立て続きに「戦争孤児」の一生を追う小説を読むことになった。

なぜ今小説としてこのテーマが書かれるのだろう。

 

 

 

著者:宇佐美まこと

著書:「月白」(げっぱく)

発行:朝日新聞出版  2026/1第一刷発行

 

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この小説も架空の物語である。

 

 

「月白」は

 

”げっぱく”と読んだときは、

日本の伝統色で、月の白さをあらわす。

月の光を思わせる薄い青みを含んだ白色のこと。

静寂や清らかさ、知的な静けさを表現する。

 

 

”つきしろ”と読んだときは、(”月代”とも書くが、(さかやき)ではない)

宵の口の頃、日が沈んで暗くなった後、月が東の空に昇るときに空がだんだん白く明るくなってくること。

特に満月は明るく、月見人が十五夜の月の出を待ち焦がれる思いも含まれている。

秋の季語。

 

松尾芭蕉の句

”月代や膝に手を置く宵の宿”

 

十五夜の句会として、正秀が座を催してくれた。

(水田正秀:近江の人:元禄3年(1690年)芭蕉に入門)

この句会のメンバーは初めてであり、その緊張と、

宵の暗さのなかで、東の空が白んできて、月がでてきそうだ。

月が出てきたらいよいよ句会は始まる、その緊張が伝わる。

正座した膝に手を置いて、佇まいを正して、静かに月を待つ、かんじだろうか。

これは座を設けてくれた正秀への礼にもつながる。

 

 

 

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浮浪孤児だった少年は夜、寝起きする場所のコンクリートの白い色がつらかった。

いつも皆の面倒を見てくれていた男性に話すと、この芭蕉の句を教えてくれた。

 

 

少年は後に塗料会社を立ち上げ、人生として成功するのだが、

この”げっぱく”の色から、一生、離れられなかった。

 

 

 

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上野駅の地下道は、3月10日の東京大空襲で焼けずに残っていた。

東京大空襲では、台東区では家をなくした57%の人が上野周辺で暮らし、

昭和20年11月当時で、上野駅の地下道には千数百人が住み暮らしていて、

そのうち子供は300~400人くらいいたようだ。

 

戦争孤児は全国で12万3511人(S23厚生省調査、沖縄除く)。

そのうち独りで路上生活していて浮浪児と呼ばれた子どもは3万5千人以上。

生き延びるために、窃盗をするしかなかった。

餓死するか、盗むか。

自ら命を絶つ子供も多かったという。

 

戦争で精神を患った親から逃げて来たこどもも上野にやってきていた。

栄養失調で精神疾患を引き起こすこともあったという。

どうすることもできなかった。

 

実の親でなくてもいい。

こどもが困っていたら近くにいる大人が守ってあげる。

なんてことはいつの時代もそうそうできることではない。

 

 

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自分達の親の世代がまさにこの敗戦時に子供だった。