この物語を読んでいると、

なんだか身近にいる同級生の頭の中身を覗き見ている気になって、落ち着かない。

(そんな身近な同級生などいないのだが)

 

そんな話、聞いていいの?といいたくなってくる。

 

 

とりとめもない日常の思考の破片が、自在に時間と空間を超えていく。

今が本人にとって、現在なのか、過去なのか、あるいは

パラレルワールドか。

 

どれもがそうではない、と言えない。

 

自分のなかの思考に起承転結が常にあり、ひとつずつ次に進んでいく、というわけでもない、ずっとそこにあり続ける思い、というのもある、ただいつもは思い出していないだけで、思い出さなかったら、無いと同じで、有ると信じ込んでいたら、それはその人にとって事実として、有る、のだし

 

 

 

 

起承転結のないとりとめのない日々のなかで

ふと、ひっかかる話は、流さない。

 

たとえば”愛”についての違和感を語る。

 

 

(抜粋)

「何してるの?」

「(いま山手線に乗った)ってメールしたの。」

「おかしいんじゃない?」

「あなたは愛を知らないから、そんなこと言う」

この人は愛という言葉を知らないでいたらそれが愛だと錯覚することもなかった。

 

(抜粋)

愛する相手を24時間監視下に置く、愛する相手が今日どこで誰と会うかすべて把握していないと気がすまない。自分の行動は愛による行動だから何をしても許される、それどころかそれが正しいと思っている。

 


愛がなにかを知る前に”愛”という言葉で愛を錯覚する。

 

 

 

 

著者:保坂和志

著書:「鉄の胡蝶は」

発行:講談社 2026年4月第一刷

 

写真:保坂和志

装幀:横尾忠則