戦後、長崎で孤児となった”輝山マム”氏の一生の物語。
男性美容家として成功する。
ただし、架空の人物だ。
子どもながらに、きれいな顔立ちで、それがよかったのかそうでないのか、
”美”を追って生きていく。
敗戦後の戦争孤児はもちろん正確な数字はわからないだろうが
12万人はいたという。
そのなかに、ひょっとして本当にいたんじゃないかと思わせる。
著書:「審美」
著者:西尾潤
発行:小学館 2025/12 第一刷
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架空の人物の話だが、
取り上げられる実在の人や出来事が、物語を厚くする。
*カバーマークの話
1901年、アメリカで生まれたリディア・オリリーさんは、生まれながらに顔に痣をもっていた。成長しても消えず隠せない痣。
それがきっかけとなり、カバーマークファンデーションを開発する。
1928年、化粧品ではなく、医療品として、特許を取る。
最初は化粧品は特許対象外だとし申請が却下されるが、控訴院で法廷の判事たちの前で、自分の顔を拭き落としてみせた話は有名。
1950年、広島原爆で被爆しケロイド治療のためにアメリカに招かれた23人の少女は手術を受け、その補助として、カバーマークを紹介された。
"悩む人に安らぎと希望を与える化粧品"として手に取れるところに存在する。
当時は広島だけでなく長崎でも、そして戦火で全国で火傷跡を残した人は多かったと思う。あるいは逃げたり、巻き込まれたりで傷を負った人もたくさんいたと思う。
普通の化粧で隠れない傷痕を持った、特に若い女性にとっては、カバーマークは生きる支えとなったろう。
*サイデンステッカーの話
川端康成の小説を英訳して、ノーベル文学賞受賞に貢献したとされている。
著書には長崎つながりで少し名前が出てきているだけだが。
1921年アメリカ生れ。
戦中、通訳士官として硫黄島作戦に参加。戦後、長崎県佐世保に勤務。
1946年帰国。
1948年再来日(外交官、大学教師)。
1950年代から日本文学の英訳を始める。1968年「雪国」が受賞したのはこの英訳によるところが大きいと川端自身が評価し、ノーベル賞の賞金の半分を渡したと言われている。
1962年帰国。
2006年再来日。日本(東京湯島)に永住を始める。
2007年、不忍池を散歩中に転倒し頭部強打し、4ヶ月入院療養したが意識は戻らなかった。(享年86歳)
川端自身も、戦争でではないが、家族を失った孤児であった。
*他にも
戦争孤児は地方からも都市駅付近に集まり、浮浪者としてたむろしていた。
そのこどもたちは、つかまり、売りとばれることがあった。
おとなも、ささえとして新興宗教に傾倒することがあった。
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戦後80年。
そのとき孤児だった人たちは、どうやって生きてきただろうか。
たぶん、その人生で負うものが大きかった人ほど、
誰にも言えないものを抱えているだろう。
今、どんな思いでいるだろうか。
その、ひとりとして、
この物語の主人公は存在している。
