もし

今の時代だったら、この車いすを使うのはつらいだろう

でもこの車いすが日本の車いすの原点となっている

 

終戦後の当時を考えると

物のない中、情報のない中、これだけのものを作るのは大変なことだったと思う

 

この車いすのおかげで

利用者はベッドに寝た切りにならなくてよかった

世間と接することができた

 

木製は重かったろうが、家具の椅子に座るような、温かみがある

 

※写真のなかの文言より

 

■戦傷病の苦労を語り継ぐ

戦傷病者はさまざまな苦労をのりこえて生きてきました。

戦傷病者の数だけ、そのご家族の数だけ、苦労がありました。

 

■箱根式車いす

脊髄損傷者を専門に受け入れていた箱根療養所が制作した車いす。

床ずれが出来にくく、長時間座れるように、背もたれを布製にし、

スプリングを用いた工夫などがみられる。

丈夫な作りだが重さは約30㎏にもなる。

 

 

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「箱根式車いす」について(”障害保険福祉研究情報システム「戦後初の日本製車いすと箱根療養所」2010年9月号” 高橋義信氏の記事より)

 

■戦後初の日本製車いすと箱根療養所

 

日清、日露、大戦で脊髄損傷を受傷した軍人のために「箱根療養所」ができた。

名称を変えながら現在に至っている。

 

そこに車いすを収めていたのが「北島藤次郎」さん。

北島さんは昭和7~8年頃から車いすを作り始め、箱根療養所に収めていた。

大戦復員後の昭和21年「北島藤次郎商店」として再び車いすを制作する。

 

この「手動運動車」は、

戦前の車いすと基本的には同じだが、座面が籐張りから布製に変わった。

のちに「箱根式車いす」と呼ばれるようになる。

 

「箱根式車いす」は

重量30㎏以上の重さ、大型、リクライニングができる、自走も介助走もできる、

折り畳みはできない、プレーキやハンドリムは付いていない。

 

「箱根式車いす」を利用していた人の話(2001年/当時85歳)

望月栄允(もちづきひでちか)さんは、57年間箱根療養所で暮らし、この車いすを利用していた。2年前までは、自力でベッド移乗し、介助者とともに花見や地引き網などにも出かけた。

 

この箱根式車いすを原点として、1964年の東京パラリンピックを契機に、研究、改良が行われ、大きく進化した。

 

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80年前の車いすが、こんなに、きれいな状態で使われ、保管されている。

 

作る人の気持ちと技術と、利用する人の大事にする気持ちと、その後の長い人生の支えとなっただろう、この車いすは、たくさんのことを語ってくれる。