだったなと
たくさん思うことがあった
4歳半の長女は少しずつ
自分を守るための嘘も
つけるようになったし
心配させないために
つく嘘も身につけ始めました
良くも悪くも成長の過程です
しかし根っから素直なので
「ちょっと悲しくなっちゃった?」
といえば
「うん」
と言うし
次女が楽しくなってバンバン
叩くような仕草をすれば
「あーちゃんはおかあちーの
大事な娘ちゃんだから
叩いたらだめなの」
と言うようになった
外にいて悲しくなれば
「おうちに帰ったら
ちょっとだけ抱っこして」
と言うので忘れず実行するし
悲しい気持ちになった時は
忘れた頃に楽しくなることをする
例えばちょっとだけスペシャルな
シャンプーを内緒で二人で使うとか
最近は給食やおやつの内容を聞いても
「えーわかんなーい
なんだったかなー
忘れちゃったかも〜」
と言ったりもする
こちらがまず一旦手を止めて
まず少しだけ話を聞くと
それまで1時間も2時間も
泣いたり拗ねたりしていたのが
嘘のように無くなっていった
甘やかすことがどれだけ将来の子供に
害を及ぼすのかという研究結果も
実に興味深いなと思う
甘やかして育てたからって
ワガママになるとか
ロクでもない大人になるというのは
間違いで
むしろ厳しく躾られて
抑え込まれた幼少期を過ごす方が
大人になってから厄介だった
極端に言ってしまえば
私たちはもっと子供を甘やかして
いいんだと思う
先日SNSで電車の床に座り込んだ
子供の写真をあげて
誰も小さい子に席を譲らない
日本は終わってるとか書いた投稿が
物議を醸していた
まず自分の小さい頃は
「1番若いんだから立ちなさい」
と言われて育ってきたし
今は4歳1歳が居るので空いていれば
揺れて危ないなら4歳を座らせるし
1歳を抱っこしていたらありがたく
空いた席を使わせてもらう
しかしこれが7歳とか10歳なら
私も座らせないなと思う
混んできて後ろが詰まってきたら
座った方がスペースが空くけれど
多分子供なんだから座らせて
とは思わないなと見ていた
むしろ座る座らないの論議よりも
誰か必要な人のために
お席を空けてあげようか
と言って見本になるのが良いのでは
いつも通る消防署で立て続けに
出動の時に居合わせたことがある
そこで子供に伝える言葉は
「これから誰かを助けに行くと思う」
ということと
「その誰かが無事でありますようにと
一緒に神様にお願いしておこう」
と言っている
目的は想像してもらうこと
祈ることも大事とは思うけれど
今ある救急車がどこかへ行く
そこには誰かがいて
助けを必要としている
救急車に乗ったら病院へ行き
お医者さんに診てもらうだろう
自分と家族や友達以外にも
もっとたくさんの人がいて
色んな状況があって
色んな考えの人がいて
想像して欲しいなと思う
そこから人の痛みを察知したり
嫌だなと思うことは人にはしない
配慮が生まれるのかなと
あと本の話に戻りますが
ネントレに関しても実に
余談だけど朝出かける前に長女に
パジャマを畳んで欲しいと言ったら
プリキュアのキーホルダーを
ニタニタ眺めながら嫌だと言われた
いつもなら私はこんなにも忙しくて
手伝って欲しいから頼んだのに
ってキーッとなるところだけど
「今は気分じゃないから
帰ってからなら畳んでもいいよ」
と提案されたので
「それじゃあ帰ってから
忘れずにお願いね」
と言った
私も朝一番にお洗濯をすることもあれば
送り届けて帰宅後にすることもあるし
時間の都合もあるけれど
その気分って言うのは確かにある
こうしてこの本のおかげで
我が家は少しだけ穏やかな朝に
変わったのでした
viva 影響されやすい
ばーい